ep.09 準備、準備、準備
「ねえ彩花、はろうぃんって、こんなの?」
「あー……この国はちょっと……行事観が独特なの」
「そうなんだ!」
近所のデパートの催事場を見て、エルピスがわくわくとした声で聞いてきた。
母親はエルピスになんの仮装をさせようかわくわくしている。
彩花はエルピスの手を引きながら、ほんの少し浮かれた気分になった。
氷が眠りとなり、四季にしては早すぎた雪解けと共に、新しい命も生まれる。
緑が覆い尽くし、氷が破壊したあの街は、土地所有者と自然保護を訴える組織によって大切に管理されているとか。大昔に絶滅した植物を発見したようで、色んな人で賑わっていた。この時代ではそうなるのも分からなくはないが、複雑な心境だ。
「あきってきもちいいね!」
「そうねエルピスちゃん、ようやく涼しくなってきた感じだわ」
「ほら、あんまり長く外にいるのも良くないからそろそろ帰ろう」
「そうね~、悪いわね荷物も持たせちゃって」
「いいよ、別に」
毎年ハロウィンには近所の子供たちがお菓子を貰いにやってくる。
まだひと月近く猶予があるにも関わらず、売り切れるお菓子もあった。だから早くもその買い出しをしたのだった。休憩がてらフードコートでドリンクを飲む。
エルピスは口の周りをべちゃべちゃにしながら満足気にアイスを食べていた。
「お母さんちょっとお化粧室に行ってくるから、いい子で待っててね」
「わかったー!」
「いってらっしゃい」
すっかりハロウィンカラーに飾られた店内を眺める。
イベント毎に飾り付けを準備して大変そうだなぁ、と思った。
「そうだ、近いうちに冥界に顔を出そうと思うんだけど」
「エルピスもオネイロスたちにあいたいな!」
「うん、一緒に行こうね」
「わーい!彩花はどんなごようじ?」
「おじいちゃんとおばあちゃんのとこからぶどうがいっぱい届いたから、タナトスたちに持って行こうと思って」
毎年この時期になると大量に送られてくる、ぶどう。
それからは毎日のおやつが大量のぶどうになる。
どれだけ食べたって、おすそわけしたってなくならない、大量のぶどう。
もしかしてこれは一生なくならない魔法のぶどうなんじゃないか、と何度となく思うこともある。そして、毎年いつどうやってなくなったのかも、いつも思い出せない。
今年はまあ、ぶどうを好きな誰かに食べてもらえるのなら、その方が良いだろう。
◆
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「悪い風邪が流行ってるらしいから、ふたりとも気を付けるのよ」
「はーい!」
玄関から出たあと、蔵の方へ行き古い姿見をノックする。
すっかり顔馴染みとなった渡し人に挨拶し、カゴに入ったぶどうを渡した。
「冥界を気に入るだなんて、珍しい人ですね」
「そうね……あんまり明るい性格じゃないからかも」
いくらか世間話をし、やがて冥界に辿り着いた。
「エルピス、オネイロスとあそんでくるー!」
「あんまり遠くへ行っちゃだめよ?」
「だいじょうぶー!!」
ちいさい同士で仲良くなったことを微笑ましく思いながら、元の姿を取り戻した影の城の門をくぐる。ノッカーで大きな扉を叩くと、荘厳な音を立てて開いた。
「彩花か、久しいな」
「元気だったかい?僕らはおかげさまでこの通りさ!」
「こんにちは、ふたりとも」
彩花は押してきた台車を止め、木箱を降ろし始める。
「今日はね、ぶどうを持ってきたんだけど……」
半分以上降ろしたあたりで、なんだかタナトスの様子がおかしいことに気付いた。
分厚い紙の束を眺めてはため息を吐いている。よく見えないが、心なしか顔色が良くないような気もする。青褪めたように真っ白い。
「どうしたの?」
「……兄上」
「…………まあ、パンドラである彩花には話すべきだろう」
タナトスとヒュプノスは、彩花と目を合わせないようにぽつりと告げた。
「近々、冥界に大量の魂がやってくるようなんだ」
「…………それって、つまり」
「どこかで人が死ぬのだろう、それも大勢」
「それは、災厄が関わっているってこと?」
タナトスは、やはり賢しいな、と言い、顔を覆った。
「死を司る神はあらゆる神話世界中にいるんだ……だから、それぞれの管内の死者が担当の冥界に寄せられるんだけど……」
「じゃあ、この神話世界でたくさんの人が……」
「……まだ、確定した訳ではないがな……情報を見るに……ニュンペーの街だろう」
「流行り病が出ると予知されているんだ、ニュンペーは不死性を持たないから」
――病。
きっとそのまま、病の災厄なのだろう。
「……わたし、行ってくる……すぐ行く」
「……準備が要るだろう、その程度の時間くらいかけたって罰は当たらん」
「彩花に罰を当てる神様が、ここにはいないからね」
病に耐えうる装備を。
毒に耐えうる薬草を。
死に耐えうる加護を。
◆
「やあオネイロス」
「エルピス……どうしたの?」
オネイロスは、巨樹の下でまどろんでいた。
エルピスの来訪で、やっと瞳に世界を映す。
「ただいちど、ゆめをみたいんだ」
「…………例えば?」
「たびのおわり……そう、なりうるものを」
エルピスは、微笑んでいた。
悲しみでも、不安でも、焦燥でもない。
かといって、喜びや楽しみでもない、不思議な色を浮かべて。
オネイロスは、憐れむように目を閉じて、エルピスを見据えた。
「ひとつの命につき、ただの一度だけ許された予知夢を、そんなことに使ってしまっていいの?いつか困難が訪れた時にとっておくべきではなくて?」
「いまがそのときさ、きっと」
「それじゃあ、ヒュプノス兄さまを呼んできましょう」
しばらくして、オネイロスがヒュプノスを引き連れて戻ってきた。
エルピスは、小さく頷いて巨樹の根元に座り込む。
そうっと目を瞑り、ヒュプノスの眠り薬で眠りの世界に落ちた。
「エルピスは何を?」
「旅の終わりになり得るものを、と……」
「旅の終わり……」
「……おそらく……旅を終わらせるほどの困難の正体を知ろうとしているのね」
「……今回の旅は、何かおかしいものね」
「えぇ……前回の件といい、災厄の軽さといい……」
すやすやと寝息を立てるエルピスを眺めながら、最早狂い始めているであろうパンドラの旅を思った。
◆
「……ここは」
どこかで見たことのある景色だった。
影の城に似ていて、どこか違う、古い建物。
短い記憶を辿るものの、該当するそれはない。
きっとそれは、前のエルピスの記憶だった。
エルピスの目の前に、この世の物とは思えない美しい女がいる。
「……パンドラ」
思わず、そう呼んでしまった。
女は、もう機能しなくなった箱を撫でている。
暗く広い、石造りの部屋で。
「エルピス……」
「……まえのぼくをよんでいるんだ」
予知夢のはずなのに、過去の出来事を見ているようだった。
世界が揺らめき、白い世界になる。
ひとりの青年がエルピスと向き合っていた。
「僕なら、やがてオネイロスの予知夢を使うだろう」
「……まえのぼく」
「その時を信じて、僕はいつかの僕に、助言を遺す」
金の髪、金の瞳。
それしか共通点が見つからないほどにかけ離れた容姿だった。
「パンドラに、気を許すな」
白い世界が弾けて、冥界の景色を取り戻す。
「……パンドラ」
「エルピス、目が覚めたの?」
「うん……ねえオネイロス、よちむがしっぱいすることってあるかい?」
「予知夢が失敗する……どういうこと?」
「いや、なんでもないんだ……」
「あまり、収穫が得られなかったようだね」
エルピスは少し考えた後、弱々しく首を振る。
「しゅうかくというより……ぼくがなっとくできない、ってだけさ」
◆
「水薬や薬草はいくらあっても足りないだろう、持てるだけ持つといい」
「ありがとうタナトス、きっと大丈夫だから……」
「病の災厄なら、僕たち恵みも役に立てるだろうからね……君たちにしてしまった悪いことのぶん、善いことで返していきたい……ニュンペーの街は、必ず救う」
「……まあ、いつかは返し終えるだろう」
眠りの恵みとタナトスは、気まずさを感じながらも握手を交わした。
影の城を後にし、ニュンペーの街を目指す。
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