ep.14 打針
「兄上……やっぱり、見た目の情報がないんじゃ、探しようがないよ」
「そうだな……近くで見張っていれば万が一に気付けるだろう」
タナトスとヒュプノスはそこまで話し、階下から聞き慣れた足音が近づいてくるのに気付き、そっと口を噤んだ。
「あ、やっぱりいた」
「何か用か」
「うん、わたし店番しなきゃだからお店の方にいるね」
「ああ、わかった」
「……本当にこの部屋で大丈夫?」
広いとはいえ畳の部屋だ。
座り慣れなかったり、寝付けなかったりするんじゃないだろうか。
「問題ない」
「そう……じゃあ、行ってくるね」
足音が離れていくのを確認し、再び話し出す。
「とりあえず、今は僕が傍についてくるよ」
「……いや、私が行こう」
「え?」
「確認したいこともある」
「そう、じゃあ兄上に任せるよ」
オネイロスは庭でエルピスと遊んでいる。
そのうち恵みたちも加わって、彩花の家はすっかり賑やかになっていた。
帰りの遅い父親も、帰ると嬉しそうに顔を綻ばせている。
母親も、彩花に友達が増えて嬉しそうだった。
「彩花、紹介するわね」
「紹介?」
「ほら、バイトを募集してたでしょ?」
「わたしが働くのに……」
「こどもは遊んできなさい」
母親の隣には、とてもきれいな人が立っていた。
長く緩やかなウェーブを描く黒髪をひとつに束ね、丸い眼鏡をかけている。
「メグミです、よろしくね彩花ちゃん」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「メグって呼んでね」
にっこりと、つい見惚れてしまうほどにきれいな笑顔だった。
不思議と、どこかで会ったことがあるような気がする。
この人のことをもっと知りたいと、心のどこかで強く思っている気がした。
「遊びに行くならついでにおつかい頼むわね」
「うん、いいよ」
◆
「彩花、外出か?」
「そう、おつかい」
「同行しよう」
陽が短くなってきたものの、今の時間はまだ明るい。
思い切り太陽を浴びるように、ゆっくり歩く。
「ねぇ、仕事がないって、いいこと?」
「どういう意味だ?」
「誰も死なないのは、わたしにとってはいいことだと思うんだけど、あなたにとって仕事がないのはいいことなのかなって思って」
「無論だ」
「そう」
同じように話して冥界を歩いたのが、もうずっと昔のようだ。
タナトスが、困ったように立ち止まる。
彩花はつられて立ち止まるが、彼が話し出すまで待った。
「彩花」
「なぁに?」
「怪しい人間にはついていくなよ」
「……それって当たり前じゃない?」
というか、それを言うならタナトスが一番怪しいのだが。
海沿いの和菓子店で銘菓を買い、砂浜に座り込む。
晩秋に冷やされた潮風が気持ちよく、思い切り息を吸い込んだ。
ちゃんと海に来るのは久しぶりだ。
タナトスはおまけで貰った饅頭を食べている。
「……わたし、前はよくひとりで海に来てたの」
「……席を外した方がいいか」
「ううん、大丈夫」
不思議と今は、無理にひとりになりたいと思わない。
みんなが楽しそうにしているからだろうか。
いや、違うだろう。きっと「溶け込んだ」からだ。
気にされすぎることがなく、均一に混ぜられたような。
「……こうしてね、日が沈むのを待って……そしたら明日も頑張ろうって思えるの」
「そんなに長い間か」
「そうね、今日はもう少し早く帰った方がいいんだろうけど」
きっと、新しい仲間であるメグを歓迎するための菓子だろうから。
名残惜しいが、太陽が半分ほど沈んだら帰った方がいいだろう。
◆
鼓動が規則正しく動いている。
時を送り出す心の臓が、刻々と動いている。
「クロノス……」
いくら呼びかけても、返事はない。
「誰も運命には逆らえず、災厄は神にすら死を与える……」
硬質な何かが規則正しく鳴っている。
運命を包む結晶を揺らしながら。
「怨むなら、はじまりのゼウスを……」
最早自分の意思では動かない身体に、ただ涙が落ちていく。
「お願い……早く助けにきて、パンドラ……」
◆
「……冷えるな、そろそろ帰るべきだ」
「まだ日が少しも沈んでない……のに……」
腕時計を見ると、家を出た時から全く進んでいなかった。
「やだ、電池切れ……?」
「帰るぞ」
「え、うん……」
心なしか、街の方が静かだ。自然と、足を運ぶのが早くなる。
すると、タナトスが彩花を担ぎ上げた。飛んだ方が早い、と。
ハロウィンも終わったし、人に見られたらUMA扱いされそうだ。まあ、ただ羽がついてるだけなら誰もがそういう人で片付けるが。
街を見下ろすと、たくさんの人がいた。
ただ、そのどれもが立ち止まっている。何か問題でもあったのだろうか。
一度降ろすように頼み、立ち止まった人々へ駆け寄る。
「動かないわ……」
「死んだ訳ではないようだが」
「彩花ー!!」
「エルピス!みんなも!」
ちいさなエルピスと冥界の兄妹、そして恵みたちが必死に走り寄ってくる。
彩花はエルピスを抱き上げると、落ち着かせるようにそっと背中を擦った。
「みんながうごかなくなっちゃったんだよ!」
「街の人たちもそうみたいなの」
「やっぱり、災厄の仕業でしょうか……」
みんな揃って黙り込む。
静寂にカチ、コチ、と、聞き馴染みのある音が響き渡る。
「……時計、わたしのは動いてないの」
「おうちのもうごいてなかったよ!ずっとおやつのじかんだったもん!」
「時計は、来る途中でいくつか見たけど……やっぱり動いてなかった気がするよ」
まるで耳の中に時計があるかのように、大きな音。
時の進む音が、それぞれを焦らすように規則正しく鳴り続く。
カチ、コチ、カチ、コチ。
それに混じり、誰かのすすり泣く声もする。
「だ、誰かいるの?」
「……あなた、パンドラ?」
「いまは彩花ってなまえなんだよ!」
「あぁ……やっと助けにきてくれた……」
「助けに?あなたは誰?どこにいるの?」
どこから聞こえるのかわからず辺りを見回すが、誰の姿も見えない。
それもそうだ、と思い至り、一同は神話世界に移動した。
すると、巨大な時計が現れた。
水晶と金が入り混じったような、美しく荘厳な。
時計と言っていいのか悩みたくなるほど繊細で豪奢、そして不思議な造形だった。
大樹や流氷のようにも見え、どこか規則正しくもある。
そして、そんな中でひとつだけ。
ひとつだけ、違和感や異物感といったものが存在していた。
「ひと……?」
「私は、あなたが来るのをずっと……ずっと、待っていたの」
「あれは……モイラ?」
「クロノス!!」
時計に組み込まれた誰かを見て、エルピスが悲痛な声を上げた。
そう、時計の根本、水晶や金に繋がれていたのは、一柱の神だった。
枝のような水晶が体中に溶け込み、糸のような金たちが心の臓に繋がっている。
それらを編んでいるのが、先程モイラと呼ばれた人物だ。
「おねがい……もう、言葉しか自由にならないの」
「どうしたらいいの!?」
「ああ……もう、もう……言葉すら自由にはならない……」
さいごの涙を流し終えたモイラが、表情を消された顔で水晶の杭を投げた。
「……あ……れ?」
「彩花!!」
「落ち着け、出血はない……それに、私がいるだろう」
「うん……」
それは彩花の心臓に命中し、彩花を倒れ込ませた。
エルピスたちが駆け寄り抱き起こそうとするが、まったく持ち上がらない。
気を失った故の重さなどではなく、服の端すらピクリとも動かせないのだ。
そこだけぽっかり、時に取り残されたように。
「モイラ!!彩花になにをしたの!」
「停滞の災厄が存在する瞬間へ」
「それならぼくもつれてって!」
「それはできないわ……あなたでは時間が足りない」
「たりない?どういうこと?」
「新しい魂……それが重ねてきた時というものが……その絶対数が足りない」
モイラはもう、何も話す気がないようだ。
ただただ、金の糸を紡ぎ続けている。
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