ep.14 打針


「兄上……やっぱり、見た目の情報がないんじゃ、探しようがないよ」

「そうだな……近くで見張っていれば万が一に気付けるだろう」


タナトスとヒュプノスはそこまで話し、階下から聞き慣れた足音が近づいてくるのに気付き、そっと口を噤んだ。


「あ、やっぱりいた」

「何か用か」

「うん、わたし店番しなきゃだからお店の方にいるね」

「ああ、わかった」

「……本当にこの部屋で大丈夫?」


広いとはいえ畳の部屋だ。

座り慣れなかったり、寝付けなかったりするんじゃないだろうか。


「問題ない」

「そう……じゃあ、行ってくるね」


足音が離れていくのを確認し、再び話し出す。


「とりあえず、今は僕が傍についてくるよ」

「……いや、私が行こう」

「え?」

「確認したいこともある」

「そう、じゃあ兄上に任せるよ」


オネイロスは庭でエルピスと遊んでいる。

そのうち恵みたちも加わって、彩花の家はすっかり賑やかになっていた。

帰りの遅い父親も、帰ると嬉しそうに顔を綻ばせている。

母親も、彩花に友達が増えて嬉しそうだった。


「彩花、紹介するわね」

「紹介?」

「ほら、バイトを募集してたでしょ?」

「わたしが働くのに……」

「こどもは遊んできなさい」


母親の隣には、とてもきれいな人が立っていた。

長く緩やかなウェーブを描く黒髪をひとつに束ね、丸い眼鏡をかけている。


「メグミです、よろしくね彩花ちゃん」

「あ、はい、よろしくお願いします」

「メグって呼んでね」


にっこりと、つい見惚れてしまうほどにきれいな笑顔だった。

不思議と、どこかで会ったことがあるような気がする。

この人のことをもっと知りたいと、心のどこかで強く思っている気がした。


「遊びに行くならついでにおつかい頼むわね」

「うん、いいよ」



「彩花、外出か?」

「そう、おつかい」

「同行しよう」


陽が短くなってきたものの、今の時間はまだ明るい。

思い切り太陽を浴びるように、ゆっくり歩く。


「ねぇ、仕事がないって、いいこと?」

「どういう意味だ?」

「誰も死なないのは、わたしにとってはいいことだと思うんだけど、あなたにとって仕事がないのはいいことなのかなって思って」

「無論だ」

「そう」


同じように話して冥界を歩いたのが、もうずっと昔のようだ。

タナトスが、困ったように立ち止まる。

彩花はつられて立ち止まるが、彼が話し出すまで待った。


「彩花」

「なぁに?」

「怪しい人間にはついていくなよ」

「……それって当たり前じゃない?」


というか、それを言うならタナトスが一番怪しいのだが。

海沿いの和菓子店で銘菓を買い、砂浜に座り込む。

晩秋に冷やされた潮風が気持ちよく、思い切り息を吸い込んだ。

ちゃんと海に来るのは久しぶりだ。

タナトスはおまけで貰った饅頭を食べている。


「……わたし、前はよくひとりで海に来てたの」

「……席を外した方がいいか」

「ううん、大丈夫」


不思議と今は、無理にひとりになりたいと思わない。

みんなが楽しそうにしているからだろうか。

いや、違うだろう。きっと「溶け込んだ」からだ。

気にされすぎることがなく、均一に混ぜられたような。


「……こうしてね、日が沈むのを待って……そしたら明日も頑張ろうって思えるの」

「そんなに長い間か」

「そうね、今日はもう少し早く帰った方がいいんだろうけど」


きっと、新しい仲間であるメグを歓迎するための菓子だろうから。

名残惜しいが、太陽が半分ほど沈んだら帰った方がいいだろう。




鼓動が規則正しく動いている。

時を送り出す心の臓が、刻々と動いている。


「クロノス……」


いくら呼びかけても、返事はない。


「誰も運命には逆らえず、災厄は神にすら死を与える……」


硬質な何かが規則正しく鳴っている。

運命を包む結晶を揺らしながら。


「怨むなら、はじまりのゼウスを……」


最早自分の意思では動かない身体に、ただ涙が落ちていく。


「お願い……早く助けにきて、パンドラ……」




「……冷えるな、そろそろ帰るべきだ」

「まだ日が少しも沈んでない……のに……」


腕時計を見ると、家を出た時から全く進んでいなかった。


「やだ、電池切れ……?」

「帰るぞ」

「え、うん……」


心なしか、街の方が静かだ。自然と、足を運ぶのが早くなる。

すると、タナトスが彩花を担ぎ上げた。飛んだ方が早い、と。

ハロウィンも終わったし、人に見られたらUMA扱いされそうだ。まあ、ただ羽がついてるだけなら誰もがで片付けるが。


街を見下ろすと、たくさんの人がいた。

ただ、そのどれもが立ち止まっている。何か問題でもあったのだろうか。

一度降ろすように頼み、立ち止まった人々へ駆け寄る。


「動かないわ……」

「死んだ訳ではないようだが」

「彩花ー!!」

「エルピス!みんなも!」


ちいさなエルピスと冥界の兄妹、そして恵みたちが必死に走り寄ってくる。

彩花はエルピスを抱き上げると、落ち着かせるようにそっと背中を擦った。


「みんながうごかなくなっちゃったんだよ!」

「街の人たちもそうみたいなの」

「やっぱり、災厄の仕業でしょうか……」


みんな揃って黙り込む。

静寂にカチ、コチ、と、聞き馴染みのある音が響き渡る。


「……時計、わたしのは動いてないの」

「おうちのもうごいてなかったよ!ずっとおやつのじかんだったもん!」

「時計は、来る途中でいくつか見たけど……やっぱり動いてなかった気がするよ」


まるで耳の中に時計があるかのように、大きな音。

時の進む音が、それぞれを焦らすように規則正しく鳴り続く。

カチ、コチ、カチ、コチ。

それに混じり、誰かのすすり泣く声もする。


「だ、誰かいるの?」

「……あなた、パンドラ?」

「いまは彩花ってなまえなんだよ!」

「あぁ……やっと助けにきてくれた……」

「助けに?あなたは誰?どこにいるの?」


どこから聞こえるのかわからず辺りを見回すが、誰の姿も見えない。

それもそうだ、と思い至り、一同は神話世界に移動した。



すると、巨大な時計が現れた。



水晶と金が入り混じったような、美しく荘厳な。

時計と言っていいのか悩みたくなるほど繊細で豪奢、そして不思議な造形だった。

大樹や流氷のようにも見え、どこか規則正しくもある。


そして、そんな中でひとつだけ。

ひとつだけ、違和感や異物感といったものが存在していた。



「ひと……?」

「私は、あなたが来るのをずっと……ずっと、待っていたの」

「あれは……モイラ?」

「クロノス!!」


時計に誰かを見て、エルピスが悲痛な声を上げた。

そう、時計の根本、水晶や金に繋がれていたのは、一柱の神だった。

枝のような水晶が体中に溶け込み、糸のような金たちが心の臓に繋がっている。

それらを編んでいるのが、先程モイラと呼ばれた人物だ。


「おねがい……もう、言葉しか自由にならないの」

「どうしたらいいの!?」

「ああ……もう、もう……言葉すら自由にはならない……」


さいごの涙を流し終えたモイラが、表情を消された顔で水晶の杭を投げた。



「……あ……れ?」

「彩花!!」

「落ち着け、出血はない……それに、私がいるだろう」

「うん……」


それは彩花の心臓に命中し、彩花を倒れ込ませた。

エルピスたちが駆け寄り抱き起こそうとするが、まったく持ち上がらない。

気を失った故の重さなどではなく、服の端すらピクリとも動かせないのだ。

そこだけぽっかり、時に取り残されたように。


「モイラ!!彩花になにをしたの!」

「停滞の災厄が存在する瞬間へ」

「それならぼくもつれてって!」

「それはできないわ……あなたでは時間が足りない」

「たりない?どういうこと?」

「新しい魂……それが重ねてきた時というものが……その絶対数が足りない」


モイラはもう、何も話す気がないようだ。

ただただ、金の糸を紡ぎ続けている。


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