第5話 塔の魔女

 『R.I.O.Tライオット』システム――リベリオンに所属する異端審問官が用いる対異端者鎮圧用システム。

 大アルカナになぞらえた計22枚のカード型デバイスに各種の能力を封じ込めた代物で、それぞれの適合者でなければ力を引き出すことはできない。

 これを開発した人物。名前をバベル。

 異端審問機関を構成する4つの部門の内の1つ、技術開発局の局長その人である。


 ハイド・パークでの一件を報告し終えたノクトたちはリベリオン本部の地下施設へと訪れていた。

 リベリオンの本部ビルの構造として、地上に天高くそびえる「塔」には結界運営局が――そしてその地下深くには技術開発局が拠点を構えている。

 これは異端者による襲撃を想定してのことで、有事の際には開発局を地下シェルターとして使用出来るようになっているらしい。


 蟻の巣のように枝分かれを繰り返す通路を進む。


「まさか塔の下にこんな地下施設があったとはねぇ……」


 モノフォニーは物珍しそうに周囲を見渡している。

 まるでそれは初めて散歩に出た犬のようで。彼女に尻尾が生えていたなら、勢いよくそれを振っていたに違いない。


「でも良かったのかい? 私をこんな場所にまで連れてきて」

「どういう意味だ?」


 怪訝な顔で問い返すノクト。


「いやぁ……自分で言うのもあれだが、仮にも私は異端者だろう? もし私がここで暴れ出したらとか考えなかったのかい?」


 そう訊ねる彼女の顔には挑戦的な色が差していた。

 それに対してノクトは伏し目がちに首を横に振り――。


「無理だ」


 ただ一言だけを返す。


「無理、というのは一体……?」


 不思議そうな声を上げるモノフォニー。


「ここは『塔』の領域だ。侵入者は彼女の下に辿り着くことすらできない」


 そう言って、ノクトは白い扉の横に備え付けられた認証装置へ『R.I.O.T』を翳した。





 技術開発局、局長室――。

 壁一面に備え付けられたモニター、床に転がる使用用途の分からない機材、様々な書類が積み重なり、高々と聳える紙の塔が築き上げられたデスク。

 一言で表現すると、そこはまさに混沌そのものだった。


「……これは酷い。私も片付けは苦手な方だけれど、ここまで悪化させたことは無いよ。監視役、本当にこんな場所に人がいるの?」

「多分な。あの人が外に出ることは基本的にない」


 ノクトは部屋の主について語りながら室内を見渡す。

 だが、床すら視認できないこの部屋に人の姿は無かった。

 珍しく外出でもしているのだろうか――そう考えた時、ソファの上にあった段ボールの山が瓦解し始めた。

 がらがらと大きな音を立てて、床に散乱する研究器具。

 そして山の下からゾンビのような遅々とした動きで這い出てくる1人の女性。


「ぐ……あ、あれ? 私いつから寝てたんだっけ……? んん!? 今日何日!?」


 勢いよく跳ね起きる女性。

 突然の事態にモノフォニーが驚きからか僅かに肩を震わせた。


「今日は2024年、12月15日です」


 冷静に女性へ向けて日付を告げる。


「あぁ、そっか。まだ意識飛んでから2日しか経ってないんだ……。危ない、危ない…………って、うわぁ!? ノクト君、何で此処にいるの!?」


 驚いた拍子に段ボールの山が更なる崩壊を迎える。

 彼女が動き回ったおかげでソファの上だけはかなりスッキリした。

 その代わり、床には目も当てられない惨状が広がっているのだが。


「やっと気づいてくれましたね」


 ノクトは足元に気を付けながら彼女の傍まで歩み寄る。


「貴女に聞きたい話があって来たんです。バベルさん」





「ふぅ~、ある程度は片付いたかな」


 バベルが額の汗を拭う。

 彼女との面会は大掃除から始まった。

 ちなみに、なんて言葉では片付けられない労働量だったことを伝えておく。

 ノクトたちの努力の結果、やっと姿を現したテーブル。それを間に挟む形で2人とバベルは向かい合って座った。


「いやぁ、お恥ずかしい所を見せちゃったね。えっと、私の名前はバベル。この技術開発局の局長をやっているよ。周りからは『塔の魔女』なんて呼ばれ方もしてる。よろしくね」


 バベルが自己紹介を行う。

 プラチナブロンドの長髪に翡翠色の瞳。彼女もまた、モノフォニーと似て人形のように整った顔立ちをしていた。


「君がモノフォニーちゃんだね。ロードから話は聞いているよ」


 バベルはロードリックのことをロードと呼ぶ。

 総監であるロードリックを愛称で呼べるのは技術開発局の局長であるバベル位のものだ。

 彼女の言葉を受けて、隣に座っていたモノフォニーが軽く会釈をする。

 これまでの飄々とした彼女の態度にしては珍しく、何処となく緊張しているように思えた。


「それで……異端者嫌いなノクト君が特例のモノフォニーちゃんを連れて一体何の用かな?」


 皮肉めいた言い回しで話を促され、ノクトは早々に口火を切った。


「バベルさんも「被害者なき殺人事件プール・オブ・ブラッド」についてはご存知ですよね?」

「うん、被害者の血痕だけが現場に残っていて、死体は1つも見つかっていない事件でしょ。勿論知ってるよ」

「その事件について貴女の考えを聞きたいんです」


 ノクトはシアンに染まる双眸をバベルへと向けた。

 ロンドン警備局が懸命に捜査を続けているが、未だに進展は見受けられない。

 これを打破するには新しい視点からの考察が有効だと考えた。バベルは技術者だが『R.I.O.T』を開発した背景から考えて、欲病そのものに対する見識も深いはずだ。

 彼女の考察により、事件解決へと近づくヒントが得られるかもしれない。

 そうした思惑に基づき、ノクトはこの場所へと訪れたのだった。


「……なるほどね」


 話を聞き終えたバベルは顎に手を当てて考える素振りを見せている。

 彼女の翡翠色の瞳は理知的な輝きを帯びていて――。


「時に君たち、欲病についてどこまで知っているのかな?」


 唐突な質問にノクトたちは目を瞬く。


「アカデミーで習ったことは一通り覚えてはいますが……」

「私は自分の病状の範囲でしか欲病を知りませんね」


 各々の反応を聞き、バベルが鷹揚に頷いた。

 そしてどこからともなく取り出したつばの大きな三角帽子と黒いローブを装着して立ち上がる。


「なら、この天才技術者の特別授業といこう!」


 意気揚々と彼女は告げた。

 色々と準備を行うバベルを眺めていると――。


「……ねぇ、我が監視役」


 モノフォニーが服の裾を引っ張り、顔を寄せてくる。


「何だ?」

「あれは何かの仮装かい?」


 彼女はバベルの魔女じみた格好を疑問に思ったらしい。


「いや、あれは機関の制服をローブに改造してるんだ。帽子は格好いいから被ってるって聞いた」

「彼女は今何歳……」

「よせ、それ以上は駄目だ」


 ノクトは咄嗟に言葉を遮った。

 超然とした美しさを持つが故に忘れがちとなるが、バベルはれっきとしたリベリオンの創設メンバーだ。

 12年前よりロンドンを防衛してきたバベル。

 彼女の年齢を推察するに、魔女ごっこに勤しむ年齢でないことだけは確かだった。


「人はいつまでも心に童心を飼っているものだ」

「何だか無駄に壮大な話になってきたね……」


 モノフォニーが苦笑交じりにそう呟いた。





「――まず、欲病というのは精神病の一種でね。様々な出来事を通じて精神に負荷がかかることで発症する」


 ホワイトボードにすらすらと文言を書きつづっていくバベル。


「例えば、事故や事件に遭ったとかの外的要因で発症することもあるし、承認欲求や愛情などの内的要因で発症することもあるね」


 脳内に直近の記憶が過る。

 バベルの説明に当て嵌めると『侵食する恐怖フレキシブル・ホラー』は外的要因、『愛憎』は内的要因によって発症したと考えられる。


「はい、じゃあノクト君に問題。機関は欲病発症者たちにステージという枠組みを設けていますが、実行部隊の鎮圧対象になるのはどのステージからでしょう?」

「精神への負荷を代償に、発症者が抱えている欲望や感情が実際に具象化するステージ3からです」


 突然の出題にも躊躇うことなくノクトは解答する。


「そう、正解。じゃあ次はモノフォニーちゃんに問題ね」

「は、はい」


 指名を受け、少し緊張した面持ちでモノフォニーが背筋を伸ばす。


「ステージ3以上の異端者を鎮圧する時に使用するこの『R.I.O.T』に関して、これは一体どんな仕組みで出来ているでしょうか?」


 バベルは自身の『R.I.O.T』である『No.16:塔』を取り出し、更なる問題をモノフォニーへと繰り出した。

 ノクトは問題の内容を聞いて戦々恐々とする。

 『R.I.O.T』のシステムについてはアカデミーの授業でも触れられることはない。

 その詳細は適合者たちにのみ明かされるからだ。

 故にモノフォニーが正解を導き出すことは不可能に等しかった。

 熟考の末、彼女は降参を告げる。


「――『R.I.O.T』システムはね、人間の脳を模しているんだよ」

「それは、どういう意味です……?」


 バベルの言葉にモノフォニーがやや前傾になって問う。


「そのままの意味さ。『R.I.O.T』システムは異端者のあらゆる情報をラーニングさせた人工知能のことを指す。そしてそれにコード化された特定の電気信号を与え、疑似的な精神負荷をかける――すると人工知能は元となった異端者と同じ権能を発現させる。これがシステムの仕組みだよ」


 「そんなことが……」と、モノフォニーは困惑の色を見せる。

 ――無理もない。最初にこの話を聞いた時は自分も大いに驚いたものだ。


「可能なんだ、この私に掛かれば。まぁでも、このシステムも完璧とは言えないんだけど。理由は簡単。人工知能に与える精神負荷だけでは十分な出力が得られないからだ」


 これまでホワイトボードに書き連ねてきた文章に大きくバツを描くバベル。


「不足分をどうやって補うか。ノクト君、君は知ってるかな?」


 バベルはわざとらしく首を傾げて見せる。

 ――下らない、分かり切った問題だ。

 瞬間的に浮かんだ言葉をため息へと変換する。


「……適合者に対して精神的な負荷をかける、です」


 「大正解!」と、高らかな拍手の音が室内に響く。

 『R.I.O.T』と適合者の精神状況をリンクさせる――そうしてコード化された電気信号によって適合者自身にも精神負荷をかける。

 こうすることで、ステージ3の異端者たちとも渡り合えるだけの出力が得られるのだ。


「つまり私の天才的な発明とノクト君のような適合者たちのおかげで、機関は異端者を鎮圧することが出来るってわけだね」


 晴れ晴れとした顔で説明を終えるバベル。

 何やら酷く満足しているようだが、こちらが知りたいことは何1つとして語られていない。


「あの、バベルさん……。俺たちは「被害者なき殺人事件」についての見解を聞きに来ただけなんですけど……」

「ああ、すっかり忘れてた。私が如何に天才なのかをモノフォニーちゃんに伝えてあげたくてつい……」

「それはもう十分伝わったと思います。なぁ?」


 ノクトは隣に座るモノフォニーへ視線を送る――「俺に話を合わせろ」。

 すると彼女は下手なウインクを返してきた――「任せてくれたまえ」。


「とても興味深い内容でした。良ければ他にも欲病についてのお話もがっ……」


 即座に彼女の口を手で押さえ、強制的にモノフォニーを黙らせる。

 さっきのアイコンタクトがまるで意味を成していなかった。

 異端者相手ならば息が合わないのも当然か。


「この通り、ヘルキャットもバベルさんの偉大さは十二分に理解したそうです」

「そう? なら良かった」


 その反応にノクトは安堵する。

 ――危ない所だった。

 バベルはその童顔に見合わず、一度話始めたら老人の如く延々と話し続ける。そのため終わりの合図はこちらから申し出なければならないのだ。


「それで……「被害者なき殺人事件」について、私の見識が聞きたいと言っていたよね」


 バベルが再び真剣な顔つきとなって話を切り出した。


「率直に言って私から言及できることは無い」

「……え?」


 予想外の返答に思わず間の抜けた疑問符が零れる。


「死体の1つでも見つかればそこから犯人がどんな欲病を有しているのか推測できる。けれど今回の事件ではそれが一切見つかっていない。流石の私でもこれはお手上げだね」


 ――やはり極端な情報の少なさがネックか。

 ノクトの表情に薄い落胆の影が差す。


「あぁ、そう落ち込まないで、話はまだ終わりじゃないからさ」


 軽く笑いつつバベルは言葉を続ける。


「10年程前かな……リヴァプールにある孤児院で奇怪な失踪事件があったらしくてね。一夜にしてそこにいた孤児と職員が忽然こつぜんと姿を消したそうなんだ。孤児院の至る所には飛び散った血痕が残っていて、それが点々とみのる苺のように見えたことから‘‘ストロベリーフィールド’’なんて呼ばれていたりするらしい」


 まばらな血痕と被害者の失踪。

 かなり細い線での繋がりではあるが、被害者なき殺人事件の特徴と似通る部分があった。


「ただ、この話もどこまでが事実か分からない噂話みたいなものだ。実際にそんな事件があったのかさえ不明。過度な期待だけはやめておきなよ」


 バベルから釘を刺される。


「ええ、勿論です」


 ――理解はしている。

 だが、それ以上に今は情報が必要だった。

 ノクトはソファから立ち上がる。


「監視役、もう良いのかい?」


 こちらを見上げて尋ねるモノフォニー。


「ああ、もう十分話は聞けた。ありがとうございました、バベルさん。俺たちは調査に戻ります」


 2人は部屋を後にしようとする。

 また長話に付き合わされても面倒だ。さっさと退散することにしよう。


「――新しいバディは長生きするといいね」


 帰り際に一言。

 バベルが揶揄からかうような声で告げた。


「監視役……?」


 不意に立ち止まったノクトへモノフォニーが困惑に満ちた声を掛ける。

 今、自分はどんな顔をしているのだろう。

 じわりと胸の最奥が痛む。


「……そう、ですね」


 これ以上長居すれば、自分の犯した罪に押し潰されてしまいそうだった。

 ノクトは「失礼します」と、逃げるようにその場を立ち去った。

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