第18話 異端とは何か
ホプキンス生命科学研究所附属病院。
リベリオンが策定するステージ0から2までの欲病患者たちが入院している病院で、リベリオンの異端審問官であるマシュー・ホプキンスが院長を務めている。
そのためリベリオンとホプキンス病院は強固な繋がりを持っており、戦闘で傷付いた審問官たちは主にこの病院へと運ばれることになっていた。
モノフォニーは病室のベッドの上で目を覚ました。
白い照明に目を細めながら周囲を見渡す。
広い病室にはベッドが3つずつ向かい合うように設置されていて、モノフォニーのベッドは入り口から最も遠い窓側に位置していた。
右側のベッドでノクトが寝ている。
彼の眠っている横顔を見て、深い安堵を覚えた。
ベッドから抜け出して体の調子を確認する。幸い、欲病による治癒能力のおかげで外傷は残っていない。体も問題なく動く。
「さて、どうしたものかな……」
モノフォニーは小さく呟く。
その顔は特例異端審問官ではなく、かつて同族狩りとして生きていた時の顔つきをしていた。
虚を突かれたとはいえ反撃する隙もなく意識を刈り取られ、自身の相棒が痛めつけられている間も地面に横たわっていただけという体たらく。
特例として機関に認められているというのに不甲斐ない。
怒りと自責の念が綯い交ぜになった複雑な心情が、モノフォニーの中で渦巻いていた。
「よーっす……って、おいすげぇ怖い顔してんなぁ」
不意に病室の扉が開く。
音も無くスライドした白い扉から現れたのは、オズヴァルド・バーンズ審問官。
灰色髪をベースに赤と黒のメッシュが入った頭髪を持ち、派手髪コンビの片割れを担っている。
「おや、これはこれは……。うら若き乙女のいる病室へノックもせずに入って来るのは頂けないな、オズヴァルド審問官」
顎に右手を添えて、詰るような視線を向ける。
「こりゃ手厳しいな。それよりどうだ、体の調子は? ノクト程じゃないが『狼憑き』に派手に吹き飛ばされたって聞いたぜ」
室内に入り、扉を後ろ手で閉めるオズヴァルド。
彼はモノフォニーの視線を全く意に介していないようで。
「心配は有難いけれど、生憎私は真っ当な人間ではないからね。これくらいなんともないさ」
オズヴァルドから視線を外し、未だ起きる気配のないノクトへと移す。
「そんなことより、監視役の容態は?」
自身の体など医者に見せずとも勝手に修復される。
今気がかりなのは監視役であるノクトの安否だった。
「肋骨が2本折れてたみたいだが命に別状はねぇ。ここには腕利きの治療者がいる。そいつらに見せときゃ、即死以外なら大抵どうにかなるから安心しろ」
「そう……それは良かった」
安堵から、深いため息を零すモノフォニー。
「お前、そんなにノクトのことが気に入ったのか?」
不躾な質問が投げつけられた。
薄々理解していたが、オズヴァルドにはデリカシーというものが無いらしい。
良く言えば裏表のない実直な性格であると表現できなくもないが……まぁいい。
「異端者が異端審問官と仲良くするのは滑稽かい?」
自虐めいた言い回しでモノフォニーは尋ねる。
「いや、むしろ予想通りだ。ノクトは元々、異端者も被害者側だって考えてるような奴だったからな。異端者憎しで仕事してる他の審問官たちからは疎まれてた位だ」
オズヴァルドの言葉を受けて、ノクトが前に話していたことを思い出す。
かつての相棒を失った痛ましい過去。この事件を経て、ノクトの中にあった正義は歪んでしまった。冷徹で非情な人間になろうとした。
モノフォニーから見れば、ノクトはそのどちらにもなり切れていなかったけれど。
「何となく想像できて微笑ましいね」
ぽつん、と猫のように1人でいるノクトの姿が容易に想像できてしまって、何だか可笑しかった。
「アカデミー時代から変な奴だったぜ。デュミナスじゃ異端者は完全な敵として教えられてたからなぁ。その教育方針に反発しまくってたノクトは完全に周りから浮いてた」
「それなのに、君は監視役と友達になったの?」
ノクトとオズヴァルドの関係性を見るに、2人は旧知の仲なのだろう。明らかにオズヴァルドはノクトへ対抗心を抱いているし、ノクト本人はそれに慣れたような対応をしていた。2人のそのやり取りから、共に過ごした時間の長さを感じ取れる。
「友達じゃねぇ。ただ俺が親切で付き合ってやってたんだ。それに、フィルに振り回されてるのを見る分には面白かったからな」
フィル、という名前にモノフォニーは反応する。
監視役であるノクトの相棒だった少女。
彼女については以前から興味があったのだが、過去の事件がある手前、ノクト本人に対して踏み込んだ質問は出来ずにいたのだ。
「――フィル・アシュリーという人物について、良ければ私に教えてくれないかな?」
これを好機だと捉えたモノフォニーは問う。
「一言で表すなら天才だな。リベリオンは異端者より異端じみてるやつらの集まりみたいなもんなんだが、アイツはその中でも飛び抜けてた」
いつもはノクトに対して皮肉めいた言葉を掛けるオズヴァルドだが、フィルに関して彼は素直に賞賛の言葉を述べた。
「大小関係なくどんな欲病関連事件にも首を突っ込んで、片っ端から解決していく……。ロンドンの英雄ってどこぞでは呼ばれてたらしいぞ」
「へぇ……そんなに凄い人だったんだ」
「まぁ、ただアカデミー時代はそんな突出してるイメージは無かったけどな。成績は優秀なんだが、なんかこう……もっと不安定な感じがあったんだよ」
オズヴァルドは悩むような素振りを見せつつも言葉を紡いでいく。
「まぁ、優秀が故に色々と悩んでたみてぇだったからな。それがノクトとバディを組んだことで解決できたんだろう」
オズヴァルドは軽く笑み、過去を回想している風に見えた。彼の脳裏では学生時代の思い出がよみがえっているのだろうか。
「教えてくれてありがとう。君は思ってたより良い人みたいだ」
冗談めかして感謝を告げる。
「あぁ? 俺は元から良い人だろ」
「ふふ、そうだったね」
思わず笑みが零れた。
「……それで、今後の任務はどういった運びになる予定?」
モノフォニーは思考を切り替えた。
自分はラルフに吹き飛ばされた後の展開を知らない。大方の予想は付くものの、今後の方針についての詳細は確認しておくべきだろう。
「ノクトとラルフの会話から、ラルフ・スクリムジョーとシエラ・ロペスは共犯で「
オズヴァルドは淡々と情報を開示していく。
「アンビバレントは引き続き、『狼憑き』とシエラ――『禍喰』の2人の捜索を行うらしい。お前はノクトの奴が目を覚ましてから捜索に合流しろ」
オズヴァルドの説明にモノフォニーは静かに頷きを返した。
「じゃあ、俺はお前らの様子を見に来ただけだからもう行くぞ」
こちらに背を向けて彼は扉に手を掛ける。
不自然に立ち止まったオズヴァルド。それに対してモノフォニーが軽く首を傾げていると。
「……精々、お気に入りなら励ましてやれよ」
そう言い残し、彼は病室を出て行った。
部屋にただ1人残されたモノフォニー。
ノクトは未だ沈黙を貫いている。
きっと、この監視役は目が覚めたら自分のことを責めてしまうのだろう。
――そんな時、私は何と声を掛ければいい?
解の無い思考の渦に、ゆるりとモノフォニーは吸い込まれていった。
病室を出たオズヴァルドは出てすぐ傍にあったベンチに腰を下ろす。
「おい、オズ。何をサボっとるんじゃ」
通路の向こうから、アリアがツインテールを揺らしながら歩いてきた。
そして当然かのようにオズヴァルドの隣に座る。
「ノクトが目覚めるまでの間、モノフォニーの監視は副監視役である我らが引き継ぐことになっていたはずじゃ。それをお主……」
「まぁまぁ、落ち着けよ。俺は何もただサボってるわけじゃない。ちゃんとした意図があってサボってる」
「結局、サボっとるではないか」
鋭い指摘が飛ぶ。
オズヴァルドは一拍置いて、咳払いをした。
「お前も見ただろ、ノクトと『狼憑き』との戦闘記録。あいつは今、笑っちまうほど身も心もボロボロなんだよ」
『狼憑き』に敗北し、『No.11:正義』を奪われたノクト。
今この瞬間、再起不能に陥ってしまってもおかしくはない。
「今のあいつを支えられるのはモノフォニーだけだ」
「どうしてそう思う?」
アリアがこちらの顔を覗き込んできた。
鮮やかな薔薇色の瞳がオズヴァルドの顔を見つめる。
「どんな形であれ今ノクトの隣にいるのはモノフォニーだからな」
彼は穏やかに笑んでみせた。
オズヴァルドは知っている。
フィル・アシュリーの鮮烈な光の影に隠れてはいたが、ノクト・カーライルという異端審問官もまた、英雄に足りうる実力があることを。
今はただ、彼の再起を待つ。
それがアンビバレントの一員として出来る最大限の手助けだった。
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