第17話 脆弱な正義
――リベリオン本部ビル、総監室。
「今の話は本当なのか、バベル審問官?」
プラチナブロンドの髪を有する彼女を見つめ、怪訝な声でそう問うのはロードリック。
技術開発局の局長であり、余程のことが無ければ外に出ないバベルが何故この場にいるのか。その理由は簡潔。彼女が1人の欲病研究者であるからだった。
「私としてもこれは仮説の域を出ません。ですが、これが事実であるとすれば事態は急を要します」
バベルは落ち着いた態度で報告を行う。
「あんたが言うなら基本的に間違いは無いんじゃないすか」
オズヴァルドが投げやりにぼやく。
「じゃが、確かに不可解じゃのう。この少女が使った権能は我らが見たものと同じじゃった」
腕を組んだまま、冷静に見解を述べるアリア。
「至急、2人をノクト審問官たちの応援に向かわせるべきです。私の予想通りであれば、あの少女の護送は一筋縄ではいかないでしょう」
「……ふむ、そうだな」
バベルの言葉を受けてロードリックは首肯する。
「分かった。アリア審問官とオズヴァルド審問官は至急現場に向かってくれ。そしてノクト審問官及びセイラムの護送班と合流、そのまま異端者の護送任務にあたって欲しい」
ロードリックからの指示を受けて、アリアとオズヴァルドは頷きを返す。
「了解」
「了解じゃ」
2人の淀みない返事が総監室に響いた。
「監視役、連絡が来ているみたいだけど?」
モノフォニーがノクトの手元を指していた。
ある種の放心状態に陥っていたノクトはその言葉で我に返り、右手に握っていた端末を思い出したように操作する。
『お、聞こえるか? 俺だ』
電話に出るや否やオズヴァルドの声が聞こえてきた。
しかしながらいつもの軽い調子とは異なり、その声には真剣さが感じられて。
「どうした? 何かあったのか?」
オズヴァルドから電話がかかって来るなど滅多に無い出来事。
つまり余程の緊急事態が発生した可能性がある。
『いや、逆だ。バベルさん曰く、これから問題が起きるかもしれないんだってよ。今から俺とアリアがそっちに合流する。詳しい説明は合流してからだ、じゃあな』
「あ、おい! 切りやがった……」
早々にオズヴァルドからの電話は切られ、端末を耳から離す。
「誰からの電話だい?」
「オズからだ。よく分からないが、今からこっちに合流するらしい。詳しい説明は後でする、とだけ言われて切られた」
「……ふむ。報告の悪いお手本みたいな電話だったんだね」
「取り敢えずこいつを拘束して、護送班とオズたちを待とう」
ノクトはブラックドッグに手錠を掛けるため、その場に屈み込んだ。
たとえ意識が無い状態でも油断は出来ない。故に意識を失っている隙に異端者を拘束しておく必要があった。
「――あれ? ノクトさんとモノフォニーさんじゃないですか」
人気のない広場に声が響いた。
記憶に新しい男性の声。
途端に自身の脳内で警鐘が鳴り始める。
ノクトは声のした方へと恐る恐る振り返った。
立っていたのは鋭利な雰囲気を纏う、赤い長髪を1つに結った男。
「ラルフ・スクリムジョー……!?」
何故ここに、という疑問がノクトの口から出ることは無かった。
次の言葉を発するよりも先に、ラルフがすぐ傍に居たモノフォニーを蹴り飛ばしていたからである。
「……ふぅー」
至近距離で獣の深い息遣いが聞こえた。
警鐘は最大音量。
「審問開始!」
自身の防衛本能に従うまま、即座に『R.I.O.T』を起動。
【
店のガラスを突き破り、壁に背中から激突する。
「かはっ……」と、口から息が漏れ出た。
床に蹲るノクト。
瞬時に目だけを動かして建物内の状況を把握する。
さっきまで一時的に避難をしていたカフェが道を挟んだ向こう側に見えた。
ここにも市民はいない。避難誘導は確実に行われているようだ。
地面に這いつくばった状態で何とか呼吸をしようとするが上手くいかない。代わりに口から出るのは血反吐だけ。
「どうしたんですかノクト審問官。さてはさっきの戦闘で力を使い果たしましたか?」
人狼化を解いたラルフがこちらに迫り来る。
彼の発する言葉も少し遠くに聞こえて。
――はっきり言って限界はとうに越えていた。
リベリオンの審問官たちが使用する『R.I.O.T』には安全装置が設けられており、精神負荷値が一定以上にはならないように設定されている。だが、それではステージ4以上の異端者が出現した際に対処できない。
ノクトが【悪食の悪鬼】との戦闘で用いた【
それは『R.I.O.T』に設定されている安全装置を解除した状態でのみ使用可能となる。『R.I.O.T』の開発者であるバベル曰く、その状態は『
審問官たちの切り札とも言えるその力を使ってしまった今、ノクトはただ気力だけで『R.I.O.T』の出力を維持していた。
「お前が……何でここに……?」
単なる時間稼ぎの質問。
「何故って、簡単ですよ。僕の相棒であるシエラを助けに来たんです」
ラルフはさらりとそう言って、道端で倒れ伏す【悪食の悪鬼】へと視線をやっていた。
ノクトはその青い双眸を見開く。
聞き間違いなどではない。
ラルフの口は確かにその少女の名を紡いでいた。
ロンドン警備局からの報告にあった情報。それを裏付ける発言がラルフから放たれた。
窮地でありながら冷え切った思考回路を用いて、獲得した情報を整理する。
その結果、1つの疑問が過った。
情報が事実であるならば、2年前にフィルを殺害したのがシエラだということになる。だが、それでは時系列が合わない。12年前に孤児であったシエラが今現在も少女の姿をしているはずがないのだ。
「ははっ、不思議でたまらないって顔をしていますね。良いですよ、貴方の時間稼ぎに少しだけ付き合ってあげましょう」
すぐ傍で倒れていた椅子を立て、そこに足を組んで座るラルフ。
「さて、何から話しましょうか。……あぁ、まずは10年前の話からですかね。ストロベリーフィールドの惨劇が起きたあの日。シエラは欲病が暴走し、孤児院にいた人間全てを喰らい尽くしました」
ラルフの口から10年前の真実が語られ始める。
「彼女の欲病――『
ラルフは細くて長い右人差し指をピンと立て――。
「つまり、簡単に言ってしまえば燃費が極端に悪いということ。この性質のせいでシエラは10年前から肉体的な成長が止まっているんですよ」
都合よく、シエラの肉体に関する情報が開示された。
要するにシエラ・ロペスという少女は『禍喰』という欲病を発症し、常時消費し続けるエネルギー量の多さから肉体的成長が止まった。そして、定期的にエネルギーを確保しなければならない身体になってしまったということか。
「じゃあ「
これまでの説明を経て、事件の絡繰りに気付いてしまったノクトは絶句する。
「ええ、お察しの通りですよ。僕が殺した事件の被害者は全員、シエラを生かすための犠牲となりました。仕方なかったんですよ。シエラの胃は『禍喰』によって変質し、人間の血肉以外では殆どエネルギーを得られないものになっていたんですから」
その無機質な声音に背筋が冷える。
「被害者なき殺人事件」は2人の異端者によって引き起こされたのだ。
1人が殺し、1人が喰らう。
そんな特異な協力関係がこの事件の真相。
「どうして、人を殺してまでシエラを生かそうとするんだ……?」
確かに、以前ラルフはシエラのために何もしてあげられなかったことを悔いていた。けれどそれが何故ここまで歪んでしまったのか。ノクトには理解できなかった。
「……復讐ですよ」
酷く静かで、怒気を孕んだ声。
「貴方たちのような人間が蔓延る世界に対する復讐……。異端者を忌避し、排除しようとする既存社会の殺害。それが僕たちの目的です」
そう言ってラルフは椅子から立ち上がった。
「さて、時間稼ぎは出来ましたか?」
彼の肉体が再び人狼の姿へと変化していく。
もう会話は望めないのだろう。
ノクトは【断罪の鍵】を杖替わりにして立ち上がった。まだ全身の痛みは引かない。だがそんな言い訳をしている場合では無かった。
「お前は、ここで捕らえる……!」
力が入りきらない状態で剣を構える。
「そんな傷ついた状態じゃ、何も出来ませんよ。ちゃんと自覚した方が良い。貴方にはもう、身代わりとして犬死にしてくれる相棒などいないのだから」
しゃがれた声で異端者は宣った。
体の内から爆発するように体温が上昇する。
フィルを侮辱したこの異端者に対する怒りで脳内が満たされる。
理性よりも先に衝動で体が動いていた。
ノクトは剣を振り翳す。依然として余裕そうな態度を崩さぬ『狼憑き』に向けて。
「無謀、軽率、浅慮。非常に残念だノクト審問官」
剣はいとも容易く弾かれた。力量の差は圧倒的。
「だから何だ……! 俺は……『正義』だ!」
今は亡き相棒の面影が過る。
――彼女の背中を追いかけてきた。憧れた正義のヒーローとなるために。
「……うあああぁ!」
気勢を発し、『狼憑き』に迫る。
諦め悪く剣を振るい続ける。
何度も、何度も振るう。
剣を、己の『正義』を振り翳す。
しかしながらその刃がラルフへと届くことは終ぞあり得なかった。
「気は済みましたか?」
人狼の拳によって【断罪の鍵】をへし折られ、ノクトはその場に倒れ伏した。
『R.I.O.T』――『No.11:正義』はカードの姿へと戻っていく。
床に落ちたそれを拾い上げたラルフが、興味深そうに『No.11:正義』を見つめていた。
「返せ……!」
もはや使い物にならなくなった四肢を無様に動かすノクト。
自身の『正義』を奪い返さんとラルフに近づく。
「残念ながら、貴方が翳す正義では僕たちには勝てません。この腐りきった世界では異端者が悪だ。――良いですか、絶対的な悪に勝るのは妄信的なまでの善だけです。間違っても、貴方の掲げる脆弱な正義ではない」
ラルフはノクトに背を向けて立ち去ろうとする。
「……待て」
無力で非力な腕を伸ばす。
「待てません。僕達はこれから忙しいんです。もう準備が整いましたからね」
「何をするつもりだ……?」
「言ったでしょう。殺すんですよ、この間違いきった世界を。楽しみにしていて下さい。血と欲に塗れた祭典、【
後ろ手をひらひらと振り、その場を後にするラルフ。
彼の後ろ姿がノクトの見た最後の光景だった。
――『禍喰』、そして『狼憑き』との邂逅。
これを機にノクト・カーライルは全てを失った。
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