第19話 憧憬。その背を追いかけて

 正義のヒーローに憧れた。

 困っている人のもとに颯爽と現れて悪を打ちのめす。

 どんな危機であっても皆を助ける、そんなヒーローに憧れていた。


 自分にとってのヒーローは同い年の少女だった。

 フィル・アシュリー。『R.I.O.Tライオット』システム『No.8:力』の適合者にしてノクトの相棒。

 純粋な対異端者戦闘においては彼女の右に出るものはおらず、異端者鎮圧数は機関の中でも堂々のトップ。

 同じ異端審問官たちからも一目置かれる存在だった。

 そして、その同期としてリベリオンに加入したノクト。

 彼は常にフィルと比較されていた。ノクトもまた理解していた。彼女との圧倒的な力の差を。


「――それは違う。私は君と一心同体。比べること自体がおかしな話だよ」


 フィルはそう言って微笑みを向ける。

 ――そうだ。フィルは自分にとっての憧れであり、最初で最後の相棒。

 それを自分のせいで失った。

 自身の愚かしい行動で彼女を失ったのだ。

 フィルの死は機関だけでなく、人類にとって大きな損失だっただろう。

 日に日に増えていく異端者たちによる被害。フィルがいなくなり、代わりに残ったのは役立たずの自分だけ。

 その現実は知らず知らずの内にノクトの心を痛め続けていた。

 どれだけ自分を欺こうとも、心の奥底に根を張った罪の意識だけは消えることはない。


 本当の罪人は己だというのに。

 何を理由に「正義」を振りかざせばいいのだろう。

 何を以て、異端者の罪を裁けるのだろうか。





 ゆっくりと目を開いた。

 朧げな視界が段々と明瞭になっていく。


「やぁ、監視役。随分と遅いお目覚めだね」


 玲瓏な声が聞こえた。声のした方を向くと、隣のベッドに腰かけてこちらを見つめるモノフォニーがいた。


「ここは……」

「ホプキンス病院だよ。『狼憑きウェアウルフ』と接触した後、私たち2人はこの病院に運ばれたんだ」


 ぼんやりとした頭で状況を理解する。

 ラルフ・スクリムジョー、もとい『狼憑き』に叩きのめされた記憶が蘇った。

 途端に鋭い痛みが頭に走る。


「アンビバレントはラルフとシエラの捜索を続行するそうだ。私たちもそれに合流するようにと言われた。勿論、監視役の身体が完全に回復してからの話だけれど」


 ノクトはその言葉に顔を歪める。

 モノフォニーがそれに気づき「監視役?」と、心配そうな視線を向けてきた。

 どんな時でもこちらを気遣うようなその態度が、今は酷く心を締め付けてやまない。


「無理だ……」


 振り絞るような、掠れた声で呟いた。


「無理、ってどういう……」

「ラルフに『R.I.O.T』を奪われた。今の俺は何の役にも立たない」


 『R.I.O.T』は強大な異端者に対抗するための唯一の手段だ。それを失ってしまった今、ノクトにはどうすることもできない。

 ラルフはシエラと共に既存社会の殺害を謳っていた。

 彼らの策略を防がなければ、きっと甚大な被害が出る。

 だが、それを止めるための力はもう自分には無い。

 全てを失ったノクトにはもう、何も残ってはいなかった。


「――それは違うはずだ」


 モノフォニーの凛然とした声が響く。


「君にはまだ、かつての相棒の遺志が残っている。君は憧れていたんだろう? フィル・アシュリーという英雄に。彼女はどんな状況であっても人を助けようとする。自身の命をなげうってでも人々を守ろうとするはずだ。それは異端審問官だったからじゃない。フィル・アシュリーという人間だったから成し得た行動だったはずだ。君は彼女のそんな雄姿をすぐ隣で見続けていたんだろう? なら――」


「お前に何が分かる!?」


 思わず声を張り上げていた。

 感情に任せて怒鳴ってしまっていた。


「お前に……一体何が……」


 ノクトは力なく呟く。

 言われなくとも理解している。

 フィルという人間の勇敢さを、その愚かさを、世界の誰よりも深く理解しているのだ。


「私には何も分からない」


 抑揚の無い声でモノフォニーは告げた。

 予想外の答えに思わず彼女の顔を見つめる。


「フィル・アシュリーについて、私は人から聞いた情報しか知らない。けれど君は違う。だから言っているんだよ。君はいつまで彼女からの信頼を裏切り続けるつもりなのかと」


 モノフォニーの鮮やかなワインレッドの瞳は、ノクトの心の奥底まで見透かしているようだった。


「我が監視役は優しい人間だ。かつての相棒を失ったその日から、君は恐れるようになったんだろう。自分の選択によって他の誰かが傷ついてしまうことを。現に、「被害者なき殺人事件」は君が2年前に救おうとした『禍喰』が関係していた。そうした事態が起きないために、君は異端者に対して冷酷でいる事を己に強いた」


「違う、俺はただ……臆病なだけで……」


「ああ。臆病でもあるんだろう。けれど、それでも貫き通そうとしていた正義が確かにあったはずだ。その優しい正義を掲げる君を、フィルは信頼していた。ノクト・カーライルという男が掲げた正義の下でなら、自身の力を存分に振るえると……きっと彼女はそう思っていたはずだ」


 彼女の言葉は段々と熱を帯びていって。

 モノフォニーの言う通りだった。

 フィルは自身が持つ強大な力を恐れていた。「私は自分自身を信じきれない」と、彼女はよく口にしていた。どこかで力の使い方を誤ってしまうのではないかと危惧していたのだ。

 だから自分はフィルの相棒として、彼女の指針となることを選んだ。

 「正義」と「力」。

 2人が揃って初めて最高のヒーローへとなり得る。

 ノクトは自身の左手を見た。その人差し指にはフィルから託されたカーネリアンの指輪が嵌められている。

 この指輪の正体には、とうに気が付いていた。

 ――『R.I.O.T』システム『No.8:力』。

 それは機関の英雄と謳われた審問官、フィル・アシュリーが所有していた物である。

 フィルはこれをカード型の状態ではなく、指輪の形へと変質させて所有していた。彼女曰く「カードだとすぐ何処かに失くしちゃうから」という理由。

 そんな馬鹿げた理由を知っていたのは、機関の中でも相棒だったノクトだけ。故にラルフと対峙した時にも奪われることは無かった。


「その指輪は相棒の忘れ形見だったね」


 指輪を見つめたままのノクトにモノフォニーが問う。


「ああ。この指輪が『No.8:力』で、フィルの適合した『R.I.O.T』だ」


 指輪の秘密について告げると、モノフォニーはどこか納得したような表情を浮かべた。そして彼女は弾かれたように立ち上がる。


「なるほど、ようやく理解したよ。君の特異体質とやらを」


 モノフォニーがピンとその白くて細い指を立てた。


「我が監視役、君は2つの『R.I.O.T』の適合者だったんだね」


 どうやら彼女はノクトの体質の真相に辿り着いたらしかった。伊達に天才美少女吸血姫を自称していない。

 その指摘通り、ノクトは2つの『R.I.O.T』に適性を持っていた。

 基本的に1人の人間が適性を得られる『R.I.O.T』の数は1つだけ。

 しかしノクトは違った。

 バベルが規定している適合率の合格ラインは90%以上。彼の『No.8:力』との適合率は91%、『No.11:正義』との適合率は95%だった。

 こうして2つの適性を得たノクトだったが、それと同じレベルの異常事態が起きる。

 原因はフィル。

 彼女の『No.8:力』との適合率は99%。リベリオン発足以来、最高適合率を記録したのである。

 この事態を受けてバベルはフィルを『力』の適合者、ノクトを『正義』の適合者に選出したのだった。


「仮に、監視役が二重適合者でなければ、未だにそれを所有していて良いはずが無い。幾ら亡き相棒の形見とはいえ、元の所有権は機関にあるからね。機関が新しい適合者を発見したなら『力』はその人間に引き継がれるはずだ。だから他に適合者が見つかるまでの間だけでも、その指輪を所有させて欲しいと頼んだ。違うかい?」


 モノフォニーは自身の推察をすらすらと述べ立てた。

 もう全て、彼女には見通されてしまっている。これ以上の言い訳は意味を為さないだろう。


「ああ。全部お前の言う通りだ。適合者自体はそう頻繁に現れるものじゃない。だから次の適合者が現れるまで、俺がこいつと一緒にいられるようにバベルが配慮してくれたんだ」


 機関の目的は人類に仇なす異端者の殲滅。そこに私情を挟むべきではない。

 けれど、これだけはどうしても譲れなかった。

 大切な相棒が遺した指輪を簡単に手放せという方が無理な話だったのだ。

 淡い輝きを放つ指輪をそっと撫でる。


「それで……我が監視役はこれからどうするつもりなのかな。その指輪を託されたのは他でもない君だ。これ以上、彼女からの信頼に背き続けるのかい?」


 モノフォニーからの言葉はノクトの目を覚まさせた。

 ――そうだ。誰よりも尊敬していたフィルが、信頼してくれたのは自分だった。

 そんなこと、ずっと前から知っていたことだろう。


「……そうだな」


 自分に残っている物を確かめるように左の手を固く握りしめる。


「フィルみたいに全部を救うことは出来ない……。だけど、届くなら全力で手を伸ばしたい」


 傍に立つ異端者の少女へと視線を注ぐ。

 血に染まったような彼女の紅い瞳を見据えて――。


「力を貸してくれ、モノフォニー」


 初めて彼女の名前を呼んだ。

 信頼に値するバディの名を。


「――仰せの通りに。君の頼みとなれば、文字通り心血を注いで望みに応えよう」

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