第27話 其は神の被造物

 ――『塔』の魔女。

 そんな呼び名が使われるようになったのは何時からだろうか。

 欲病研究の第一人者であり、『R.I.O.T』システムを開発した優秀な科学者であるバベル。その人並外れた頭脳と功績から彼女はいつしか魔女と呼ばれるようになっていた。


「さて、久々の野外活動と行きますか~」


 上方に背筋を伸ばし、彼女は自身の『R.I.O.T』をローブのポケットから取り出す。

 『No.16:塔』――それがシステムの生みの親であるバベルの『R.I.O.T』。

 その出力規格は他の『R.I.O.T』とは一線を画しており、最大限彼女の権能を発揮できるように適合化されている。


「審問開始。『塔』は天高く聳え立つ」


 強大な力を有するバベル。

 けれど彼女が表立って異端者と戦闘をする機会は少ない。

 それは彼女が研究職畑の人間であることが主な理由で、欲病の研究や『R.I.O.T』システムの定期的なメンテナンス、巡視ドローンの改良等で多忙を極めているからだった。

 それ故、彼女の力について詳細を知る者は少ない。

 バベルは自身の左目を手で覆い隠し、右目だけで空を見上げた。

 赤い空に浮かぶのは1台の巡視用ドローン。


「【其は神の被造物オールクリエイション】」


 バベルは権能の1つを発動させた。

 【其は神の被造物】――それはバベルが片方の目だけで認識したあらゆる機器と同期できる権能。

 今、彼女は巡視用ドローンと視界を共有している状態にある。

 ドローンは更に空高く飛び上がり、映し出す範囲を拡大させた。

 上空からロンドンの全域を俯瞰する。

 赤い瘴気が覆っている範囲及び、瘴気の影響を受けた市民たちの姿を確認。

 バベルは口の端を吊り上げた。

 【其は神の被造物】の力はここから真価を発揮する。

 視界内に存在する全ての機器との同期。この権能はドローン越しの映像でも効果を発揮する。さらに、同期する機器の数に制限はない。


 自動車。


 携帯電話。


 信号機。


 パソコン。


 ネオンサイン。


 無線機。


 スピーカー。


 ドローンが映し出した、ありとあらゆる機器との同期を無際限に行うバベル。

 常人なら脳が焼き切れるだけの情報量を処理する。

 そして獲得した情報をもとに効果範囲を指定、彼女はもう1つの権能の使用に至った。


「――■■■」


 バベルの発した音を言葉と認識できる人間は存在せず。

 それはただの音として世界へと響き渡った。

 彼女が用いた権能の名は【言語起源410_Gone】。

 この権能によって、バベルは遥か昔に存在したとされる言語を使用することが可能となる。

 始まりの言語が、バベルと同期された電子機器を通じて狂暴化した人々の耳へと届いた。

 すると人々は時が止まったように動きを止め、魔法にかけられたように昏睡する。

 それは他者に行動を強制する力ではない。

 もっと本質的で根源的な何か。

 分割される前の言語には、世界そのものへと干渉する力があった。


「ふぅー、お仕事完了っと。後は頼みましたよ、ロード……」


 今一度大きく背を伸ばし、彼女は軽く欠伸をする。

 機関内で最も動かない彼女の異端者鎮圧。それがたった今終了した。





『巡視ドローンの映像より報告。バベル審問官により、瘴気の範囲内にいる市民たちの無力化に成功しました』


 新たに結界運営局からの報告を受けたロードリック。

 広範囲に存在する飢餓状態に陥った市民の無力化。それをいとも簡単にバベルは達成して見せた。

 ならば今度は自分が職務を全うする時。


「分かった。後は任せてくれ」

『はい、ご武運を』


 通信を切り、ロードリックは街に漂う赤い瘴気を見つめる。

 瘴気のみを風によって上空へと浮かし、その後焼却する。

 かなり緻密な操作が必要となるが、黒霧災害の時に比べればまだ小規模だ。

 息を短く吐き、彼は『R.I.O.T』を取り出す。


「審問開始。『皇帝』は君臨する」


 ロードリックが適合した『R.I.O.T』システム、『No.4:皇帝』。

 それは火、水、地、風の四元素を司る力。

 至極シンプルな権能ではあるが故に、その強さは適合者の技量に依存している。


「【風を廻す者テスカトリポカ】」


 彼は威厳に満ちた声で、ある神の名を告げた。

 この言葉コードを受けて、四元素の風を操作する権能が発動される。

 ロードリックの肉体を微弱な風が覆い始めた。それは微小な有害物質を全自動で除外する機能を持つ。

 風の防護服を纏ったロードリックは瘴気の中心へと向かって歩き始めた。

 彼を中心としてロンドン全域に風が吹き荒れる。

 1つ1つの小さな風を操作し、それをより大きな風へと編んでいく。

 そしてそよ風はやがて全てを攫う突風へと変化した。

 微細な操作を経て、赤い瘴気を上空へ運ぶ。

 1つも取り溢さぬよう、全てを風に巻き込んで。

 瘴気が上空に巻き上がったことを視認し、ロードリックは元素の切り替えを行う。


「【火を産む者テスカトリポカ】」


 再び、強大な神の名を呼ぶ。

 刹那、空一面を覆う程の爆炎が咲いた。

 猛々しい炎が赤い瘴気を喰らい尽くし、【過食気味な血液】の全てを焼き尽くした。

 焼け焦げたような異臭が鼻を衝く。

 雪に交じって振り散る火の粉を前に、ロードリックは瘴気が完全に消失したことをその目で確認した。


「お疲れ様です、ロード」


 振り向くと、バベルが黒いローブを揺らしながらこちらに歩いて来る。

 その顔に疲弊の色は一切なく。

 彼女にとってはこの任務も大した仕事では無かったようだ。


「ああ、バベル審問官もよくやってくれた」


 『R.I.O.T』を懐に仕舞いつつ、ロードリックは彼女に労いの言葉を掛ける。


「想定していたとは思いますが、英国政府からのお知らせです。機関の責任者2名による無許可での出撃……今回の一件が終わり次第、キツめのお叱りがあるんですって」

「知ったことか。好きに言わせておけばいい。この緊急事態にさっさと連絡を返さないあいつらが悪いんだ」


 不機嫌さを隠すこともせずにロードリックは文句を垂れる。


「まぁ、ロードならそう言うと思ってました。ですが自由に行動出来るのもここまでみたいです。これ以上は機関の存続そのものに関わってきてしまいますから」


 伏し目がちにバベルが告げた。

 これ以上なく顔を歪めるロードリック。

 リベリオンという組織は英国政府からロンドンの治安維持を委託されている身だ。単純な上下関係に当て嵌めるのであれば、英国政府の方が機関よりも上。

 故に機関の長たる総監と言えども、英国政府に許可を得ていない身勝手な行動は許されない。

 リベリオンの今後を考えると、業腹ながらこれ以上の独断行動は控える他なかった。


「そんなに怖い顔をしないで下さいよ。他の審問官たちも今こちらに向かっています。それに……ノクト君なら大丈夫です」


 見え透いた気休めだった。

 しかしながら、今はノクトたちを信用するしかない。

 彼らがラルフ・スクリムジョーを鎮圧してくれることを願うだけ。機関の長であるが故に、他者の露払いしか出来ない不甲斐なさ。

 それが今、酷く身に染みる。


「……人の上に立つというのは、気分の悪いものだな」

「だから、貴方が背負う覚悟をしたんでしょう?」


 ロードリックは小さく息を吐いて。


「ああ」


 そう短く答えたのだった。

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