R.I.O.T ~異端審問を開始する~
南雲虎之助
序章
序章
暗黒の空に浮かぶ白月。その淡い光の下で血は飛沫を上げる。
沈黙を吐き出す死体。
立ち込める鉄の匂い。
本能を抑えきれなかった。
鋭い牙を肉へと突き立てた。口の中に広がる鮮血とむせ返るような鉄の匂い。
その酷い感覚が、自身が獣である事を明々と告げる。
だが、それでよかった。
皆、薄い皮膚を一枚剥がせば薄汚い本性を隠し持つ獣なのだから。
月を見上げ、獣は息を吸う。
冷え切った酸素を肺に詰める。そして、唸った。
二声三声咆哮を上げて、獣はその場を去る。
残ったのは
――イギリス、「魔都」ロンドン。
「ノクト審問官、間もなく現着します」
巧みな手捌きでハンドルを切る若い警官が告げる。
青色の警光灯を明滅させた警察車両は逆行する他の車たちの間を抜け、現場であるピカデリー・サーカスへと到着した。
ドリフト気味に停車した車両から飛び出すように降りるノクト。
現場の大まかな状況は結界運営局によって既に知らされている。
『ピカデリーサーカスにて欲病発症者を確認。付近の審問官は直ちに現場へ急行せよ』
『欲名:『
機関から支給されている携帯端末へ届いたメッセージにはそうあったが――。
ノクトは素早く周囲の状況を把握する。
報告の通り、ピカデリー・サーカスに市民の姿はなかった。
いつもは賑やかしい広場に静寂が漂っている。
「…………あ、ああ。違う……違うの…………」
――小さな声を聞きとる。
声の発生源へと視線を向けると、広場の象徴とも言える彫像の下で
彼女のすぐ傍には、上半身の吹き飛んだ死体が転がっている。
「お前が『愛憎』だな」
ノクトは声を掛けた。
すると女は弾かれたように顔を上げ、潤んだ瞳を向ける。
端正な顔立ちをしたうら若き女性。しかし、その白い首筋には禍々しい刻印が浮かんでいた。
僅かな時間で必要な情報を取得する。
肉体に浮かび上がる赤黒い印、それは異端者の証だ。一般的に
「本名はミア・ローレンス。自身の愛憎の念を対象に注ぎ、それが一定を超えると爆発となって現れる欲病……。お前はその力を使ってこれまでに3人、今回で4人を殺害している。何か訂正はあるか?」
ノクトは淡々と異端者の罪を明かしていく。
「……違う、私はただ人を好きになっただけ…………!」
震える声でミアが訴える。
しかし、ノクトはその凍ったようなシアン色の双眸を向けるだけだ。
「その言い訳は初犯の時にするべきだったな。4人目ともなれば、自身がどんな欲病の持ち主なのか嫌でも理解できたはずだ。それにも関わらず、懲りずに暴発する愛を育んだお前は立派な異端者……審問対象だ」
ノクトは流れるような動作で懐から『
そしてそれを左腕に装着した認証デバイスへと
「――審問開始。『正義』を執行する」
『R.I.O.T』と音声による二要素認証によりシステムは出力を開始。『R.I.O.T』が光の粒子へと変換され、光はやがて剣の形を成した。
『【
無機質な機械音声が出現した剣の名を告げる。
「いや……やめて! 来ないで!」
歪な刃を見るや否や、ミアはノクトに背を向けて逃げ出した。
長いブロンドの髪を振り乱して無様に駆ける異端者。
ノクトはそれを見据え、両足に力を込めた。
ステージ3以上の異端者を鎮圧するために開発された『R.I.O.T』システム。その基礎的な機能は使用者の身体能力の上昇だ。
故に、短い距離であれば瞬時に間合いを詰めることが可能。
地面を強く蹴ったノクトはミアの背中へと追いついた。
「ひっ……!」
声にならない悲鳴が上がる。
ノクトはそれを無視して【断罪の鍵】を異端者の背中へと突き刺した。
「安心しろ、この剣に殺傷能力は備わっていない」
うつ伏せで倒れ込むミアに向けて告げる。
【断罪の鍵】の権能は罪人の拘束。この剣による攻撃を受けた者は肉体がその場に固定される。自身が犯した罪の重さをその身に背負わせる、それがこの剣の力だった。
「やめて……やめてよ……」
目に涙を湛えて彼女は弱々しく呟く。
だがノクトの反応は依然として酷く冷ややかなもので――。
「……悪いが、それだけはできない」
取り出した抑制剤――ファルマコンを一切の躊躇なくミアへと打ち込む。
「ぐぁあ……!」
ミアの表情が苦痛に歪んだ。そして次の瞬間に彼女は意識を失う。
痛みに耐えられぬ人間では意識を保つことすらできないのだ。
異端者の一時的な無力化に成功したノクトは静かに立ち上がる。
ふと視線を感じ、空を見上げた。
そこには巡視用ドローンが浮かんでいて、備え付けられたカメラをこちらに向けている。
結界運営局が管理する巡視用ドローン。
ロンドン内でのパトロールが基本的な機能であり、異端者との戦闘を記録する役割も担っている。
遠くでサイレンの音が響く。
ドローンで記録された映像はリアルタイムで結界運営局に送られる。それを受けて運営局は各施設や部署への連絡を行うのだ。
恐らく、もう既に各所への連絡が済んでいるはずだ。
じきにホプキンス生命とセイラムの護送班がやって来るだろう。
「お疲れ様です、ノクト審問官」
不意に背後から声が掛けられた。
振り返ると、あの若い警官がこちらに向かって歩いてきていた。
「……ありがとうございます。貴方のおかげで被害は最小限に抑えられました」
ノクトは『R.I.O.T』を仕舞いつつ頭を下げる。
彼の類稀なる運転技術が無ければ現場への到着が遅れ、市民への被害が出ていたかもしれない。今回の功労者は彼だ。
「そう言って貰えると励みになります。あ、忘れないうちに手錠を掛けておきますね」
警官は倒れ伏したミアのすぐ傍まで行き、その場で片膝を突いた。
そして彼女の華奢な手首に手錠を掛ける。
「少しだけ、心が痛みますね……」
おもむろに警官が呟く。
「いや、彼女が4人も殺した犯罪者だって事は理解しているんですが……。でも、欲病さえ患っていなければ普通の女性だったんじゃないかって思うんです」
そう語る彼の表情は悲痛な色を滲ませていた。
「……ノクト審問官の噂は警備局の方でも有名です。機関の中には異端者に一切容赦しない冷徹な審問官がいると」
「……何が言いたいんです?」
思わず刺々しい声が漏れた。
ヘーゼル色をした警官の瞳がこちらを真っすぐに見据えている。
「純粋な疑問です。何故、貴方は異端者に対してそこまで非情になれるんですか?」
彼の疑問は至極当然な物だった。
異端者という俗称が知れ渡ってはいるが、欲病発症者は非発症者と同じ人間だ。
ノクトはそんな彼らに剣を突き刺し、苦痛を伴う抑制剤を躊躇いなく打ち込んでいる。
非情だと非難されれば返す言葉もない。
しかしそれは誰かがやらねばならない事だ。隙を見せれば、それは致命傷となりかねない。
昏い記憶がノクトの頭に過る。
「それは……」
口の中が渇き、声が僅かに震えた。
「俺がどうしようもなく臆病で、弱いからです」
ノクトはただ一言を残し、足早にその場を後にした。
彼を追いかける者は誰もいない。
言葉の真意を理解する者はいない。
――意味など伝わらなくていい。むしろ、伝わらない方が良い。
ただ自分にそう言い聞かせた。
異端審問官ノクト・カーライル。
市民の安寧を脅かす異端者を殲滅する事が彼の使命である。
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