終章

終章

 事件が終わり、幾らか平穏な日々が戻ってきて数日。

 色褪せた赤レンガ造りのフラット。

 その自室にて、早朝から来訪者を告げるベルが鳴った。


「やぁ、我が監視役。今日も良い朝だね」

「お前のおかげでいつもより20分も早く起こされていなければ、とても気持ちの良い朝だったな」


 そんなノクトの小言も彼女には届いていないようで。

 モノフォニーは許可も無く部屋へと入り込んでくる。

 それでも血で合鍵を作って侵入されるよりはまだマシか。

 ノクトはその足でキッチンに向かい、コーヒーを淹れる準備に取り掛かる。

 ポットに入れた水を火にかけ、棚からフレンチプレスを取り出した。


「それより監視役、何か気付くことはないかい?」


 着々と準備を進めるノクトの背に声が掛けられる。

 振り返ると、黒いプリーツスカートの端を摘まんでみせるモノフォニーがいた。

 貴族然とした優美な動作。

 そう言われて初めて、彼女が機関の制服に身を包んでいることに気が付いた。

 黒を基調とした軍服風の制服。リベリオン内では珍しく、軍帽まで付いているタイプだ。


「どうだい監視役。この制服、とても似合っているだろう?」


 モノフォニーがくるりと旋回すると、彼女の輝かしい銀髪とスカートがふわりと舞った。

 まるでトップモデルのような華やかな身振りで全身を隈なく見せつけてくる。

 行動の節々から嬉しさが滲み出ていた。


「……ああ。似合ってる」


 彼女が子供みたいにはしゃいでいるものだから、つい率直な感想を口にしていた。

 きっとプレゼントを貰って喜ぶ我が子を見る親はこんな気持ちなのだろう。

 微笑ましい気持ちでモノフォニーを見つめる。

 しかしノクトからの感想を受けたモノフォニーは、信じられないとでも言いたげな様子で両目を見開いていた。


「何だその天地が2、3回ひっくり返ったような顔は?」


 ノクトは怪訝な顔で尋ねる。


「いや、君が素直に褒めるなんて気持ち悪いと思ってね」

「もう二度と、何があっても褒めないからな」

「ちょっとした冗談じゃないか。そんなに怒らないで?」


 胸の前で手を合わせ、小首を傾げるモノフォニー。

 あざとく、狡いくらいに可愛らしい動作。

 それは自身の外見を完全に理解した者の動きだった。

 鼻から軽く息を漏らす、ふざけるのもここまでだ。


「それより、お前も機関に正式加入したんだ。俺はもうお前の監視役じゃない」


 モノフォニーは今回の活躍を踏まえ、晴れてリベリオンにその存在を認められた。

 それ故ノクトは彼女の監視役の任を終えることになる。

 そのため監視役という呼び名はもう使えない。


「だから、これから俺のことは名前で呼んでくれていい」


 そう言ってモノフォニーへと視線を向けると、彼女は軽く俯いてその銀髪を指で弄っていた。


「何を照れてるんだ?」


 耳の先が僅かに紅潮しているのを見て取ったノクトはモノフォニーへ問う。

 彼女のこんないじらしい反応は初めて見た。


「ば、馬鹿を言わないでおくれよ!?」


 ノクトからの指摘にモノフォニーが反発する。

 そして、白くて細い指を所在なく絡ませている。


「い、いやぁ……違うんだ。君のことは最初から監視役と呼んでいたし、それに慣れちゃったからね。今更名前で呼ぶのはこう、少し気恥ずかしいというか……」


 小さな声で歯切れ悪そうに言い訳をするモノフォニー。

 そんな彼女の姿はとても物珍しく、もはや愉快にも思えた。

 ノクトは良い機会だとでも言わんばかりに意地悪い笑みを浮かべる。


「何を恥ずかしがってる? 気持ち悪いぞ」

「なっ……この可憐な少女である私に向かって何て言葉を!?」

「ほら、浮かれてないでちゃんと準備しておけよ。後で本部に行かないといけないんだから」


 ノクトは未だ文句を垂れ続けている彼女へと注意を促す。

 今日はモノフォニーの正式な加入にあたり、様々な手続きが残っている。前監視役であるノクトはその付き添いを行うことになっていた。


「分かっているとも。……ノクト、審問官」


 酷く違和感の残る口ぶりで、彼女はノクトの名を呼ぶ。

 最初期に自身の愛称呼びを強制しようとしていた者とは思えない。


「まぁ、好きに呼んでくれ」


 朗らかな表情でモノフォニーへとそう声を掛けた。





 リベリオンの本部ビルへと向かうその道中。

 閑静な朝は過ぎ去って。

 2人は全力で走っていた。


「おい、モノフォニー! お前のせいで遅刻だ! 20分も早く起こされたはずなのに、だ!」


 束の間の平穏を取り戻したロンドンを駆けるノクト。

 その横には輝かしい銀髪を揺らして共に走るモノフォニーがいた。


「あれは事故だろう!? 私のせいじゃないよ!」


 彼女は勢いを以て反論する。

 しかしながらノクトはそれに首を横に振った。


「事故だったとしても大事故だ、あれは! 危うく俺の部屋が黒焦げになる所だったんだぞ!?」


 今朝方の大惨事が脳裏を過る。

 モノフォニーにキッチンの火を見ているように頼み、自室へと一度戻った時。

 「あ!」と、モノフォニーの驚く声が聞こえたのだ。

 それが妙に迫真だったため、急いでリビングへと戻ったノクト。

 彼はそこで炎に包まれたキッチンを見た。

 一瞬の出来事。何が起きたのか理解するのに時間を要した。


「ああ、えっと、これは……どうしたらいいんだっけ?」


 人形のような端正な顔で、曖昧に笑うモノフォニー。


「水!」


 ノクトは火の下に駆け寄り、蛇口から流れる大量の水を被せた。

 しかし火は依然としてその勢いを保っていて。


「クソ……! 火が強すぎる!」


 消火器は何処だったか。

 ほとんど審問官の仕事で、部屋には寝るためだけに帰る日々。

 消火器の位置すら把握していないとは。

 自分のことながら危機感が無い。


「あ、そうだ!」


 文字通り火急の事態を前にして、沈黙していたモノフォニーが不意に声を発する。


「離れて、監視役!」


 彼女は両手を燃え盛る業火へと向けて、大量の血液を放出した。

 血液操作の権能を用いて、火を覆い隠す。

 そして凝血。

 凝固した血液が空間を密閉し、火の根源である酸素を奪い尽くした。

 血の焦げた異様な匂いが鼻を衝く。


「ふぅ~、危ない所だったね」


 わざとらしく額を拭うモノフォニー。

 そんな彼女にノクトは冷めた視線を送る。


「うん、まぁ、言いたいことは分かるよ監視役。けれどね、一度時計をご覧よ」


 白く細い指が壁に掛けられた時計を指した。

 時刻は7時48分。

 何処か既視感を感じるこのやり取り。



 ――そして、時間は現在へと舞い戻る。



「機関の制服に気分が舞い上がって小躍りをしていたら、キッチンの戸棚を倒して油に引火。危うく一室が全焼の危機。こんな馬鹿な報告をしなきゃならない俺の気持ちにもなってくれ……」


 自分でも言っていて段々と馬鹿馬鹿しくなってきた。

 これをロードリック総監へ正式に書面で報告しなければならないとは。


「ごめんってぇ、でもわざとじゃなかったんだ……それだけは分かっておくれよぉ〜」


 モノフォニーが情けない声で訴えてくる。

 まぁ、彼女としても機関へと正式加入する日にこんな事故が起きるとは思ってもいなかっただろうけれど。



 ――爆発音。



 それは人々の穏やかな朝を引き裂いた。

 ノクトたちが駆けるオルドゲート・ストリート。

 その少し先で1台の乗用車が爆ぜたのである。


「うおぉおアああアああ――!?」


 狂乱する異端者の姿が見えた。

 全身が異常なまでに肥大化し、爬虫類を想起させる黒い鱗に覆われている。

 懐に入れていた携帯端末が振動した。


『オルドゲート・ストリートにて欲病発症者を確認。付近の審問官は直ちに現場へ急行せよ』


『欲名:『未知なる来訪者レプティリアン』 ステージ:3 備考:避難誘導中』


 画面には眼前に見える異端者の詳細が記されていた。

 ステージ3の身体変化系の異端者。

 それに、恐らくあれは暴走状態にあるだろう。

 自身の力を制御できていない様子だ。


「こんな急いでる時に……!」


 ノクトは歯噛みする。

 自分は異端審問官だ。暴れる異端者を見過ごすことなど不可能。


「全くだ。監視役、さっさと鎮圧してしまおう」


 モノフォニーが自身の血液から刀を生成して構えた。


「言われなくてもそのつもりだ」


 ノクトもまた『R.I.O.T』を取り出し、左腕の認証デバイスに翳す。


「――審問開始。『正義』を執行する」


 光の粒子が溢れ、【断罪の鍵クラウィス】の形を成した。


「モノフォニー、10秒で片付けるぞ」

「了解だ!」


 ノクトとモノフォニーは暴れる異端者へと立ち向かっていった。



 異端審問官ノクト・カーライル。

 異端審問官モノフォニー・クロム・ヘルキャット。

 ――市民の安寧を脅かす異端者を鎮圧し、ロンドンを守護することが彼らの使命である。

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R.I.O.T ~異端審問を開始する~ 南雲虎之助 @Nagumo_Tora_62

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