第29話 告白

 正義のヒーローに憧れた。

 困っている人の下に駆けつけ、颯爽と救け出すヒーローに。

 彼女の背中は未だ遠く。

 だが、それでも追いかけることをやめない。

 それが自分の『正義』だからだ。



 「被害者なき殺人事件プール・オブ・ブラッド」は終息を迎えた。

 この事件の主犯であるラルフ・スクリムジョーはセイラムへと収監され、それに協力したとされるシエラ・ロペスは欲病の検査のためホプキンス病院へと搬送された。

 彼女の欲病『禍喰』について詳細な検査を行い、事件時の彼女の弁識能力や制御能力の有無を確認する予定らしい。その結果によっては、シエラの処遇が変化することになるだろう。


 理性の無き混沌とした世界を望んだ2匹の獣。

 彼らは異端者を排斥しようとする既存社会の殺害を望んでいた。

 その手段は間違っていたとしても、彼らの辿った人生を軽んじてはならない。

 突き詰めれば、彼らはただ生きることを渇望していただけなのだから。


 正義を掲げる審問官として、ノクトは一晩中考えていた。

 シエラ・ロペスという少女について。

 幼少期に地下室へ幽閉され、強大な欲病である『禍喰』を患ってしまった少女。

 生きるために喰らうことを罪とするならば、この世にいる人間の全てが罪人と化す。


 故に彼女のこれからの行く末を案じる。

 そして、ノクトは1人の少女を助けるべきだと判断した。

 確かにシエラはフィルを喰い殺した犯人だ。けれどそれは彼女の中に潜む防衛機構、【悪食の悪鬼】によって引き起こされたもの。シエラの意思とは切り離して考えるべきだ。

 それに――。

 被害者が次の加害者となってしまえば、憎しみの連鎖は止められない。そうラルフへと告げたのは他でもない自分自身だ。

 なら、自分のするべきことは1つだった。





 異端審問機関リベリオン本部ビル、その最上階にある総監室にて。

 その場にはアンビバレントのメンバー全員が集っていた。


「皆、集まったようだな」


 荘厳な雰囲気を纏ったままロードリックが口を開く。

 ノクトたちがラルフたちと戦闘を行ってから1週間後。事件の事後処理やモノフォニーに関する処遇の決定、その他諸々の後始末を終えた今日、ノクトら4名は此処に集められたのである。


「まずはご苦労だった。君たちが死力を尽くして異端者の鎮圧に臨んでいなければ、被害はもっと甚大になっていただろう」


 結界運営局からの報告によると、【屍肉しにく巨獣きょじゅう】が出現してからノクトがラルフを鎮圧するまでの間、民間人への被害は僅かだったそうだ。

 これも機関に所属する全ての人間が死力を尽くしてロンドンを守ろうとした結果なのだろう。


「いやまぁ、それ程でもあるかのう……」


 アリアがでへへと破顔する。


「そうだなぁ。俺たちの有能さがロンドン中に知れ渡っちまうなぁ」


 オズヴァルドもまた頬が緩んでいる。


「いやでも、今回一番活躍したのは私じゃないかな? この天才美少女吸血姫であるモノフォニー・クロム・ヘルキャットこそが至高の存在ということで……」


 モノフォニーがつらつらと自慢話を語り出す。


 そんな三馬鹿の様子を冷めた眼で眺めつつ、ノクトは軽くため息を吐いた。

 ただまぁ、戦闘後かなり疲弊していた彼らがここまで普段通りになっているのは、素直に喜ばしいことなのかもしれない。


「それで、だ。今回の事件での活躍を鑑みてアンビバレントの存続が決定した。それと同時にモノフォニー特例審問官、君の機関への加入が正式に認められた」


 ロードリックはさらりと重要な事項を告げた。

 モノフォニーの機関加入。それはここまで歩んできたリベリオンの歴史の中で、かなり大きな出来事だろう。

 友好的な異端者との協力は市民たちからの反感を買うリスクを伴うが、これまで以上に機関の取れる選択肢が増えるメリットもある。


「どうだ、モノフォニー特例。機関への加入を受け入れてくれるか?」


 デスクの上で手を組んだロードリックが問う。


「勿論。心血を注いで異端者の鎮圧に当たった甲斐があったというものです」


 そう語る彼女の表情は何処か嬉しそうで。

 モノフォニーが機関へと入った理由は『始祖』の情報を掴むためだと言っていたが、自身の活躍を公的に認められた事実が素直に嬉しいのだろう。


「これからの活躍を期待している。モノフォニー審問官」


 ロードリックは僅かな間目を閉じて、そしてその瞳はノクトに注がれる。


「ノクト審問官。今回の事件、君がラルフ・スクリムジョーの鎮圧を行ってくれたことで終息を迎えられた。機関の総監として礼を述べさせてくれ」

「いえ、自分は審問官としての責任を果たしただけですから」


 そう。自分はフィルの遺志を継ぎ、異端審問官としての職務を全うしただけだ。

 それも1人では到底成し得なかった結果だ。褒められるようなことは何もしていない。


「それはどうも自己肯定感の低い回答だな。もっと誇って良いんだぞ。君は紛れもなくロンドンを救った英雄なんだからな」


 ロンドンを脅かす連続殺人犯。

 そんな異端者を鎮圧した英雄。

 だが、今の自分にはまだ荷が重い。


「まだまだ英雄には届きません。俺はもっと強くなります。かつての英雄を追い越す位に」


 ノクトは正々堂々と宣言する。

 その青い双眸には確かな覚悟が宿っていた。





 後日。

 高い高い塀に、それは囲われていた。

 鈍色の雲が空を覆う中、ノクトは異端者収監施設セイラムに訪れていた。

 この施設はリベリオンを中心とした対欲病犯罪者組織の1つで、異端審問官たちが鎮圧したステージ3以上の異端者たちが収監されている。

 施設の機能としては一般的な刑務所とさして変わらない。欲病の力を用いて罪を犯した人々を収監し、更生させる役割を担う。

 重厚な石壁に鉄の門扉をくぐり抜けた先には監獄棟、工場棟、看守棟などの建物が一定間隔で並んでいた。


「お待ちしておりました、ノクト・カーライル審問官様。既に面会の手続きは済んでいます。面会室までは本官が案内をさせて頂きますね」


 眼鏡を掛けた男性刑務官が人当たりの良い笑顔で挨拶を行う。

 彼に先導されるまま、ノクトは施設の内部へと足を踏み入れた。



 所内は思いの外小奇麗で、明るく照らされた通路の壁には独特なタッチの絵画が飾られていた。

 この絵画のセンスは一体誰のものなのだろうか。

 きっと前衛的な感性の持ち主に違いない。

 そんな考えを巡らせるノクトは既に軽く疲弊していた。この廊下に辿り着くまでに幾重もの検査を受けていたからである。

 異端審問官という役職に就いているため、身元の情報は結界運営局を通じて事前に伝えられている。そうした状況であっても検査はかなり長い時間を要した。

 一般の人間が面会を望む場合、検査に加えて諸々の書類手続きも行わなければならないので倍以上の時間が掛かるだろう。

 恐らくだが、半日は要するはずだ。

 事前の申請を怠らなくて良かったとつくづく実感する。


「ラルフ・スクリムジョーはまだここに収監されてから日が浅いので、地下にある牢屋に投獄されています。そこで抑制剤による強行的な治療が行われているんです」


 道すがら刑務官が説明を挟む。


「その地下へと続く階段がこちらになります。万が一の場合を考えて、逃走経路を絞るためにこの階段を通る以外で地下へと辿り着く手段はありません。この文明が発達した時代に階段を一段一段上り下りするのは中々骨が折れますよ」


 彼は眼鏡の位置を直して自嘲気味に笑った。

 どんな仕事にも苦労は付き物なのだろう。ノクトは内心で刑務官に対する労いの感情が芽生えていた。



 階段を下りた先には、黒色の扉が待ち受けていた。

 刑務官が扉の脇に設置された認証装置を操作すると、地下監獄へと続く通路が姿を現す。

 地上の廊下とは全く雰囲気が異なる地下通路。

 一帯は薄暗く、重苦しい空気が満ち満ちていた。

 通路の最奥へと辿り着いた所で、刑務官がこちらを振り返る。


「この部屋にラルフ・スクリムジョーは収監されています。勿論、厳重に拘束されてはいますが警戒は怠らぬようお願い致します」


 ノクトは説明に頷きを一つ返す。


「ああ、それと『R.I.O.T』は面会が終了するまで本官がお預かりさせて頂きます」


 刑務官はその言葉と共に手を差し伸べてきた。

 『R.I.O.T』を出せという意味なのは即座に理解できたが、思考とは別の感情でそれを拒んでしまう。


「異端者が暴れ出した場合、迅速な対応ができるよう『R.I.O.T』を手放すことはしたくないのですが……」

「申し訳ありません、これは規則なもので。本官もノクト審問官を信用していないわけでは無いのですが、貴方が何かしらの理由によってラルフ・スクリムジョーを殺害する可能性を否定し切れない。感情論ではなく、ただそこにある事実としての主張であると理解願います」


 そう語る彼の目は酷く真摯に感じられて。

 結果的に、ノクトにはそれを了承する以外の選択肢は無かった。





 堅牢な黒色の扉が開かれる。

 中はこれまでの地下通路で感じていた陰鬱とした雰囲気とは異なり、開放的な広さをしていた。

 白塗りの壁と天井で、あるのはトイレと簡易的なベッドだけ。

 そこは牢獄というよりも病室と呼ぶべき有り様だった。

 病的なまでに空虚で、伽藍としている。


「僕を嗤いにでも来ましたか……」


 中央に設置された椅子にラルフは腰かけていた。

 四肢と首に厳めしい拘束具が嵌められている。彼の赤色の長髪は無造作に乱れていて、体を動かす度に拘束具がぎちぎちと不快な音を響かせる。


「今日此処に来たのは報告のためだ」


 ノクトはラルフが座る椅子と正対するように設置された椅子へと腰を下ろす。

 ラルフの落ち窪んだ瞳がその一挙手一投足を貫くように見つめていた。彼はノクトの言葉に何の反応も示さない。


「まぁただの報告でしかないからな、お前が話したくないなら話さなくてもいい。ただ、俺の話を聞いてくれさえすれば、それでいいんだ」


 独り言を呟くようにノクトは細々とした声で伝えた。


「報告はシエラ・ロペスの処遇について」


 少女の名前を聞き、僅かにラルフの双眸が見開かれる。


「お前を鎮圧した後、俺はずっと考えていたんだ。シエラという少女がどんな行く末を辿るべきなのか。

 ……大事なのは、シエラ自身に明確な殺意があったかどうかだ。

 人は須らく罪を犯している。人間は些細な罪の積み重ねを経て、緩やかに死へと向かっていく。

 そんな時、人を罪人だと判断する基準は害意を有していたのかどうかだと俺は考えている」


 ノクトの言葉は暗闇を彷徨っているように不安定で。


「ここに来る前、ホプキンス生命に立ち寄った。シエラの欲病に関する検査結果を聞くためだ。

 検査項目は『禍喰』に備わる防衛機構の1つ、【悪食の悪鬼】発動時におけるシエラ本人の弁識能力と制御能力の有無について。

 結果、シエラは【悪食の悪鬼】の発動時、制御能力が喪失していた。

 シエラが生命の危機に瀕した際にブラックドッグは出現し、捕食活動を行う。その間、身体の制御権がシエラには無かったんだ。

 だから10年前から12月24日までの間の捕食行動は心神喪失状態と判断され、罪には問われない」


 権能の発動自体は生存欲求に基づいていて不可避なもの。更に、戦闘行為もブラックドッグの人格が肩代わりをしていた。

 シエラは欲病によって生かされていたのだ。

 彼女自身も生を望んでいたのは確かだったけれど、その欲病の性質からして、シエラ本人が望んでいなくともブラックドッグが彼女を生かしていたはずだ。

 きっと捕食行動はどうやっても避けられなかったのだろう。


「だが、1つだけ問題がある」


 ノクトの声が部屋に反響する。

 耳に返ってきた自身の声は存外、低く感じられて。


「12月25日。お前たちが【屍肉踊りの交差点カニバリズム・カーニバル】を実行した日だ。

 この日にシエラはモノフォニーと対峙し、【悪食の悪鬼】を使用した。

 そして……たったこの一度だけ、自分の意思で権能を使用した疑いがある。

 その時の状況は巡視ドローンによって記録されている。これは公的な証拠として認められるものだ」


 ラルフの表情から感情を読み取ることは出来ない。

 彼の顔にはただ白い虚無だけが残っている。

 今更ながら、この場所に来た目的を単なる報告だと言ってしまったことは間違いだったと思う。

 これからする質問にだけは、必ず答えて貰わなければならないのだから。


「ラルフ・スクリムジョー。お前にはこれまでの殺人とは別に、脅迫の容疑が掛けられている。

 欲病を患ったシエラ・ロペスという少女をかどわかし、その弱みに付け込んで自身の犯罪に加担させた疑いがある……。

 もし、お前に答える気があるなら俺の質問に答えて欲しい」


 ノクトはラルフの姿を真っすぐに見つめた。

 一瞬たりとも、彼から視線を外してはならないと思った。


「お前はシエラ・ロペスを脅迫し、自身の目的達成のために『禍喰』の力を使わせた。……これは事実か?」


 それは狡いなんて言葉では生温い。

 邪知深い、卑劣で姑息な問い。人として許されざる問いだった。

 長い前髪の奥にある落ち窪んだ瞳が揺れている。

 今彼は何を思っているのだろうか。

 ラルフの鋭利な視線がノクトを貫く。

 その威圧感に圧倒され、指先一つ動かせそうにない。


「貴方はどんな異端者よりも恐ろしい人ですね……」


 どろりとした汚泥の如き憎悪に満ちた声を吐き。

 それから力なく、笑った。

 瞬時に張り詰められていた雰囲気が緩む。


「そしてこの世の誰よりも優しい人だ」


 先程までの剣呑な眼差しとは異なり、温和な目がノクトを見る。

 この二面性がラルフという人間の根幹なのだろうか。

 彼は静かに頷いてから口を開く。


「全て僕の指示だ。シエラは一度も自身の意思で動いたことは無い」


 そう語るラルフの声は酷く落ち着いていて。


「僕が彼女を脅迫し、犯罪に加担させた。この発言には何の虚偽も無い……事実だ」


 彼の顔を見る。

 やつれたラルフの顔は、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていて。

 面会終了のブザーが鳴る。


 ノクトは席を立った。





「こちらお返し致しますね」


 部屋を出ると刑務官が『R.I.O.T』を手渡してきた。


「ありがとうございます」


 礼を述べてそれを受け取る。

 そこから2人は来た時と同じルートを辿り、セイラムの出入り口まで戻って来た。

 空は相変わらず曇天で。

 少しだけ雪が降っている。

 小さな白い粒が肩に落ち、すぐに溶けてしまった。

 冷え切った空気を肺に詰め込むと、冬独特の物悲しい匂いが感じられた。


「今日の面会では、何か良い結果が手に入れられましたか?」


 帰り際、刑務官が尋ねてきた。

 それがどういった意図に基づいた質問なのか分からず、ノクトは逡巡する。

 良い結果、とは何なのだろう。

 ラルフの証言は良い結果と呼べるものだったのだろうか。

 それはあらゆる人間が傷ついて得られた結果だ。手放しで喜べるようなものでは無いだろう。


「その反応では、回答が難しい質問をしてしまったようですね」


 刑務官が目じりを下げる。


「いえ、少し表現が難しかったもので。自分自身としては望んだ結果を得られたのですが、それは2人の人間を傷つけた末に得た結果でしたから」


 戸惑いの最中、ノクトの言葉は雪と同じように外気へと溶けていって。


「貴方は優しい人ですね。望んだ結果を得られたのでしょう? 私なら大手を振って喜ぶところだ」


 ノクトの重苦しい雰囲気を察知したのか、刑務官が冗談めかして告げる。


「そう気負わないで。人は皆、知らず知らずのうちに誰かを傷つけているものですよ」


 あっけらかんとした彼の言葉は今のノクトに深く突き刺さった。


「そういうもの、ですか……」

「ええ。人間なんてそんなものです」


 刑務官の顔を今一度よく見る。

 眼鏡のレンズの奥に、優し気なヘーゼル色をした瞳があった。

 何処となくその面影には見覚えがあって。


「ありがとうございます。少しだけ、自分の行動に自信が持てました」


 ノクトは深くお辞儀をしてセイラムを後にした。

 罪の意識の重さに比例してか、ロンドンを行く彼の足取りは少しだけ軽くなっていた。

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