第三章

第14話 月下、獣は何思う

 災難に満ちた久々の休日が終わり――。

 機関支給の携帯端末に送られてきた情報はノクトにとって寝耳に水の物だった。


「一体、どういう意味ですか……?」


 困惑に満ちた声でノクトは問う。


「そのままの意味だ。ホプキンス生命が行ったDNA鑑定の結果、『狼憑きウェアウルフ』の正体がラルフ・スクリムジョーという男だと判明した」


 現在時刻は午前8時。

 リベリオン本部ビルの総監室にはアンビバレントの4名が集められていた。

 室内には異様な緊張感が満ちており、全員が一様に硬い表情を浮かべている。

 『狼憑き』と接触した日から既に3日が経過していた。

 その間、ロンドン市内で特に目立った出来事はなく、ただホプキンス生命によるDNA鑑定の結果を待つだけの日々を過ごした。

 そしてようやく出た結果がこれである。


「何かの間違いという可能性は……?」


 結果に納得がいかず食い下がるノクト。

 突きつけられた現実を受け入れることが出来ない。


「残念ながらそれは有り得ない」


 依然としてロードリックの返答は変わらなかった。


「12年前にストロベリーフィールドで発生した事件の捜査時、ラルフは容疑者の1人としてDNAを採取されている。そして3日前に回収した血液から採取されたDNAとその型が完全に一致した。これは彼が『狼憑き』であるという動かぬ証拠だろう」


 その言葉を受けて、脳内で否が応でも点と点が繋がっていく。

 世間からすればストロベリーフィールドの惨劇で唯一生き残った人間がラルフだ。だとすれば、彼は生存者でありながら有力な容疑者でもあったはず。

 当時は欲病に対する理解が広まっていなかったのだから、彼の証言に対して懐疑的な目が向けられるのは当然だろう。

 そしてそこで当時の警察はラルフのDNAを採取し、データベースへと登録を行ったのだ。

 けれど、話はそこからだ。


「ラルフが『狼憑き』だったなら、彼が「被害者なき殺人事件プール・オブ・ブラッド」を引き起こした理由は何です?」


 ラルフはシエラ・ロペスという孤児が辿った末路を嘆いていたはずだ。

 彼女を救えなかったことを悔いていたはずだ。

 そんな人間が何故、こんな事件を起こすというのか。

 様々な異端者を見てきた。欲に溺れた者を見てきた。

 しかしそうした人間たちが有する異常性を、あの時のラルフからは感じ取ることが出来なかった。


「そんなもの、『狼憑き』を捕らえた後で尋問すればいいだろう」


 ロードリックは酷く冷淡な顔をしていた。


「…………っ」


 蛇に睨まれた蛙のように身体が硬直し、思わず言葉に詰まる。

 確かに彼の意見は正しい。次に自分たちが取るべき行動はラルフ・スクリムジョーを今度こそ捕らえることだ。それは自分も十分に理解してる。

 けれど――。


「他人への過度な干渉は身を亡ぼすぞ、ノクト審問官」


 鉛のような鈍重な言葉がノクトの頭に打ち付けられた。

 ゆるゆると力なく下がっていく視界にカーネリアンの指輪が映る。過去の記憶が心臓をきつく縛り上げて。


「――お言葉ですが、他人に対して過度な干渉を行っているのは貴方も同じなのではないですか、ロードリック総監?」


 玲瓏な声が室内に響いた。

 弾かれるようにノクトは顔を上げる。


「……どういう意味だ、モノフォニー特例」


 訝し気な表情を浮かべるロードリック。


「そのままの意味ですよ、ロードリック総監」


 それに対してモノフォニーは優美な微笑みを湛えていた。

 両者の間で火花が散り、室内に緊張が走る。一触即発かと思われたその時――。


「その辺にしとこうぜ、お二人さんよぉ。こんな時に仲間内で揉めてる場合じゃねぇって」

「珍しくオズの言う通りじゃな。我々がするべきことは事件の捜査じゃ。身内で喧嘩をしとる場合ではないのう」


 オズヴァルドとアリアの発言によってその場の空気が変わった。

 ロードリックが椅子の背もたれに全体重を預け、静かに息を吐く。


「……ふむ。この短期間で随分と親睦が深まったようだな」

「ええ、お陰様で」


 モノフォニーは最後まで毅然とした態度を崩さなかった。

 瞬間的に張り詰められた緊張の糸が途切れた後、ロードリックが再び口を開く。


「アンビバレントには引き続き「被害者なき殺人事件」の解決に向けて動いてもらう。だがこれまでとは違い、達成条件は『狼憑き』の確保、これだけだ。単純明快だろう?」


 炯々けいけいたる眼差しで彼は問う。

 部下であるノクトたちにとって、それはもはや質問の皮を被った尋問でしかなかった。

 沈黙によって承諾の意を示すアンビバレントの面々。


「ただ1つ、留意して欲しい点がある。3日前、アリアに審問官たちが手負いとなった彼を追い詰めた際に起きたことなんだが……」


 ロードリックが彼のデスク上にあったタブレット端末をノクトの方へと差し向けた。

 端末の画面には上空から撮影されたと思われる映像が映し出されている。


「それは巡視ドローンが撮影した3日前の映像だ」


 映像の中で確認できるのはアリアとオズヴァルド、そして道路の中央で倒れ伏しているラルフの3名。

 さざめくような環境音が流れる中、2人がラルフへと近づいていく。


『――オズ!』


 突如としてアリアが叫び、ファルマコンを打ち込もうとしていたオズヴァルドを後方へと引っ張った。

 次の瞬間、ラルフの背後に大口を開けた禍々しい怪物が出現する。

 茫然としているのか動かない2人。

 そんな彼らを他所に、怪物はその口でラルフの身体を丸ごと喰らってしまった。

 ――映像にノイズが走る。

 そして再び映像がクリアになった時、そこにはもう怪物の姿は無くなっていた。

 端末の画面が暗転する。


「何だ、これ……?」


 映像を見終えたノクトは言葉を漏らす。

 状況的に考えれば、この怪物はラルフを救出したように見える。


「ラルフの協力者、もしくは『狼憑き』という欲病の権能の1つか……」


 隣から画面を覗き込んでいたモノフォニーが視線を上げた。


「この怪物が出現したのは本当に一瞬じゃった。我らが反応する間もなく消え去ってしまってのう……」


 アリアが渋い顔をして告げる。

 アリアとオズヴァルドは機関の中でも優秀な審問官だ。そんな2人が反応することも出来なかったとなれば、この怪物の強大さは容易に推測できる。


「ラルフ・スクリムジョーを確保するにあたって、この怪物の存在は無視できない。十分注意して捜索に臨んでくれ」


 真剣な眼差しでロードリックが注意を促す。

 結局の所、全ての鍵を握っているのはラルフただ1人だ。

 謎を明らかにするためには彼を捕らえる以外に選択肢は無い。

 ロードリックの言葉に4人は粛然と頷きを返した。

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