第13話 敗走と追走
ノクトが後悔の念に打ちひしがれていると、大通りの方からけたたましいエンジン音が聞こえてきた。
地獄の底から鳴り響いているかの如き重低音。
「凄い音だ」
モノフォニーも音の方へと視線を向けている。
「あいつらが来たんだ」
ノクトは少しふらつきながらも立ち上がった。
そして今しがたやって来た2人へ視線を向ける。
「あらら、ノクト君? まさか『
灰色の髪色をベースに赤と黒のメッシュを有する男――オズヴァルドが嫌見たらしく首を傾げる。
「馬鹿オズ、いちいち煽るな」
ピンク髪のツインテールの女――アリアがオズヴァルドの顔面に向けてそのツインテールを打ち付ける。「目がぁ!」と、無様な声を上げて
「悪い、『狼憑き』には逃げられた……」
痛む左腕を抑えたまま告げる。
「謝るなノック。我はお主の先輩、後輩のミスをカバーするのは我の仕事じゃからな」
自身に満ち溢れた様子で腕を組んだアリアが言う。
同じ18歳でありながら、彼女の頼もしさは凄まじい。
「で、異端者はどっちに逃げたんじゃ?」
「あの建物の向こう側に行ったはずだ」
その問いを受けてノクトは視線だけで建物の上方を示した。
「『狼憑き』は身体変化系の異端者だ。あの速度で移動されたら追い付くのは……」
言い淀むノクト。
彼の脳裏には視認できない程の速度で動く人狼の姿が映し出されていた。
「おいおい、馬鹿言うなよ。こっちには機関最速のスピード狂がいるだろうが」
先程の攻撃によってか少し目を潤ませた状態のオズヴァルド。
彼はアリアの横まで歩いてくると彼女の肩に手を置いた。
「――そうじゃなぁ。我の力、存分に見せてやるとするか!」
アリアが指をパチン、と鳴らす。
すると1台のバイクが滑るようにして登場した。
「……バイク?」
モノフォニーが怪訝そうな声を上げる。
「こいつの名はマックス。我の『戦車』じゃ」
『R.I.O.T』システム『No.7:戦車』――22種ある『R.I.O.T』の中で特殊型と呼ばれる内の1つ。その権能は簡潔。人工知能を搭載したマックスという名のバイクを召喚する、ただそれだけだ。
アリアは慣れた動きでマックスに
「乗れ、オズ。我らで『狼憑き』の追跡に向かう」
「了解。んじゃ、怪我人は此処で大人しく待っとけよ」
エンジンが吹かされる。
空気が絶え間なく振動し、地鳴りと錯覚するような爆音が響き渡る。
「――行くぞ、マックス」
悪魔が、加速を開始した。
――時を同じくして、結界運営局情報通信本部。
この組織はロンドン内を飛行する巡視ドローンの映像を監視し、各種施設への連絡の中継を担っている。
そして件の通信本部では今、混乱が生じていた。
「おい、警備局に連絡は!?」
ある男性職員が大声で問う。
「連絡済みです! ホルボーン周辺のドローン映像の共有も直に!」
若い女性職員が手を止めずに答えた。
「映像共有は後だ! それより警備局の緊急車両を先導させろ、全部轢き潰されちまうぞ!」
焦燥に満ちた声で男は指示を飛ばす。
彼らが何故、こんなにも慌てているのか。その理由はただ1つ。
アリア・ディア・ゴッドスピードが『R.I.O.T』を使用したからである。
「対象、マックリン・ストリートからドルリー・レーンに向けて進行中です!」
「くそっ、緊急車両は間に合わねぇな……。取り敢えず、ドルリー・レーン及びオールドウィッチへの侵入を制限する。周辺の巡視ドローン全部使ってでもいい! 市民の避難誘導と車両の制限を最優先させろ!」
男はドローン映像が映し出されているモニターを見つめる。
そこには大型のバイクに乗って疾走するアリアの姿があった。
「今回は何も壊すんじゃねぇぞ、暴走娘……」
――ロンドン、ドルリー・レーン。
「ん、あらら。また結界運営局の人たちがキレてるぜ。今回は無駄な破壊なしで鎮圧しろだってよ」
アリアの後ろに座るオズヴァルドが個人宛に送られてきたメッセージを見て言う。
「何で我だけなんじゃ。怒るならマックスも一緒に怒るべきじゃろ?」
「何故!?」とでも言いたげにマックスのエンジンがブォン、と唸る。
「馬鹿言うなアリア。いい年した大人がよ、真面目にバイクに向かって説教してる場面想像してみろ。何も知らねぇ奴らが見たらすげぇ穿った風刺画かな? って勘違いするだろ」
「感覚尖り過ぎじゃろそいつ」
高速でドルリー・レーンを走行するアリアたち。
直線状に車は1台もなく、歩いている市民もいない。
(何だかんだ言って、運営局の奴らは仕事が早いのう……。もう道路規制が行われておる)
見晴らしのいい道を見てアリアは思う。
巡視用ドローンの全映像を適切に処理し、指示を出す結界運営局。そしてその指示を受けて実地で行動するロンドン警備局。このどちらが欠けてしまっても実働部隊は仕事がままならない。
部隊間の綿密な協力関係、それこそが円滑な異端者鎮圧に繋がっている。
おもむろにマックスがまたエンジンを吹かす。
「オズ、準備じゃ。犬っころを見つけたぞ」
薔薇色の瞳が見る先に、屋根の上を奔走する『狼憑き』の姿を捉えた。
「おっしゃ、ノクトたちに大見得切った手前負けらんねぇからなぁ。ここで捕まえちまおう」
オズヴァルドは懐から自身の『R.I.O.T』を取り出し、左腕に装着したデバイスへと
「審問開始。『太陽』は堕ち逝く」
二要素認証を経て、システムは正常に出力を開始する。
光の粒子が溢れ出たかと思うと、それらはやがて二丁一対の大型ハンドガンを形成した。
黒色と白色の2つの銃はそれぞれアルシエルとヘリオスという名前が付いており、共通して赤い掘り込みが施されている。
「加速するからのう……舌を噛むなよ」
アリアはアクセルを捻り、エンジンの回転数を上げた。
――悪魔が咆哮を上げる。
途轍もなく馬力の高いエンジン。その回転数は6000回転を超え、8500回転まで到達。2つのキャブレターが連結状態となり、より多くの混合気がシリンダー内に送られていく。
「【
爆発的な加速が生じる。
通常の人間では制御しきれぬスピード。
だがマックスには自我が存在し、彼の認めた人間が跨った時だけ自らの意思で車体を動かすようになる。
そしてアリアは『No.7:戦車』との適合率が異常なまでに高いため、彼女の思考がタイムラグ無しでマックスへと伝達され、2人は人馬一体ならぬ人車一体の状態となる。
つまり、この特殊な状況下でのみ【Boo5t-VMAX】が発動できるようになるのだ。
逃走を続ける『狼憑き』の背中が近づいてきた。
「運営局からのお達しじゃ、今回マックスの重火器類は使えん! オズの狙撃の腕にかかっておるぞ!」
「任せろ、最近は2人共従順だからなぁ。外さねぇよ」
オズヴァルドは左手に持った白色の大型拳銃、ヘリオスを構える。
『R.I.O.T』シリーズ『No.19:太陽』――その権能はエネルギーの吸収と放出。アルシエルがエネルギーの吸収を、ヘリオスが放出の役割を担っている。
「根こそぎ喰らえ、アルシエル」
オズヴァルドはアルシエルの銃口をマックスへと向け、引き金を引いた。
【Boo5t-VMAX】によって生み出され、エンジン内部に籠ったままの熱。その熱エネルギーをアルシエルが吸収していく。
黒い銃身に奔る赤い刻印が煌々と光った。
吸収されたエネルギーがオズヴァルドの肉体を通してヘリオスへと送られる。
一度、大きく息を吐く。
精神を研ぎ澄まし、照準を『狼憑き』へと合わせた。
「追われる覚悟は良いか異端者。うちの太陽神様はしつこいぞ」
狙撃手はにやりと笑みを浮かべる。
アルシエルの時と同じように、ヘリオスに施された刻印が赤く光り輝いた。
「――【
銃口から1発のエネルギー弾が発射される。
それは莫大な熱エネルギーを伴い、炎を纏った狼の幻影を見せた。
狼の名はスコル。常に太陽を追随し、追いついた際には太陽を呑み込むとされている。
炎狼がその巨大な口を開いた――『狼憑き』の背中めがけて飛び掛かる。
「おいおい、マジかよ」
オズヴァルドは驚きの声を上げた。
心臓を狙ったはずだった。だが着弾する寸前、『狼憑き』は僅かに上体を左へと傾けて直撃を免れたのだ。
「背中に目でも付いてんのか?」
「『No.8:力』と似たようなもんじゃろう。身体変化だけでなく五感の強化も含まれてるはずじゃ。それに見ろ、効果は十分あったみたいじゃぞ」
アリアの言葉の通り、屋根の上を走っていた『狼憑き』が体勢を崩す。
更にそのまま建物の向こう側へと落ちていった。
「この先はオールドウィッチとの交差点じゃ。そこで仕留める」
アリアは脳内で周辺の地図を思い浮かべる。
ドルリー・レーンを進んだ先にはオールドウィッチと交わる丁字路が存在する。位置的に考えると、『狼憑き』が落下した場所は丁字路を左折した先だ。
交差点に進入する少し手前。
「振り落とされるなよ!」
「――は?」
その言葉の後、間髪入れずにアリアがハンドルを左に切った。
ブレーキを強くかけ、前輪のタイヤの荷重を増加させる。それによって後輪がスライドし、遠心力でリアを外側に振ってドリフトを行う。
この間マックス側でも自動調節が為されているので転倒する心配はない。
結果、華麗なブレーキングドリフトが決まった。
――しかし。
「あっぶねぇな、馬鹿! 危うく俺が壁に向かって発射されるとこだったぞ!?」
後方からクレームが飛んできた。
「喚くな。大体いつも通りじゃろうが」
「いつも通りだから改善しろって言ってんだよ!」
言い合いをしつつ、2人はバイクから降りる。
「……」無言のままアリアはその薔薇色の双眸を道の先へと向けた。「え、俺ミュートされてる?」というオズヴァルドの言葉は無視する。
両脇に生え揃う木々。
薄く降り積もった雪の上に1匹の獣が横たわっていた。
(体勢を崩した状態で落ちたからのう、流石にもう動けんか……)
再生能力を発現する欲病は少数。
一度傷を負ってしまえば、それが完全に治癒するまで一定の期間を要する。そこに異端者と普通の人間に差は無い。
「はぁ……。とにかく、こいつを拘束して終わりだ」
懐から抑制剤――ファルマコンを取り出したオズヴァルドが『狼憑き』に向かって歩を進める。その後ろにアリアも続いた。
(『狼憑き』を捕えれば「被害者なき殺人事件」は終わるはずじゃ。――それなのに何じゃ、この違和感は……?)
アリアの中で不信感が募る。けれどそれを説明できるだけの情報が揃っていない。
オズヴァルドが未だ動く気配のない『狼憑き』に向けてファルマコンを打ち込もうとする。
――その時だった。
「オズ!」
「あ……?」
咄嗟にオズヴァルドの首根っこを掴んで後方へと引き摺る。
単なる直感と言われればそれまでだった。だが、瞬間的に感じ取ってしまったのだ。
歪なまでの獣性を。
「――――がぶり」
無邪気な声と共に、大口を開いた怪物が出現した。
出来事はほんの一瞬で。
数秒、呆気に取られていた2人を差し置いて、怪物はその巨大な口で『狼憑き』を喰らう。
そして泡が弾けるが如く、瞬時に消失した。
「何だ、今の……?」
地面に座り込んだままオズヴァルドは呟く。
「我に聞くな……」
アリアは怪物が消え去った方向を見据える。
風が一際強く吹き始めた。
吹雪によって視界が遮られていく。
――その場に残されたのは、雪上に滲む血痕だけであった。
後日、ホプキンス生命が回収した血液からDNA鑑定が行われた。
災難な休日を終えてから3日後。
鑑定の結果、『狼憑き』の正体がストロベリーフィールドの元職員、ラルフ・スクリムジョーであることが判明した。
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