第8話 ストロベリーフィールドの惨劇
12月のリヴァプールには肌寒い風が吹いていた。
リヴァプール・ライム・ストリート駅に到着し、その後タクシーで移動。約20分かけてストロベリーフィールドへと到着した。
その間、隣に座っていたモノフォニーは外の景色をずっと眺めていた。
市街地から離れ、鬱蒼と木々が生い茂る住宅地の一角。
そこにストロベリーフィールドはあった。
正しくは元ストロベリーフィールドだが。
どうやら今は別の施設として運営されているらしい。
建物の中に入ると人々の視線が一気に集中した。思わず小さく呻いてしまう。
「おや、こんなにも熱い視線を向けられるのは本部の時以来だね」
モノフォニーは呑気にそんなことを宣う。
2人が人々の視線に戸惑っていると、そこに声が掛けられた。
「どうかされましたか?」
見ると、赤い長髪を1つに束ねた男性職員が立っていた。
その外見から生真面目そうな雰囲気を感じ取る。年齢は20代前半位だろうか。
僅かな間、こちらが返答に困っていると男性職員は何かを察したように「ああ」と声を漏らした。
「リヴァプールでは欲病発症者による事件が著しく少ないですからね。機関の方々が珍しいのでしょう」
自身の服に目を落とす。確かに、言われてみれば黒色で軍服風の制服はかなり目立つ。長らくロンドンで仕事をしていたため、市民から奇異な視線を向けられるのも久しぶりのことだった。
「異端審問機関のノクト・カーライルと言います。以前ここにあった孤児院についてお話を伺いたいのですが――」
ノクトが事情を説明すると、男性職員は少し驚いたような表情を浮かべる。そして「……こちらへどうぞ」と、何処か緊張した面持ちで彼は告げた。
職員に案内された2人は施設に併設されたカフェへと辿り着く。
「ここの管理人をしています、ラルフ・スクリムジョーです」
ノクトたちと対面する形で座った男性職員もとい、ラルフは丁寧に頭を下げた。
カフェには客がまばらにおり、さざ波のような喧噪が空間を満たしている。
「……それで、ストロベリーフィールドの話を聞きたいとのことでしたね」
ラルフはテーブルの上で手を組む。
彼の左手には数か所、痛々しい傷が刻まれていた。
「はい、「
「ええ……とても物騒な事件ですからね。この国に住んでいれば嫌でも耳にしますよ」
ノクトが尋ねると苦笑交じりにラルフは答えた。
「実はその事件とストロベリーフィールドの噂との間には幾つか共通点が見られました。ここへ訪れたのは噂話の真偽を確かめ、事件解決の糸口を探るためです」
一旦そこで言葉を区切る。
すると隣から「チョコブラウニーをひとつ」と、ふざけた言葉が聞こえてきた。
横目でモノフォニーを見れば、彼女はメニューを片手に注文を行っているではないか。
この監視対象、フリーダムが過ぎる。
「おい、ヘルキャット」
その無遠慮さを咎めると、モノフォニーはこちらをちらりと見遣り――そして、メニューを差し向けてきた。
馬鹿なのか。
何故、自分が便乗して注文しようとしていると思ったのか。
「構いませんよ、ぜひお食べになってください。このカフェのメニューはどれもおいしいですから」
ラルフの寛大な発言に「すみません」と、ノクトは頭を下げる。
結果、ノクトとモノフォニーの前にはそれぞれブラックコーヒーとクリームがたっぷりと添えられたチョコブラウニーが並んだ。
――数舜の沈黙の後、ラルフが口火を切る。
「ストロベリーフィールドが孤児院として開場されたのは1944年のことです。最初は女子児童だけだったそうですが後に男子児童も招き入れられるようになり、長い間、身寄りの無い子供たちを支援し続けていました。けれど……」
ラルフの表情に僅かな影が差す。
「10年前、孤児の1人が欲病を発症したんです。それが全ての始まりだったのかもしれません……」
固く握られたラルフの手が微かに震えていた。
「12年前に発生した黒霧災害――ロンドン全域が壊滅的な被害を受けた災害。機関の方々なら知っているでしょう?」
彼の問いに対してノクトは静かに頷いた。
12年前のホワイトクリスマスを一瞬にして暗黒へと陥れた大災害。
『始祖』という欲名を冠する異端者がロンドンに与えた傷は深く、10年以上経過した今もなお、完全な復興へは至っていない。
「欲病に対する認知度が低いこのリヴァプールでは、異端者の脅威を正しく見定められる人物がいなかった。ましてや、黒霧災害が発生して数年。孤児院の職員たちは欲病を過度に恐れてしまったんです」
悪い予感がした。
欲病発症者は機関が設けたステージによって分類される。発症初期はステージ0~2に分類され、危険度は低いと判断される。そしてその対処はホプキンス生命附属病院への入院が義務付けられるだけに留まる。
だが、こうした情報が国内に知れ渡るのはリベリオンが発足してから数年後のことだ。10年前では周知されていないだろう。
「つまり被害規模の想定基準が黒霧災害となってしまっていた、そういうことですね?」
「ええ、その通りです」
ノクトの質問にラルフが頷く。
「ですから孤児院の職員たちはすぐに発症した児童を隔離し、その子の存在を隠蔽しようとしました」
「隠蔽……ですか?」
疑問が口を衝いて出る。
「はい……。勿論、反対はしました。ですが当時の僕は14歳の職員見習い……、誰も意見を聞いてはくれなかった。
それにストロベリーフィールドはある財団からの出資によって経営していましたから、出資先の孤児院から異端者が出たなんて情報が出回れば、その財団にも迷惑が掛かります。そうなれば孤児院への出資が打ち切られ、身寄りの無い多くの子供たちが行き場を失うことになる……」
ラルフの表情は苦悶に満ちていた。
多数の為に1人を切り捨てる――正しいとは言えないが、間違っているとも言い切れない。
きっとその時のことを、彼は今もなお悔いているのだろう。
「職員たちはその児童を地下室に閉じ込め、食料や水も碌に与えず、ただ衰弱で死ぬのを待ち続けていました。そして2ヶ月後――、事件が起きた」
欲病はその精神に負荷が掛かることでステージが進行する。
地下に幽閉され、まともな食事も与えられなかったとなれば確実に欲病のステージを上昇させるはずだ。
「その日、僕が買い出しから帰ると辺りには大量の血痕だけが散らばっていました。凄惨な現場の中心にいたのは1匹の黒い獣……。それは僕の姿を見るなり何処かへ逃げ去っていった。僕はただ茫然としていて、何もすることが出来ませんでした。怯えているあの子に対して何の言葉も掛けてやれなかった……」
そう語るラルフの声は酷く震えていて。
声の途切れた隙間をささやかな雑音が埋める。
ストロベリィーフィールドにまつわる噂話の全容は判明した。
1人の孤児が欲病を発症したことがきっかけで起きてしまった惨劇。その顛末は恐ろしく残酷な物だった。
「それで、その欲病を発症した子供の名前を教えていただけますか?」
いつの間にかブラウニーを完食していたモノフォニーが、フォークを置きながら尋ねる。一応話は聞いていたようだ。
「――シエラ・ロペス。それが彼女の名前です」
悲壮感の漂う表情でラルフが孤児の名を告げた。
「結局、直接的な繋がりは分からなかったが……酷い結末だったな」
ノクトはベンチに腰掛けながら呟く。
実はラルフの話には少しだけ続きがあった。
欲病を発症したシエラという少女が引き起こした惨劇。しかし、それから数ヶ月経過しても事件に関する報道が為されなかったのだという。
原因は孤児院の出資元であった財団。
ラルフ曰く、彼らは各所へと働きかけて事件を揉み消し、そして孤児院の存在すらも無かったことにしてしまったらしい。
要するに、職員たちが孤児院を守るために取った行動の結果、齎されたのは孤児院の閉鎖だったというわけだ。
「誰1人として幸せにならなかったねぇ。いやー、綺麗なバッドエンドだったよ」
1つ隣のベンチに座るモノフォニーが無邪気に答えた。
2人はストロベリーフィールド跡地から少し歩いた場所にある公園にいた。
木々たちはその肌を寒空の下に晒し、時折吹く刺すような風に耐え忍んでいる。空は分厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった。
「なぁ、我が監視役。君はどう思う?」
唐突にモノフォニーが問う。
「何の話だ?」
「当然「被害者なき殺人事件」についてさ。監視役はシエラという孤児が事件の犯人だと思うかい?」
ノクトは思考を巡らせる。
しかし答えはすぐに弾き出された。
「……違うだろうな」
確かに2つの事件の間に共通点はあった。
けれどラルフから聞いた話を鑑みると、2つの事件は全く別物のように思える。
異端審問官として活動してきて2年。そこで培われた経験から予測する――。
「シエラ・ロペスが引き起こした事件は恐らく突発的な物だ」
権能が発現したことによる暴走。
ステージ3まで到達した異端者たちによく見られる傾向だ。これは欲病自体が発症者の欲望や願望を増幅させることが原因である。
自身を監禁した職員らに対する憎悪が増幅し、あの惨劇を招いたのだろう。
「けど、「被害者なき殺人事件」はそうじゃない。犯人は何かしらの意図があって事件を起こしているはずだ」
1回の犯行につき被害者は1人、犯行現場は巡視ドローンの目が届かない路地裏。こうした点から「被害者なき殺人事件」の犯人は理性を保った状態で行動していると考えられる。
それこそステージ3の異端者でありながら、『始祖』を探すべく自身の力を研究していたモノフォニーのように。
「お前も話は聞いていたんだろう? 何か気付いたことは無いのか?」
「勿論あるとも。私は天才美少女吸血姫、モノフォニー・クロム・ヘルキャットだよ?」
――初耳だった。
「……何か失礼な事を考えてないかい?」
モノフォニーが怪訝そうにこちらを見据える。
「いや全く」全力で白を切った。「それより、一体何に気付いたんだ?」
ふっ、と短く白い息を吐き、彼女は衝撃的な言葉を口走る。
「消えた孤児と職員たちの行方についてさ」
言葉に、詰まった。
2つの事件の共通点であり、最大の謎である被害者たちの行方。
彼女はそれが判明したと言い放ったのだから当然だった。
そんなノクトの動揺など露知らず、モノフォニーの艶やかな唇が
「――彼らは1人残らず、食べられてしまったんだ」
淡々とした表情。
人形のように整った外見と相まって、薄気味悪い印象を覚えた。
「……食べられたって、どういう……」
理解できているはずなのに、混乱のまま疑問を口にしてしまう。
「そのままの意味さ。シエラは地下室に幽閉され、食料も水も与えられなかった。そんな極限の飢餓状態で増幅する欲望は何だと思う?」
ワインレッドの双眸がノクトを貫く。
簡単な問題だ。それなのに何故こんなにも恐ろしいのか。
「……食欲、か?」
口の中が渇き、声が僅かに掠れた。
それに対してモノフォニーは静かな頷きを返す。輝かしい銀髪がさらりと揺れた。
「まぁ彼女の場合、食事なんて小奇麗な言葉ではなく、生存欲求に基づいた捕食行動と言った方が正しいのかもしれないけどね」
どうしようもない虚しさが心の中を満たしていく。
モノフォニーの考えが推測の域を出ないことは確かだ。だが、これがもし本当だったのならバッドエンドなんて表現すら生温い。地獄そのものだ。
「この考えを基準にすると私も君の推察に賛成だ。2つの事件は別人による犯行と見ていい。衝動的な捕食なら、わざわざ巡視ドローンの届かない場所を選ぶとは思えないからね」
寒さからか白い頬を僅かに紅潮させて彼女は言う。
顔も知らぬ孤児が辿った地獄に思いを馳せ、ノクトは得も言われぬ物悲しさを感じた。
その孤児は今どこで何をしているのか。この寒いロンドンで独り、凍えているのではないだろうか。
「一度、アルフレッド総監に今回の調査結果を報告する。後、並行してシエラという孤児についても警備局の方で調べてもらおう。セイラムに収監されていないなら、また何処かで捕食を行う可能性がある。そうなると厄介だ」
そう言ってノクトはベンチから立ち上がった。
「……素直じゃないね、我が監視役は」
歩き出したノクトの背後で呟くモノフォニーの声が聞こえた。
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