第6話 さようならを、君に。

 技術開発局を去った後、再びビルのエントランスホールに戻ってきたノクトとモノフォニーの2人。

 現在時刻は午後5時近く。

 バベルの長話を聞いていたため、通常の勤務時間を1時間ほど超過していた。

 リベリオンの勤務時間割は大雑把なもので、午前0時から午前8時を朝番、午前8時から午後4時までを昼番、午後4時から午後0時までを夜番としている。これに関してそれぞれの部門の間に差はない。

 何故こんな時間割なのかというと、いつ異端者が出ても対応できるようにするためだ。一般的な企業のような勤務体制ではどうしても夜間の防衛が手薄になってしまう。故に先述した3分割制が取り入れらているのだ。


「それで……我が監視役。今日はまだ何かあるのかい?」


 前を歩いていたモノフォニーがくるりと振り返った。

 舞った銀色の髪に薄い茜色が溶け込む。


「いや、今日はもう帰って大丈夫なはずだ」


 ――先程のバベルの言葉について何か尋ねられるかと思ったが……。

 彼女は不用意に踏み込んでくることはなかった。


「もう帰っていいの? てっきり夜まで働き詰めなのかとばかり……」

「どんなブラック企業だ。そもそも機関の審問官は体が資本なんだ、休息は大切だろう」


 異端者と戦う機関では体の健康は何よりも大切なことだ。

 市民を1人でも多く救うためには病原菌などでダウンしている暇は一切無いのである。


「お、ノクトたちじゃん」


 背後から声が掛けられる。

 振り返るとそこにはアリアとオズヴァルドが立っていた。


「オズヴァルド審問官とアリア審問官だったね。今朝ぶりじゃないか」


 モノフォニーはあくまでも普通に挨拶を行う。

 彼女は自分がどんな登場の仕方をしたか覚えていないのだろうか。


「よぉモノフォニー。どうだ、ノクトの奴とは上手くやれそうか?」

「それはもう。最高のバディになれそうだよ」

「……ほう、あの異端者嫌いを前に心が折れていないとは中々やるではないか」


 前言撤回。どうやらこの派手頭2人組も今朝のことは覚えていないらしい。

 それどころか、まるで旧知の仲であるかのように会話に花を咲かせているではないか。


「お前らの方は何か有力な情報は掴めたのか?」


 咲き誇る会話の花を摘み取り、ノクトは尋ねる。


「ふっふっふ。俺たちを舐めて貰っちゃ困るぜ、ノクトくぅん」


 腹立たしい声音と表情。


「その口ぶりだと収穫はあったみたいだな?」


 助走を付けて殴りたくなる衝動を抑え込んで問い返す。


「当たり前じゃ。事件の犯人と思われる奴を目撃した女がおってのう。その女が言うには月下に佇む人狼を見たって話じゃ」


 今度はアリアが得意げに語った。こちらはこの古めかしい話し方がデフォルトみたいなものなので、オズヴァルド程の不快感は無い。


「酒の飲み過ぎで外をふらついていた時に偶然見かけたそうじゃが、「酔っていて自身の記憶に確証が持てない」と情報提供を躊躇していたらしい」


 なるほど。ロンドン警備局の捜査でこの目撃情報が上がらなかったのはそれが理由だったのか。

 だが、確かに有力な情報であることに変わりはない。

 少なくともストロベリーフィールドの噂よりは。


「んで、そっちは?」


 相も変わらず、挑発じみた視線を向けるオズヴァルド。


「一応、バベルさんから聞いた噂話を確かめにリヴァプールへ行くつもりだ」

「10年ほど前の噂らしいけれど、何か手掛かりがあるかもしれないからね。今はとにかく情報収集に徹するべきだろう」


 ノクトの回答にモノフォニーが補足を加えた。


「おーおー、そりゃ殊勝なことだなぁ。ま、頑張れよ。俺たちはこっちで犯人を捕まえておくからよ」

「うむ。我らの明晰な頭脳に掛かればどんな難事件でも即解決じゃ!」


 派手頭2人組は腕を組んで高らかに宣言する。


「凄い自信だね……」


 モノフォニーは明らかに呆れた顔をしていた。


「アカデミー時代、こいつら毎日のように補修組にいたけどな」

「はい、違いますー。俺はただ授業サボって出席率が低かっただけですー」

「我の真価を発揮するのに、あの余白は狭すぎたんじゃ……」


 各々の反論が上がるが、それらはただの言い訳に過ぎない。

 補修組であった過去は変えられないのである。

 その後、オズヴァルドたちと別れたノクトとモノフォニーはそれぞれの帰路に着いた。





「――何故、お前がここにいる?」


 ロンドンシティのビル群から外れた静観な一角。

 日光によってせた赤レンガで造られたフラットの前でノクトは問う。


「何故って、私は君の監視対象だからさ」

「理由になってないが」

「私は君の隣の部屋だ。今日からよろしく頼むよ」

「は? いや、ちょっと待て。一度確認する」


 ノクトはモノフォニーから少し離れた場所でロードリック総監へと電話を掛けた。動揺する心を落ち着かせてただ待つ――3コールの後に彼は通話に出た。


『ノクト審問官の方から電話を掛けてくるとは珍しいな。何かあったのか?』


 完全に状況を把握している癖に、はぐらかすような態度を貫くロードリック。


「惚けないでください、ヘルキャットのことですよ。何であいつの部屋が俺の隣になってるんですか?」


 今回ばかりは物怖じしている場合ではない。

 ノクトは果敢にロードリックへと詰問する。


『それは仕方のないことだノクト審問官。君はモノフォニー特例審問官の監視役だろう? ならば監視対象から離れてはいけないはずだ』

「それは……」


 言葉に詰まってしまう。先ほどまでの勢いが一瞬で消え去った。

 彼の言葉は間違ってはいない、だが――。


「俺の左隣の部屋は既に埋まっていたはずですが?」


 ノクトの部屋は角部屋のため、必然的に隣接する部屋は左隣しかない。

 そしてそこにはボブという筋骨隆々でスキンヘッドの男が住んでいたはずだ。

 会えばそれなりに世間話を交わす位の仲ではあったのだが。


『ああ……ボブか。彼には退去してもらった』

「くそっ……よくもボブを……!」


 常日頃からサングラスをかけていた彼の顔がうっすらと頭に浮かんでは消えた。

 ……ふざけている場合ではない。

 ノクトは我に返り、現実的な問題を提示する。


「俺が寝ている間はどうするんです?」


 流石に人間である以上、一睡もせずに監視し続けるなど不可能だ。


『そこは安心してくれ。モノフォニー審問官の部屋には監視カメラを設置してある。異常を感知すれば、結界運営局へ通報が入るようになっている』

「そこまで対策をしているなら、夜間の担当は俺以外でも良かったのでは?」


 監視役は自分だが、副監視役であるアリアやオズヴァルドでも良かったはずだ。

 その問いにロードリックは声のトーンを低くして答えた。


『アンビバレントの課題を忘れたのか? 友好的な異端者との協力、これを最も求められているのは君だ――ノクト審問官』


 その言葉に心臓が一際大きく跳ねた。

 衝動的に無理だと口にしてしまいそうになる。


『勿論、君の心傷については知っている。しかしいつまでも過去に囚われていては何も変わらない』


 『それに』とロードリックは更に言葉を続ける。


『アンビバレントの中でノクト審問官を監視役としたのは君の実力が最も高いと判断したからだ。同族狩りを行う異端者――そんな特異な存在を御せるのは、同じように特異な才を持つ君だけだ』


 ノクトはぎり、と歯を噛んだ。

 自身の左人差し指に嵌められた指輪を見つめる。


『欲病は歪みを持つ人間に宿る。だからと言って彼らの過去を、苦難を無視してはいけない。分かってくれるな?』

「…………はい」


 絞り出すように、小さな声で答えた。

 ――分かっている。

 この指輪を託された人間として、自分はその責務を果たすだけだ。機関のため、ロンドンにいる人々の安寧のために命を費やすだけ。

 ノクトは自分自身にそう言い聞かせた。





「どうだった、我が監視役?」


 フラットの入り口に戻ると、モノフォニーが嬉々とした様子で尋ねてきた。

 既に結果は予測しているのだろう。


「その顔はロードリック総監に言いくるめられたって顔だね」

「やめろ、的確に言い当ててくるな」


 ノクトは身体的疲労と精神的疲労により、活動の限界を悟る。

 ――今日はもう早めに寝てしまいたい。

 そんな一心で自分の部屋に向かったノクト。

 だが、そんな細やかな希望すら無情にも阻まれる。ノクトの部屋へと至る通路の途中、段ボールの山がうず高く積み上がっていたのだ。


「ああ……そういえば荷物をここに届けてもらってから放置してたんだった」


 思い出したようにモノフォニーが宣う。

 絶望と殺意に満ち溢れた青い双眸でノクトは彼女を見た。


「えーっと、…………ごめんね?」


 両手を胸の前で合わせ、小首を傾げるモノフォニー。

 自身の恵まれた容姿を十二分に活用していた。

 端末の画面で時刻を確認する。午後6時21分。


「……はぁ。さっさと片付けるぞ、俺はもう寝たいんだ……」


 こうしてノクトは追加労働に身を費やすことになるのだった。





 ――1時間半後。

 疲労困憊となったノクトはモノフォニーの部屋の隅に座り込んだ。

 ダンボールに入っていたのは僅かな日用品と衣服、それ以外は殆ど本や何かの資料と思しき書類たちだった。


「こんな量の本、何に使うんだ……?」


 傍にあった段ボールの1つを開ける。

 中には各国の吸血鬼伝承の本たちがぎっしりと詰まっていた。

 古代ギリシャのラミアやアラビアのグール、果てには中国のキョンシーといった怪異の名が並ぶ。


「吸血鬼の研究だよ」


 モノフォニーが使用用途の分からない注射器に似た機材を運びながら答えた。


「吸血鬼の研究?」


 思わず鸚鵡おうむ返しに尋ねてしまう。

 ――吸血鬼伝承の研究など一体、何のために?


「『吸血姫ダンピール』――それが私に与えられた欲名だ。この欲病の権能は血液の操作や身体能力の向上。そして人外じみた再生能力なんかも持ち合わせているが、伝承にあるような弱点たちは持ちえない。つまり私は吸血鬼に似たオリジナルの存在というわけだ」


 疲弊しきった脳内に新たな情報が詰め込まれてゆく。


「それが吸血鬼の研究にどう繋がる?」

「元々私はただの病弱な少女だったんだ。戦闘はおろか、まともに起き上がることさえできない……とても皮肉な話だろう? 欲病に罹ったことで、こうして元気に動けている」


 欲病は発症者の欲望や願望を増幅させ、それを具象化させる。

 彼女が望んだのは健康な身体か。それがどういうわけか不死身の怪物と似た存在へと変化してしまった。


「前に言った通り、私は『始祖』を探している。その過程で様々な事件に巻き込まれることもあった。しかし戦闘経験が微塵もない私が頼れるのは『吸血姫』の力だけ。だから、この欲病のモデルとなっているであろう吸血鬼……ひいては不死の怪異たちの伝承を研究して独自の技術を開発したんだ」

「独自の技術、か……」


 ノクトはハイド・パークでの戦闘を思い返す。

 確か、彼女は自身の血を様々な形に変化させていたか。


「【血刀因子】も【血鎖の咎】も私が開発した凝血技術の1つだ。最初は小型ナイフ程度でも凝血させるのに一苦労でね。だが日々の訓練で……ほら、こうして自由自在に色々な物を形作れるようになったのさ」


 モノフォニーはそう言って刃渡り15センチ程のナイフを形成して見せた。

 赤黒い刃がてらてらとした光沢を帯びていて――それはすぐに本来の流体となって消える。

 自身の血を凝固させて武器とする。

 つまり彼女は常時、武器を携行していると考えていい。

 ノクトは密かにモノフォニーに対する警戒心を引き上げ――、そして問う。


「お前はそこまでして『始祖』を見つけたいのか?」


 素直な疑問だった。

 欲病を発症した人間は、その増幅した欲望や願望によって衝動的な行動に出る者が多い。しかし彼女の場合は真逆と言っていいだろう。

 明確な目的を持ち、自身の欲病を研究し、情報収集を行っている。

 異端者の中でも更なる異端。それがモノフォニー・クロム・ヘルキャット。

 そんな彼女に少しだけ興味が湧いた。


「無論そうだとも。それが私の願望だからね」


 モノフォニーはリビングに置かれたアンティーク風のソファに腰を下ろした。

 背もたれに寄りかかり、彼女は体を思い切り伸ばす――程よいバストが強調された。

 ノクトは即座にモノフォニーから目を逸らす。


「あ、今私の胸を凝視していたね?」


 僅かな隙を目ざとく突かれた。


「いや、それに関しては全面的に俺が悪かった。だが断じて凝視などはしていない」


 ノクトはきっぱりと反論する。

 そこだけは絶対に譲れない。


「別に私は構わないよ。なんて言ったって君は私の監視役なんだ。どうだい? 一緒にお風呂でも入るかい?」


 揶揄うような声が部屋に響く。


「断る。俺は疲れてるんだ」


 ノクトはゆらゆらと緩慢な動きで立ち上がった。

 彼の疲労は既にピークを越していた。目を閉じれば今すぐにでも眠れる程に。


「残念、じゃあまた明日。おやすみ、我が監視役」

「ああ……」


 その会話を最後にモノフォニーの部屋を後にした。





 自身の部屋へと戻り、細長い糸のような息を吐く。

 たっぷり10秒、魂までまろび出そうになった辺りで吐き出すのをやめた。

 そして覚束ない足取りで寝室へと向かい、電源が切れたロボットの如くベッドへと倒れ込む。

 暗い部屋の中で天井を見つめていると、今日1日の出来事が次々にフラッシュバックした。

 ――とても情報量の多い1日だったな。そう漠然と思う。

 思えば朝一番に起きた出来事が、正体不明の異端者が天井を突き破っての登場だ。

 重たすぎる。

 月曜日の朝にサンデー・ローストを食べる位に重たい。

 ノクトは左手にある指輪を眺めた。

 カーネリアンと呼ばれる宝石があしらわれた金色のリング。

 かつての相棒が遺したそれに、そっと懐かしむように手を触れた。


「……頑張るよ、フィル」


 小さくそう呟き、ノクトの意識は闇へと沈んでいった。

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