第15話 禍い喰らうは悪鬼たり
12月22日。
――ロンドン、ピカデリーサーカス。
「さて、我が監視役。私たちは今、絶賛職務放棄中なわけだけれど……これからどうするつもりだい?」
ノクトとモノフォニーは広場の象徴とも言える像の下で座り込んでいた。
平日の午前中ということもあってか広場は少し閑散としている。
「闇雲に探し回っても体力を浪費するだけだ。ある程度予測を付けて場所を絞った方が良い」
「それはあの2人に対する嫌味かな?」
あの2人、というのは勿論アリアとオズヴァルドのことである。
彼らは会議室での話があってからというもの、毎日のようにマックスでロンドン市内を駆け巡っている。あの黒い怪物を前に何も出来なかった不甲斐なさを取り返したい一心なのだそうだ。
「まぁ、あいつらが考えた所で何も生まれないからな。適材適所ってやつだ」
体力無尽蔵組が実地調査をしている間、こちらは頭を働かせる。
現状これが最善手だ。
「だからってこんな寒空の下で考える必要ある?」
そう訊ねる彼女の鼻先は僅かに赤らんでいて。
「寒いと頭がよく回る……気がする」
「君も実地調査に回った方が良かったんじゃない?」
初めて聞く声音。氷点下の視線がこちらに突き刺さる。
「冗談だ」
ノクトは静かに白い息を吐いた。
外気に溶けてゆく様を見ながら、会議室での出来事を思い返す。
「……どうして俺を庇ったりなんかしたんだ?」
ノクトは意を決して尋ねた。
あれは完全にこちらに非があった。また個人的な感情で動こうとしていたのだから、それを
それなのに何故、彼女は自分を擁護するような真似をしたのだろう。
ノクトにはそれが分からなかった。
「どうして、って言われてもねぇ。ただ単に私が思ったことを口に出したまでさ」
モノフォニーの作り物じみた整った顔が綻ぶ。
「あ、もしかして庇ってくれた心優しい私に惚れちゃった?」
「冗談でも有り得ないな」首を軽く横に振り、「ただただあの場で面倒事を起こさないでくれて良かった。それだけだ」
モノフォニーの監視役である以上、彼女が暴れ出したら止めるのは自分の役目だ。
どんな理由であったとしても、庇ってくれた人間を自身の手で拘束するというのはどうにも寝覚めが悪い。
「全く、監視役は素直じゃないねぇ……」
余計なお世話だった。
ノクトが反論を口に出そうとした時、上着のポケットに入れていた携帯端末がぶるりと振動する。
取り出して画面を確認すると、どうやら結界運営局からのメッセージのようだ。
異端者の発生情報かと思われたが違う。
メッセージにはこう書いてあった。
『ロンドン警備局より調査結果を通達。シエラ・ロペスという少女について、調査で得られた情報をここに記す。
シエラ・ロペス、孤児院にいた頃の年齢は推定5~6歳。
ストロベリーフィールドの一件より消息は不明とされていた。
財団が揉み消したとされる孤児院の情報を一部入手。得られた孤児のリストからシエラ・ロペスの顔写真を入手。
過去に巡視ドローンが記録した全ての映像データにこの顔写真を照合した所、シエラ・ロペスと思しき人物を確認することが出来た』
画面をスクロールしていく内に、心臓の鼓動が早くなっている。
何か名状しがたい不安や恐怖がノクトの脳内を満たしていた。
震える指で次の文を繰る。
『2022年12月10日。ロンドン、ピカデリー・サーカスにてシエラ・ロペスと思われる少女を確認。彼女と直前まで行動を共にしていたと推測されるのが『夜警』――ミクルベと名乗る老齢の男。この欲病発症者はノクト・カーライル審問官ならびにフィル・アシュリー審問官によって鎮圧済み』
呼吸を忘れてしまいそうだった。
苦しいと感じてからようやく、体は息を深く吸い込む。
あの時、ミクルベと共にいた白髪の少女が? まさかそんなはずが……。
頭は咄嗟に否定の言葉を探すけれど、それを確かにさせる物は1つも見当たらない。
「おや、監視役の知り合いかい?」
唐突に発せられたモノフォニーの言葉で反射的に顔を上げると、1人の少女が広場の中央に佇んでいた。
彼女は一体いつからそこにいたのだろう。
全く気配を感じ取れなかった。
雪を溶かしたような純白の髪と緋色に染まった瞳。
「こんにちは」
可憐で儚げな声。
少女と視線が交わる。
彼女の吸い込まれるような深い緋色の瞳には見覚えがあった。
それを見た瞬間、頭を殴られたような衝撃が走る。灰色の記憶が湧き出し、目の前の信じ難い現実に吐き気を催す。
――何故、ここに彼女がいる?
脳内を大量の疑問符が埋め尽くすが、その問いの答えを得ることは叶わない。
「久しぶりね、ノクト審問官。わたし、貴方にずっと会いたかったのよ」
にこやかな表情でそう語る少女。
見間違いなどではない。
今、目の前にいるのは紛れもなく異端者だ。
2年前にフィルの命を奪った異端者。
そしてたった今、シエラ・ロペスであるという疑いが掛けられている少女だった。
「お前……!」
「わたしは『
刹那、ブラックドッグがノクト目掛けて飛びかかってきた。
鋭い爪がノクトに迫る。
だがそれはモノフォニーの【血刀因子】によって阻まれ、そのままブラックドッグは後方へと弾き飛ばされる。
「監視役、至急応戦を」
その声で我に返った。
硬直していた身体を無理やり立ち上がらせ、懐から『R.I.O.T』を取り出す。
「審問開始」の声と共にカードを認証デバイスへと翳すと、出力された光の粒子が【断罪の鍵】へと変化した。
剣を握り、相対する少女へと視線を注ぐ。
「あの少女、一体何者だい?」
隣に並び立ったモノフォニーが問う。
「あいつは2年前にフィルを殺した異端者だ」青い双眸は冷気を帯び、「ヘルキャット、お前は絶対に手を出すな」
「危険だ。前衛を張るなら私の方がいい」
モノフォニーの主張は最もだった。
しかしながらここで引くわけにはいかない。
あれは、今は亡き相棒の仇なのだから。
「あいつは俺がやらなきゃいけないんだ。分かってくれ」
そう告げるノクトの目には復讐の炎が宿っている。
今の彼は、冷静な判断を置き去りにしてただ怒りに全てを支配された復讐鬼と化していた。
「…………分かった。だが、私が危険だと感じれば割って入る。構わないね?」
「ああ。十分だ」
短くそう答えたノクトはブラックドッグに向かって歩み始めた。
「……お前、今までどこで何してやがった?」
怒りで声が震える。全身から熱が発されていた。
己が細胞の全てが、この異端者の存在を許さないと声高らかに叫んでいる。
「んー、そうねぇ……。ロンドンで屍肉漁りって所かしら」
無邪気な迄の邪悪がそこにはあった。
――気が付けば、体が勝手に動いていた。
助走の勢いのままに剣を叩きつける。
しかしブラックドッグは半歩下がるだけでそれを躱す。即座に横薙ぎの一閃を放つも、身軽な跳躍で回避されてしまった。
「ああ、嫌。こんなに動いたらお腹が減ってしまうわ。貴方は大人しく食べられてくれたらそれでいいのに」
「ふざけるな……この異端者が!」
再びブラックドッグに向けて突撃するノクト。
今の彼は怒りで自分自身を制御できていなかった。ただ復讐を果たさんとするだけの存在へと変わり果てていた。
一心不乱に剣を振るい続けるが、その刃は【悪食の悪鬼】には届かない。
結果、彼が放った攻撃は全て躱されてしまった。
そして僅かに生じた隙を突かれ、腹部に蹴りを受けたノクトはモノフォニーの目の前まで吹き飛ばされる。
「クソっ……!」
何とか受け身を取ったが、それでも衝撃は流しきれない。
だが、いつまでも倒れたままでいられるわけも無く。
「大丈夫かい、我が監視役? 一応報告しておくけれど、巡視ドローンの誘導によって広場周辺にいた市民たちの避難はほぼ済んでいるそうだ」
モノフォニーの言葉を聞きながら、剣を杖代わりにして何とか立ち上がる。
「そうか、それは良いことを聞いた……」
剣を構え直し、その目で真っ直ぐブラックドッグを見据える。
――来る、そう感じた瞬間に彼女は眼前にまで迫っていた。
素早い挙動から放たれた左手による突きを、僅かに顔を右に傾けて回避。
そしてその勢いのまま飛び込んでくるブラックドッグの腹部に【断罪の鍵】を突き刺した。
捨て身覚悟の一撃。
審問官として褒められた判断ではないが、剣を刺せればこちらのものだ。
【断罪の鍵】の基本的な権能は罪人の拘束。この剣の攻撃を受けた者は、自身が犯した罪の重さによって肉体がその場に固定される。
「何よこれ……!?」
状況を呑み込めていない少女はただ戸惑いの色を見せた。
それに何の反応も見せず、ノクトはただ次の行動に移る。
【断罪の鍵】を一度引き抜いてそれを天へと掲げた。そして手首を捻り、開錠の動きを模す。
「――【
その
曇天を裂くようにして、天から一振りの剣が姿を現した。
『【
燃え盛る炎を纏った剣の名が無機質な音声で読み上げられる。
それは罪ある者を無差別に焼き尽くし、悉くを灰へと還す烈火の剣。
ノクトは【断罪の剣】を手にした。「ぐっ……あ……!」と、声が漏れる。
【断罪の剣】が纏う炎は使用者であるノクトにさえも牙を剥く。どんな些細な罪であっても、罪人はこの炎から逃れることは出来ない。
――痛みを堪え、剣を構えた。
未だ拘束から抜け出せずにいるブラックドッグへとその切っ先を向ける。
そして、業火の剣をブラックドッグの心臓へと突き立てようとした時だった。
「――【血鎖の咎】!」
玲瓏な声が広場に響く。
全身に赤く染まった鎖が絡みついた。
一瞬にしてノクトは身体の自由を奪われる。
「……何のつもりだ、ヘルキャット?」
殺意に満ち溢れた目でモノフォニーを見る。
「それはこっちの台詞だよ。君、その子を殺すつもりだっただろう?」
「当然だろう。……こいつはフィルを喰らった化物だぞ!」
感情を露わに声を荒げるノクト。
すると、モノフォニーの端麗な顔が悲し気に歪んだ。
「……言っただろう、私が危険だと判断すれば割って入ると。それは監視役が暴走した時も含まれている」
冷然と彼女は告げる。
どうして、そんな顔をするのだろう。
「これじゃあ、あの時と立場が逆じゃないか……」
今にも泣きだしてしまいそうな悲哀に満ちた表情が、何故だか酷くノクトの心に突き刺さって。
――その時。奇怪な音が聞こえた。
「グルルルル……」
それが一体何の音かノクトには分からなかった。
腹を空かせた音のようであり、獣の唸り声のようでもあった。
音の出所へと目を向ける。
するとノクトの顔にべったりと血が張り付く。
一体何が起きたのか、理解するのに数秒を要した。
地面に滴り落ちる血液からブラックドッグへと視線を移す。
彼女は笑っていた。
舌を出して笑っていた。
血に染まったその舌には、異端者の証である禍々しい
舌を傷つけ、その血をノクトの顔へと吐き出した。
この事実を理解した瞬間、猛烈な飢えがノクトを襲う。
「があぁっ……! うっ……ぐるうああぁぁ!」
胃に大きな穴が開いたかの如き激痛。
脳が血と肉を求めている。
苦しい。痛い。
飢えが精神の全てを支配する。
「――――がぶり」
この隙を、ブラックドッグは見逃さない。
彼女から牙を有した何かが飛び出す。黒い獣らしきそれは少女の腹部から伸びていた。
「監視役!」
咄嗟の事態にモノフォニーが動く。
血の鎖を器用に操作し、ノクトを彼女の背後へと移動させた。
身を挺してノクトを庇ったモノフォニーの右腕を、獣は容易に喰い千切る。
この悪辣たる獣の名こそ【悪食の悪鬼】。鋭く強靭な牙はあらゆる物質を噛み砕く。
視界が赤く染まって。
飢えは、渇きは、加速していく。
「すまない監視役! 少し乱暴に扱う!」
モノフォニーは右腕の傷口から溢れ出る血液を用いて再度【血鎖の咎】を発動。
ブラックドッグの拘束を維持したままノクトを片腕で担ぎ、その場から撤退した。
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