第3話 朝と昼の狭間にて
「おい、特例」
「ん? 何だい、我が監視役」
「なんで俺たちはこんな場所にいるんだ?」
こんな場所、というのはシティオブロンドンのビル群から少し外れた場所にあるカフェのことを指している。
洒落た内装にモダンな雰囲気が漂う店内。
朝と昼が混ざり合う時間帯。
客の数は圧倒的に少なく、空調の音がいやに響いている。
この場にいるのはノクトとモノフォニーのみ。
会議室を出た後、アンビバレントの面々で少しだけ話し合った。
その結果、いきなり4名で動くのは困難だと判断。まずはツーマンセルで任務にあたることになったのである。
「よし、じゃあこいつと誰が組むか決めようぜ。勿論ジャン負けな」
「ふん。望むところじゃ」
「絶対、勝つ……!」
オズヴァルドの提案にアリアとノクトは賛同する。
ジャンケンに臨む彼らの表情は真剣そのもので。
「え、全然泣いちゃうよ? 恥も外聞もなく泣き喚いちゃうよ?」
モノフォニーの言葉は当然のようにスルーされる。
「「「ジャンケン、ポイ!」」」
出た手はパー、パー、グー。結果はノクトの一人負けだった。
こうしてノクトはモノフォニーとバディを組むことになってしまったのである。
そして
「まずはお互いに親睦を深めようかなって」
「馬鹿か。深まるのはお互いの溝だけだ」
ノクトはコーヒーカップを口に運んだ。
中身は当然ブラック。甘ったるい匂いがその苦さによって中和される。
「まぁ、冗談だよ。でもこれから行動を共にするにあたって、必要な情報だけは共有しておきたい。君も私の監視役として知っておきたいことはあるだろう?」
一応、彼女の言い分は筋が通っていた。
ノクトとしてもこの得体の知れぬ化物が何なのか、把握しておく必要がある。
そんな風に考えていると、モノフォニーがフォークでこちらを指し示す。
「後、私を呼ぶときは特例なんて可愛げのない呼び名ではなく、愛称のモノと呼んでもらいたい」
「断る。お前と仲良くなる気は毛頭ない」
「もし呼んでくれないのなら、ロンドンに存在する全てのビルを高い順からへし折って回るがそれでも構わないかい?」
突然、純度100%の脅迫を受ける。
――もうこいつはセイラムに収監するべきなのでは……?
卑劣の権化を前にして思う。
長い、長い沈黙を経てノクトは決断を下した。
「……ヘルキャット」
苦渋の決断。
下手すれば空調の音にかき消されてしまいそうな小さな声で、ノクトはモノフォニーのことをそう呼んだ。
「はははっ、我が監視役はよっぽど私のことが嫌いらしい。分かった、ビルは折らないであげるよ」
モノフォニーは何故か嬉しそうな笑みを浮かべていた。
完全に振り回されている。
――おかしい、自分は彼女の監視役のはず。
立場はこちらの方が上のはずなのだが。
ノクトは再びコーヒーに口をつける。心なしか、さっきより苦みが強くなっている気がした。
「気が済んだならお前のことについて話してもらおうか」
「そう言われてもねぇ……私が以前から個人的に凶悪な異端者を狩っていて、それに目を付けた総監が私を機関にスカウトしたってことくらいしか話せないなぁ」
言葉をそこで区切ると、モノフォニーは最後の一切れを口に運んだ。
満足そうな表情を浮かべる彼女とは反対にノクトの顔色は芳しくない。
「俺が聞きたいのはお前が同族狩りをしていた理由の部分なんだが?」
徒党を組んだ異端者組織同士の抗争というのならまだ分かる。しかし同じ立場であるはずの異端者を、彼女が個人的に狩る理由とは何なのか。
「あぁ、それは簡単だよ。私は『
さらりとモノフォニーが理由を明かす。
それは今日の天気の話をするかの如き軽やかさで。
「『始祖』だと……?」
思わず驚きの言葉が零れた。
それもそのはず、『始祖』というのは12年前に「黒霧災害」を引き起こしたとされる異端者で、現在確認されている異端者の中で唯一ステージ5に認定された個体なのだ。
ステージ5たる所以はその周囲への影響力の高さ。
『始祖』が黒い霧と共に散布したウイルスによって人々は『
つまり、『始祖』とはロンドンを壊滅に追い込んだ張本人。
リベリオンが討滅すべき異端者の筆頭。諸悪の根源とも言える存在なのである。
「……『始祖』に関する情報、それが機関からお前へ
「我が監視役は察しが良いね。その通り、私が機関からのスカウトを了承した理由はそれさ」
「ザッツライト!」と、格好つけてフィンガースナップを行うモノフォニー。
それを華麗に無視してノクトは話を続ける。
「『始祖』を探し出してどうするつもりだ?」
異端者であるモノフォニーが同族狩りを行うだけの理由。
彼女が『始祖』を探しているのには、何か並々ならぬ理由があるはずだ。
対面に座る少女へと視線を向けたその瞬間、背筋がぞわりと
「……ふふ、それはまだ内緒だよ」
モノフォニーはその白い人差し指を口元に当てて微笑む。
ワインレッドの瞳がより一層深い輝きを放ち、凄惨な色を滲ませていた。
ノクトは冷静に思考する。
モノフォニー・クロム・ヘルキャット――彼女はれっきとした異端者だ。
己が欲を満たさんとする者。
今はまだ利害関係の一致により大人しいかもしれないが、必要な情報を獲得した瞬間に機関を裏切る可能性がある。
「――じゃあ、君の話を聞かせてくれるかい?」
モノフォニーは小首を傾げる。
その輝かしい銀髪がさらりと揺れた。
「
それは今年の8月から11月にかけてロンドンで発生した連続失踪事件の名前だ。
現在ロンドン警備局が総力を挙げて捜査を行っているが、その不可解な点の多さから捜査は難航している。
この事件の不可解な点。
・事件現場は全て巡視ドローンの目が届かない路地裏だったこと。
・現場に被害者のものと思われる
・出血量の多さから被害者は既に死亡している可能性が高いにも
・その手掛かりの少なさから犯人の動機や凶器、被害者の安否などが一切不明なこと。
以上の4点の事由によって、ロンドン警備局は事件解決の糸口を掴めないままでいた。そして警備局はリベリオンの特務部隊アンビバレントに協力を要請する。
これが通常の人間による犯行ではないと考えたからだ。
つまり――。
「異端者の犯行だと考えているわけだね」
「ああ、そうだ」
モノフォニーが追加で注文した紅茶を口にする。
勿論ミルクと砂糖を大量に投入して。
「じゃあ仮に異端者が犯人だったとして、どうやって死体を消したんだろうね? その場で食べたりでもしちゃったのかな?」
冗談めかして彼女は言う。
「さあな、そもそもこの事件に関する情報が少なすぎる。それに犯人の目的も推測できない」
前提として、この事件が誘拐事件だろうと殺人事件だろうと現場に残された血だまりが厄介だった。
誘拐が目的ならあれ程までに被害者を傷つける必要はない。殺人が目的ならば被害者の血だけを現場に残す意味がないだろう。
ともかく、謎の多い事件であることに変わりはない。
「でも意外だね。異端審問機関と名乗るくらいだから、異端者の鎮圧だけが仕事かと思っていたんだけれど」
「本来、事件の捜査はロンドン警備局の管轄だ。だが異端者が関与している可能性があると判断された場合には、他の部門へ協力要請が来る。今回もその流れに沿った形だ」
犯人が異端者である場合、欲病のステージによっては警備局だけでは対応できない場合がある。そうした時に備えて、あらかじめ実行部隊や結界運営局へと連絡を行っておくのだ。こうすることで有事の際にも迅速な対応が取れる。
「ふーん、審問官ってのも案外忙しいんだね」
他人事のようにモノフォニーが宣う。
「特例と言えどお前も審問官だろう。機関に属するからにはしっかり働いてもらうぞ」
「うぇー、働きたくなーい」
「セイラムに行きたいのか?」
「仕事だ仕事。我が監視役、私は何をすればいい?」
圧倒的な変わり身の速さ。ノクトは粛然と息衝く。
「……そもそも、何でお前は事件の概要すら知らないんだ? てっきり今回の事件を解決するために呼ばれたものだとばかり……」
現にアンビバレント結成直後にこの初任務だ。彼女が何か重要な情報を持っているか、高い推理力を有しているかのどちらかだと考えていたのだが。
ノクトの言葉を聞き、モノフォニーは「いやいや」と首を横に振る。
「私は探偵ではないからね。むしろ純然たる戦闘要員だよ。私の有する欲病からして最前線を張るゾンビ兵といったところさ」
「その身なりでフィジカルしかないタイプなのか」
外見だけで言えば、華奢な少女にしか見えない。
むしろ深窓の令嬢と言われても信じられるだろう。
「力は全てを解決するのさ、ワトソン君」
「バリツでごり押しするホームズなんて俺は知らないぞ」
――いけない、会話が完全に相手のペースだ。
何故だか分からないが、彼女の発言に逐一反応してしまう。
一度大きく頭を振って思考をリセットする。
「さて、我が監視役。そろそろ出ようか、食後の運動に軽く散歩したい気分だ」
おもむろに立ち上がったモノフォニーが告げた。
「もう一度言っておくが、俺はお前の友達じゃないんだ。あくまでも自分は特例、監視対象だという自覚をだな……」
ノクトが未だに認識の甘い特例審問官に対して釘を刺していると、上着のポケットに入れていた携帯端末が振動する。
取り出して画面を確認すると、そこには一通のメッセージが表示されていた。
『ハイド・パークにて欲病発症者を確認。付近の審問官は直ちに現場へ急行せよ』
更に画面をスクロールすると異端者に関する情報が追記されている。
『欲名:『
ハイド・パークはこの現在地からほど近い。
ノクトは結界運営局へ自分たちが対処に当たる旨を連絡する。
「ヘルキャット、ハイド・パークに異端者が出た。急いで現場に向かうぞ」
「おお、初任務だね。張り切っていこうじゃないか」
会計を手早く済ませて店の外へ。
こういう時、イギリスでキャッシュレス化が進んでいて良かったと感じる。
「急行、ということだったね」
モノフォニーは意味ありげに笑うと、流れるような動作でノクトを小脇に抱えた。害意は感じられなかった為か、反応がワンテンポ遅れる。
「は? おい、何して……」
「口を閉じて、我が監視役。舌を嚙んじゃうよ」
次の瞬間、モノフォニーは空高く跳躍した。
異常なまでの身体能力。彼女が欲病の力を使用した瞬間だった。
唐突な急上昇にノクトは慌てふためく。
「うおおお!? 何してんだお前!?」
「何って、私が全力で急いでしまったら監視役が置いてけぼりになるじゃないか」
「馬鹿、そんな余計な心配はしなくていい! 早く下ろせ!」
「うんうん。段々と仲良くなってきたみたいで嬉しいよ」
ノクトの悲痛な叫びが、モノフォニーの耳に届くことはなかった。
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