第4話 伸縮する恐怖

 緑溢れる広大な敷地が特徴の公園、ハイド・パーク。

 そこへまるでスーパーヒーローの如く着地するモノフォニー。

 ――そして彼女に抱えられた状態のノクト。


「着いたよ、我が監視役」

「……見れば分かる」


 着地によってひび割れた地面を見つめる。

 ――後で修繕の報告をしなければ。

 既に余計な仕事が1つ増え、憂鬱な気分になる。

 地面へと降り立ったノクトは視線を前に向けた。

 公園に複数設置されているベンチ。その1つに眼鏡を掛けた痩せぎすの男が腰掛けている。


「こうして平日の昼間に堂々と会社をサボタージュするのは存外、気持ちがいいですね」


 男はこちらを見て、おもむろに口を開いた。

 落ち着いた口調。しかし何処か憂いを帯びた声音をしていて。


「もう上司から理不尽な叱責を受けることは無く、部下からも白い目で見られることも無くなった」


 そう語る彼の目に生気はなく、ただ深い闇が灯っている。


「上司は最後までうるさく喚いていました。部下たちは皆、首を締め上げると白目を剥いて倒れました」


 薄ら笑いを浮かべて、男は自身の罪を告白してゆく。

 作り物のような歪な笑顔は酷く不気味な印象を与えた。


「表情がいつも暗く、気味が悪いと言われていた……。だから、最後にとびきりの笑顔を彼らに見せてあげたんです。そうしたら彼らはとても怯えたような顔をしていました。それがこの上ない程素敵で、綺麗だった……」


 欲病の進行により、倒錯しているようだ。

 ノクトは『R.I.O.Tライオット』を懐から取り出し、男に向かって告げる。


「欲名『伸縮する恐怖フレキシブル・ホラー』、本名はドウェイン・マクミラン。職場での過度なストレスにより欲病のステージが進行、脊髄から伸びる複数の触手を用いて4名を絞殺している。さっきの発言を聞くに、間違いはなさそうだな?」


 こちらの問い掛けにドウェインはゆるりと首を横に振った。


「……全ての原因は彼らにある。私は何も悪くありません」


 そう語る彼の目には明確な意思があり、自身の非を認めるつもりは微塵も無いように見えた。


「そうか……」


 ノクトは『R.I.O.T』を左腕の認証デバイスにかざす。

 如何なる理由があろうとも、欲病の力を用いて他者を殺害した時点で彼は異端者だ。容赦する必要はない。



「――審問開始。『正義』を執行する」



 二要素認証を経てシステムが出力を開始。

 『R.I.O.T』が光の粒子へと変換された後、鍵の形を模した剣へと変化する。


「ヘルキャット、お前は何もするな。お前が動くと余計な仕事が増える」


 【断罪の鍵クラウィス】でモノフォニーを指し示し、注意する。

 彼女は色々と規格外だ。

 本気で異端者と戦闘した暁には、この青々とした緑地が焦土と化すかもしれない。

 ――これ以上余計な損害を出したくはない。

 監督責任の都合で、さっきのひび割れた地面も自費で弁償することになるかもしれないのだから。


「えぇー。せっかくの初仕事なのに」


 口先を尖らせ、不貞腐れている彼女を置いて異端者へと対峙するノクト。

 ドウェインが揺らめく煙のように立ち上がり、その異能を開放した。


「死んで……しまえ!」


 彼の背中から毒々しい色をした無数の触手が凄まじい速度で迫る。

 ――捌ききれない。そう瞬間的に判断したノクトは触手の大群を左側へ大きく跳躍して回避した。

 視界の隅で、迫り来る触手をただ眺めているモノフォニーを確認する。


「良い機会だ、我が監視役。機関が私に利があると判断した理由を見せてあげよう」


 彼女はそう言って右手を前方に向けた。


「――欲名『吸血姫ダンピール』。出血大サービスと行こうか!」





 高らかに自身の欲名を名乗ったモノフォニー。

 白く細い右人差し指の指輪――そこに仕込まれた鋭利な爪で親指に傷をつける。


「【血刀因子】」


 ――斬られた触手が宙に舞った。

 ぼたぼたと落下する肉片の雨の中、モノフォニーの右手には血液が凝固してできた赤黒い刀が握られていた。


「があああっ……!」


 ドウェインが苦痛に満ちた表情でうめく。


「なるほどねぇ。本物のたこよろしく触手にも痛覚はあるんだ」


 足元に落ちた触手を踏みつけ、モノフォニーは嗜虐的しぎゃくてきな微笑みをドウェインへと向けた。


「クソ……お前も異端者か……!?」


 彼の表情は恐ろしい程に歪み、憎悪に近しい感情をあらわにする。


「何故……そちら側にいる?」

「それは色々と事情があるのさ。異端者なんて皆そんなものだろう?」


 刀を当て所なく揺らつかせ、悠然とした動作でドウェインへと近づいていく。


「ご自慢の触手もそんなに短くなってしまったら使えないね。早急に降伏することをお勧めするよ!」


 地面を強く蹴り、一気にドウェインとの間合いを詰める。


「お前も……あいつらと同じだ…………!」


 絞り出すかのような声。

 瞬間、うごめく触手が再びモノフォニーを襲う。


 (再生能力か……)


 斬られたはずの触手たちが数秒で再生した。しかしその事実も、彼女の前では些細なことに過ぎず。

 既にモノフォニーは次の行動へ移っていた。

 握っていた刀を前方へと放り、右手を触手たちに向ける。


「【血鎖の咎】!」


 玲瓏な声が響く。

 その声を受けて、血で造り上げられた刀は鎖へと姿を変え――うねる蛇の如く触手に絡みついた。

 ぎちぎちと不快な音を上げ、触手を緊縛する血の鎖。

 自身の血液を自由自在に操る力。それがモノフォニーに発現した欲病の力であった。


(抑え込めて数秒かな……)


 冷静に拘束時間の限界を見極め、いつの間にか姿を消していた男に呼びかける。


「出番だぞ、我が監視役!」





 ――監視対象の少女が自身を呼ぶ。


「……言われなくても、分かってる」


 ドウェインの背後に躍り出たノクト。

 そしてそのまま迷うことなく【断罪の鍵】を彼の背中へと突き刺す。


「な……に…………?」


 ドウェインは驚きで目を見開いていた。

 最初の攻撃を受けた後、ノクトはモノフォニーがドウェインと対峙している隙に大きく迂回うかいして彼の背後まで回り込んだのである。


「大人しく寝てろ」


 ドウェインのうなじ部分に浮き上がった刻印スティグマめがけてファルマコンを打ち込んだ。

 呻吟の後、電源が切れたようにドウェインの体が地面へと落ちる。

 何とか鎮圧は完了。

 ドウェインに手錠を掛けて、ノクトは一息ついた。


「やったじゃないか、我が監視役! 初仕事にて素晴らしいコンビネーション、これはもう最高のバディとして名を馳せてもおかしくな……ふぎゅ」


 今にも抱き着かんとする勢いで迫ってきた異端者の顔面にアイアンクローを決める。


「何がコンビネーションだ。最初に言ったよな、お前は何もするなって」

「まぁまぁ、落ち着いて。異端者は無事に鎮圧できたんだから良いじゃないか。そんなことより君、意外と握力あるんだね。もっと非力な感じかと思ってあだだだだ! 頭蓋がぁ!」


 頭部を抑えて蹲るモノフォニーを見下ろしながら、先ほどの戦闘を振り返る。

 即興での連携。完全にイレギュラーな事態ではあったけれど、結果的に異端者の鎮圧には成功した。

 ――もしかしてこの異端者を囮にするという形であれば、体面だけでも協力しているように見えるのでは?

 ノクトが容赦ない作戦を考えていると――。

 1台の護送車がハイド・パークへと入ってきた。


「お疲れ様です、審問官の皆様方! 異端者収監施設セイラムより『伸縮する恐怖』の護送任務を承り、参上致しました!」


 元気、を通り越して暑苦しいとさえ言えそうな女性警察官が運転席から降りてきた。

 そしてこちらの反応を待たず、てきぱきと慣れた様子でドウェインを護送車へと搬入していく。


「誰だい、この暑苦しさを煮詰めて凝縮したみたいな女性は?」


 その銀色の頭部を擦りつつ、何の配慮もない質問を口にするモノフォニー。


「ネル・ゾーイ警察官だ。ロンドン市内の護送は大体彼女が担当している」

「へぇ……。でも大丈夫なのかい? 襲撃とか受けたとき、審問官が同乗していた方が良いんじゃないの?」

「一度、異端者たちが護送車を襲撃した事件があったが、審問官が駆け付けるまでの12分間、ゾーイ警察官は異端者2人を相手取った伝説がある」

「そこらの異端者よりよっぽど異端じみてるじゃないか……」


 ノクトたちが話していると、早くもドウェインの搬入を終えたゾーイが護送車の運転席から顔を出していた。


「それではお二方、本官はこれよりセイラムに向かいます! お互い、引き続き業務に全力を注ぎましょう!」


 別れの言葉を言い終えるが早いか、護送車は途轍もない速度でハイド・パークを後にしてしまった。


「……行っちゃった。嵐みたいな人だったね」

「俺たちも一度本部に戻るぞ。今回のことを報告しに行く」


 ノクトが言うと、モノフォニーは手を差し伸べてきた。

 それを軽く払い落とす。


「緊急時以外、あの移動方法は無しだ」

「緊急時は良いんだ?」


 厭らしい笑み。


「……行くぞ」


 ノクトは不機嫌な表情を浮かべ、足早に歩き始めた。

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