第27話 ひよこ転生

 シュトレーム王宮にそのひとあり、若き宰相イグナーツ・シュクヴァル(28)。

 特徴的な赤毛に赤の瞳、人当たりの良い笑顔、柔らかな物腰。含む所のない直截的な物言いをするが、毒が無く、剛柔使い分ける抜群の頭の回転の良さで年配の貴族にも一目置かれている。現在、若輩の「冷徹王」の右腕として才を発揮している。王国の運営には無くてはならぬ重要人物のひとり。


 その日、イグナーツの機嫌の良さそうな姿が王宮では目撃されていた。

 彼は常日頃から弁舌さわやかで朗らかな性質であり、落ち込んだり機嫌を傾けた姿を見せることは稀である。それでいて、度が過ぎて陽気な態度というのも実は少ない。よく、自制をしている。だからこそ、はっきり足取りをはずませ、抑えきれない笑みを浮かべて歩いているところなど、滅多に見られるものではない。

 宰相殿は、よほど良いことがあったに違いない――

 すれ違った者に克明な印象を与えるほどに、イグナーツは喜色満面であった。

 自分の部屋から逃亡してきた国王・アベルと遭遇エンカウントするまでは。


 * * *


 アベルは、中庭の背の低い灌木の影で頭を抱えてしゃがみこんでいた。

 回廊からその姿を見つけたイグナーツは目を疑い、なにかの見間違いだと一度通り過ぎた。

 結局引き返してきて、回廊の切れ目から庭へと踏み出し、その背後に腰に手を当てて立つ。アベル本人であることを目視で確認してから、いよいよ声をかけた。


「何してるんです、陛下」

「頭を冷やしている」

「灌木に頭つっこんでいてもそんなに冷えませんよ。どうせなら、向こうの水源まで行ったらどうです」

「わかった。そうする」


 イグナーツからの提案に対し、アベルは即座に立ち上がり、背を向けたまま闇雲に植え込みの中へと歩き出した。

 その足元からバキバキメキメキっと植え込みの木々が踏み砕かれた音が立ち、イグナーツは手を伸ばしてアベルのジャケットの背を鷲掴みにした。


「陛下~~~~~~!? ここでいったい、何をしていたんですか!? いまは執務室でお茶をしている時間では!? なんでこんなところで、卵から孵りたてのひよこみたいに震えて小さくなっているんですか?」

「もうひよこになってしまいたい」

「ならないで!? 困るから!! 陛下には向こう五十年くらいきっちり仕事してもらわないと困るから、突然のひよこ転生はやめて!? なんでそんなことになってんの!?」


 完全に落ち込みきっているアベルに対し、イグナーツは掴んだ手をひとまず離しつつ、容赦なく叱咤した。内心では、はっきり動揺していた。


(死なない程度に加減したつもりだったのに、三日間のエステル様断ちがそこまで効いてる……!? でもその分、三日ぶりのエステル様効果は抜群だったはずなんだけど……!? 今頃執務室で顔を合わせているはずなのに、なんでこんなことになってるの……?)


 あまり計算違いをしない優秀な頭脳の持ち主だけに、アベルの不審な態度を受け、どこで計算を間違えたのか頭の中で必死に自分の作戦の反省会を繰り広げてしまう。

 俯いたまま、アベルは肩越しにのっそりと振り返った。


「部屋に……エステル姉さまにそっくりの侍女さんが来て、あまりに可愛くて襲いそうになった」

「    」


(いや、それエステル様です。見ただけで襲いかかりそうになるほど陛下を追い詰めたのは悪かったけど、エステル様です)


 アベルの顔が、軽口を許さぬほど絶望に染まっていたため笑顔のまま絶句したイグナーツであったが、そんな場合ではないと我に返る。


「よく……見ました? 話してみたり、しなかったんですか? そっくりさんとかじゃなくて」

「声は聞いた。声までエステル姉さまで、俺の幻覚症状はもう末期なんだと理解した。世の中にあんなにエステル姉さまに似たひとがいるはずがない。存在しない侍女さんを見てしまった。俺はもうだめだ」


(いや、それエステル様ですから!? エステル様ですよ!? むしろそこまでしっかり見ておいて、なんで別人だとか幻覚だとか思っちゃうの……!? 陛下そんな子だったっけ!?)


「陛下、落ち着いてください。ちょっと……落ち着いて……、もう一回会ってきたらどうです? うん、そうしましょう?」

「無理だ。襲わない自信がない。俺にはあの父親の血が流れているんだ……。真面目に働いていただけの侍女の母を見初めて俺を産ませたっていう。同じことをしたらどうしてくれる。いくらエステル様に似ている侍女さんが目の前にいたからといって、俺にはエステル様が……。俺は自分が怖い」


 伏せたまつ毛が、ふるふると震えている。白皙の美貌は色を失い、とにかく今にも倒れる寸前といった有様であった。

 イグナーツは冷や汗をかきながら、つばを飲み込んだ。


(襲うって、本格的に押し倒す寸前だったってこと? やばい、追い詰めすぎたか……? でも、相手は本物のエステル様なわけだし、エステル様が了承したら何も問題無いわけで……)


 どうするどうする、と焦るイグナーツの視線の先で、アベルは顔を上げた。

 濡れたような瞳はぼんやりとして焦点があっておらず、唇からは悲しげな言葉が漏れ出す。


「もうエステル様に会わせる顔がない。俺はひよこになる」

「ひよこはやめて!? それは言葉の綾だから、本気にしないで、ひよこはやめて」


 何言ってんのか自分でわかってんの!? とイグナーツは手を伸ばしてアベルを掴もうとする。

 武人としての心得のあるアベルは、その手をわずかな動作でかわして、指さえ触れさせずに背を向けた。


「しばらく放っておいてくれ」

「放っておけないから、ちょっと、戻って、陛下、戻ってってば!!」


 騒ぐイグナーツを置いてアベルはさっさと灌木を飛び越え、庭の草木の奥へと姿を消した。

 追いかけそびれたイグナーツは「ええ……?」と間の抜けた呟きとともに立ち尽くす。

 そのとき、後ろから「おーい」と声がかかった。

 ひとまず、辺りに他にひともいる気配もなく、呼ばれたのは自分かとイグナーツは振り返る。

 ぱたぱたと走り込んできたのは、近衛騎士隊長で弟のエリク。

 その後ろには、侍女姿のエステル。


「陛下見なかったか?」


 エリクに尋ねられたイグナーツは頬をひくひくと引きつらせ、力なく笑った。

 清楚な装いのエステルへと目を向けて、微笑みながら呟いた。


「ほんのちょっとだけ遅かった、けど、まだ追いかければそのへんにいそうだから、追って。はやく。おねがい。ひよこになっちゃう前に……。陛下が。ひよこになる前に」



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