第30話 業の深い

「言いたいことはそれだけか。俺は行く」


 硬質で、そうであるがゆえにひどく冷たく響く声で言い捨て、アベルは目の前の少女アンナから顔をそむけた。

 アンナは眉間に皺を寄せて扇をたたむと、烈しいまなざしをアベルに注ぐ。


「お待ち下さい。陛下はお立場がまだまだ弱い。兄王子たちの相次ぐ戦死と、前王の引退に伴い、玉座がたまたま転がりこんできただけではないですか。成り上がりであるシュクヴァルの兄弟を重用しているのもよろしくありません。この国を長く見守ってきた、旧来の家臣たちを大事になさいませ。皆、この国の未来を憂えているのです。私は、陛下のために申し上げているのです。結婚は陛下の地盤固め。王妃に隣国の王女など迎えている場合ですか。女性ならば、他にいくらでもいるでしょう。それこそ、この国の貴い血こそが」


「己の利権を気にしている、というのはそういう言い換えが可能か。勉強になるな、アンナ嬢」


 押し付けがましい善意に対し、返す言葉は氷の冷たさ。青い瞳を向けられたアンナは、う、とほんの少し怯んだ表情となる。それでいて、アベルの麗姿から視線を引き剥がすことができず、魅入られたように見つめていた。

 向き合う二人。凍りついたその一瞬、アンナの視界に、妙なものが入り込んできた。

 手ぶらで、王の背後にまわりこみ、様子をうかがっている侍女。

 アンナは眉をひそめ、その侍女を注視した。王宮に出入りを許されてきた高位貴族の令嬢として、その相手には得も言われぬ違和感を覚えたのであった。有りていに言って、何かがカンにさわる、という。

 扇で一直線に侍女を指し示し、声をあげる。


「そこのあなた。何をしているの?」


 * * *

 

 陛下をつかまえてきます、と。

 勇んで飛び出してきてはみたものの、現在のエステルは侍女の姿。

 相手がアベルだけならいざ知らず、ミゼラ大公の息女であるアンナの前で国王であるアベルに親しげに話しかけるわけにはいかないと気付き、二人の間に入っていくことに躊躇した。

 ならば一度引き返すか、仕事中のふりをして通り過ぎるか。決めかねているうちに、アンナに見つかってしまった。


「そこのあなた。何をしているの? 今は私と陛下が話しているというのに、無礼ではなくて」


 目に力がある。その強い視線を浴びて、エステルはもはや逃げ隠れはできないと居住まいを正した。


「何をしているかといいますと、仕事をしておりました。ときにお嬢様、お忙しい陛下をつかまえて立ち話というのは良くないと思います。陛下に意見なさりたいなら、正式に謁見の許可を求めてはいかがでしょう。せっかく陛下をおもんぱかって何かと申し上げても、非公式ではうやむやになるだけですよ」


「な……んですって……!! 侍女ごときが私に意見をするというの!?」


「私が侍女ごときだというのなら、お嬢様も『たかが貴族のご令嬢ごとき』です。一国の王に対し、なんの権利があってご自分の考えを披露しているのですか。聞かせる意味がある内容だと自信がおありなら堂々と公的な場で発言すべきです。ただの雑談であるなら、陛下の時間をいたずらに浪費させるべきではありません。意見ですか、雑談ですか。アンナお嬢様?」


 壁も床も立ち並ぶ円柱さえも、すべてがエステルの言葉を聞いているかのような息詰まる沈黙。

 もちろん、アベルも。

 静寂の中、アンナは両手で扇を握りしめた。指が白くなるほど、力をこめて。


「誰に向かって口をきいていると思っているの」


 エステルは一切の動揺を見せず、淡々と答えた。


「前王の姪でミゼラ大公のご息女のアンナ嬢ですね。現ミゼラ大公のお祖母様はバルテルスの現王の伯母にあたります。つまり、アンナ嬢の曾祖母と私のお祖母様同士が姉妹ですので、血縁関係のある親戚です。あなたは古きシュトレームの貴族であること誇りに思っているようですが、その身にもバルテルスの血は流れているのです。陛下の地盤固めのためにバルテルスの『血』を拒否し、シュトレーム人を薦めるというのであれば、ほとんどの高位貴族が対象から外れてくるでしょう。なぜなら、隣り合う国同士、先祖をたどればこのくらいのつながりはたくさん出てきますから」


「お祖母様と曾祖母の関係で親戚……? 何を言っているの? あなたはいったい……」


 誰何すいかを受けて、エステルは笑みを深めた。毅然として背筋を伸ばし、告げる。


「お初お目にかかります。エステルです」


 その名に思い当たったアンナは、目を大きく見開いた。たたみかけるように、エステルが続けた。


「血に優劣や、高貴さを求めようという考え方に私は馴染みません。血は誰の体にも流れる体液のひとつです。ことさら意味を見出すものでもないでしょう。そう考えることはできませんか?」


 エステルが淡々と言葉を重ねるのを、アンナは身じろぎもせずに見つめていた。

 やがて、かすれて裏返ったような声で言った。


「年増の行き遅れ王女よね……! あなた、どうして侍女の格好をしているの? まさか、王宮で侍女として働かされているの? 王宮はそこまで人手不足なの?」

「それは、なんと申しましょうか」


 突然の、答えにくい角度からの質問に対し、エステルがはじめてまごついた。その様子を見てとり、アンナは「信じられない!」と今度は力強く声を張り上げる。

 その勢いのまま、沈黙していたアベルに顔を向けて、断固として言った。


「陛下、それはあんまりです! バルテルスの王女を追い出せとは申しましたが、満足に遇することなく侍女として働かせたあげく放逐したとあっては、国の威信もあったものではないでしょう……! 王宮がそこまで困窮しているというのなら、我が家から何人か侍女を派遣しますが!?」


 額をおさえたアベルは「間に合ってる。心配無用だ」とごく短い返答をした。

 アンナは足音も高くエステルに歩み寄ると、間近な位置からその全身に視線をすべらせる。頭から足元まで見るのを三往復ほど繰り返し、ふん、と息を吐いた。


「ものすごいおばさんだって聞いていたけど、そこまででもないのね」


「認めてくれたんですね。ありがとうございます。認めてくれたついでに、ぜひお父上にも『あなたにもバルテルスの血が流れてますよー、仲良くしましょう』ってお伝えください。優秀な宰相殿の調べによると、ミゼラ大公、お小さい頃はお祖母様っ子だったそうです。きっと本当はご存知ですよ、血縁関係のこと。もしかしてこの国であの戦争を誰よりも嫌がっていたひとりかもしれません。いまはバルテルス憎しにとらわれているかもしれませんけど、話し合いの余地があると私は信じています」


 にこにことした笑顔でエステルが邪気無く言うと、アンナは呆れ顔で扇を開いた。ゆるく自分を仰いでから、「伝えないこともないわ」と言い捨てて、再び扇をたたむ。

 その流れのまま、ドレスの裾をつまんでアベルに礼をし、「今日はここまでで失礼します」と告げて、背を向けて歩き出した。

 振り返ることもなく遠ざかる後ろ姿を、エステルは微笑んだまま見送る。

 それから、黙ったままのアベルのことを思い出して、ちらりと横を見上げて言った。


「陛下、見つけました。突然逃げてしまったので、追いかけてきたんですよ。つかまえて良いですか?」


 額をおさえたままであったアベルは、手をずらして青い目でエステルを見下ろし、押し殺した声で言った。


「エステル様だったんですね。俺の業の深さが見せた幻覚かと思っていました」

「業の深さ?」

「侍女の姿のエステル姉さまにまた会いたいという……、いえ、なんでもありません」


 アベルは思いっきり、顔をそむけてしまった。エステルは小首を傾げながら、赤く染まった首を見つめた。


「よくわかりませんけど、侍女の制服は私も好きですよ。しかも、この姿なら仕事のふりをして陛下のおそばに行けるとも気づきましたので、これからは……。陛下がお忙しくてお顔を見せてくださらないときは、私がこの服装でこっそりお茶をいれに行って差し上げますね」


 言い終える前に、エステルは「あっ」と小さく悲鳴をあげる。振り返ったアベルの両腕に強く抱きしめられ、身動きもできないほどしっかりととらわれていた。


「エステル様には助けて頂くばかりで……」

「助けに来たんです。御役に立てているなら幸いです。二人でこの国のひとたちを幸せにしていきましょうね」


 すがりつくように、肩口に額を押し付けてきたアベル。エステルは、身をひねりながら腕を伸ばして、アベルの背に回して、ぽんぽんと軽く叩くように撫でる。

 顔を上げぬまま、アベルは低い声で囁いた。


「あなたのおかげで、俺も血の呪縛から自由になれそうです。この体にあの父の血が流れているから侍女が性癖だなんて恐ろしい考えに一瞬でもとらわれた自分を殺してしまいたい。侍女だから好きではなく、エステル様だから好きだという、自分をもっと信じるようにします」

「……? はい、ええと?」


 陛下、何を言っているんです? とエステルは小声で聞いたが、アベルは「気にしないでください」と答えてから、ようやく顔を上げた。

 青い瞳にありったけの愛しさを浮かべてエステルを見下ろし、甘い声で囁いた。


「今晩、エステル様のお部屋へうかがいます。ここ三日会えなかったのがかなりこたえてしまっていて。拒まないで頂けると嬉しく思います」

「夜に、ですか……」


 エステルは迷うように呟きながら俯く。アベルの背にまわしていた手をすべらせるように落とし、そのままジャケットの裾をきゅっと握りしめた。

 やがて、絞り出すような声で「はい」と答える。

 アベルはくすっと笑みをこぼしてから、真っ赤に染まったエステルの耳元に唇を寄せて念押しのように言った。朝までですよ、と。

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