第5話 兄弟のように
「ルークだよ。覚えているだろ? 国境で君を出迎えた」
「あのときは、ふたりいた……」
朗らかな調子で話しかけるルークに対し、アベルはぼそりと呟く。その言葉を拾って「ああ、そうだね」とルークは鷹揚に頷いた。
「二人同時に名乗ったから混同してるかな。私とあの場に一緒にいたのは我が友人のマチスだ。この国の筆頭公爵家の嫡男でいずれは俺の片腕になる優秀な男。殿下の国から、殿下と交換に……『遊学』に招かれたのは私の婚約者のミリアムだったが、マチスが『ぜひとも自分が行きたい』と譲らなくて。いまは殿下の国で勉強に邁進しているはずだ」
ルークの横に立ち、エステルは顔色を変えないように微笑みながらその声を聞いていた。
二国が緊張状態にあるいま、アベルが「人質」とみなされているように、隣国シュトレームにバルテルスから出向いた要人の立場もまた、同じだ。
今回の要人派遣に際し、シュトレーム王から出された要求は「息子を行かせるのだから、そちらも同格の人間を差し出すように」だった。名指しされたのは、王太子の婚約者として幼少時から王妃教育を受けていた侯爵令嬢のミリアム。当初、要求の詳細は本人を含む関係者のみに伝えられたが、普段は気丈な淑女であるミリアムが、その話を聞くとひどく怯えて恐慌状態に陥ったという。
見かねたルークが「自分が行く」と言い出したが、王太子の身でそれは許されない。シュトレーム側から差し出されるアベル王子は、身分の低い側室の子で王位を継ぐ可能性は限りなく低いとのこと。ルークの価値とは釣り合わない、というのが王や重臣の意見であった。
その議論の場で、次期宰相候補であるマチスが名乗りを上げたのだ。その役目は自分が引き受けます、と。家柄や身分的に、未来の王太子妃にひけをとらない。王子であるアベルとも釣り合いがとれる。
――危険な役目だが……
――だからこそ俺が行くんだよ
最後まで悩み抜いたルークを、マチスは明るく説き伏せ、周りにも認めさせた。シュトレーム側もマチスであれば、と了解した。
せめて送ると、ルークはマチスの使節団に同行して国境に向かい、アベルとの身柄交換の場に立ち会ったのだ。
仲の良い友人同士で、年齢も同じ、背格好もよく似ている二人。顔を合わせてすぐに馬車に乗せられたアベルは、そのときの光景を思い出して「ふたりいた」という言葉が出たに違いない。
長い前髪に隠れて、アベルの目はエステルからはほとんど見えないが、ルークの顔を確認する仕草をしているのはわかる。
そのアベルに、ルークは生真面目な顔をして言った。
「思い出したかな。私がルークだ。了解してくれたら部屋に入れてくれ……」
そう言いながら、軽く首を傾けてアベルの頭越しに部屋の中をのぞきこむ。エステルも同時に目を向けた。
昼間だというのに、薄暗い。目を凝らしてみると、壜やコップや衣服が散乱し、椅子がひっくり返ったりと荒れた様子が見てとれる。
(楽しく食事やお茶をする前に、片付けないといけないのでは)
危ぶんだのはルークも同様らしく、後ろに付き従ってきていた侍女たちを振り返った。
「殿下と庭でお茶会をしてくる。帰ってくるまでに部屋の中の掃除と、湯浴みの準備を頼む」
言うなり、身をかがめてアベルの腕をひっつかむ。やめろ、とアベルはかすれた声で抗議していたが、ルークの力にはまったくかなわなかったようで、あっけなく廊下に引きずり出された。
前髪が揺れて、澄んだ青の瞳がのぞく。
横から見ていたエステルは、思いがけないほど綺麗なその色に気づいて、吸い寄せられるように覗き込んでしまった。
“なんなんだよ……っ。なんで王太子が俺なんかを構うんだよ……っ。そんなことして立場が悪くなったりしないのか、このひとは。シュトレームとバルテルスは、国同士、ものすごく仲が悪いはずなのに”
(この子。お兄様の心配をしてるの? 自分のことじゃなくて)
流れ込んできたアベルの本音に、エステルは息を止める。胸の中がいっぱいになり、体の奥から熱い感情がこみ上げてきた。
守らなければいけない子どもなのだ、と言いながらも、相手の性根までわかっていたわけではない。暴れていると聞いて、手のつけられないわがままかもしれないと危ぶんでいたのもまた、事実だ。
(周りが思う以上に視野が広くて、考えが深い方なのかもしれない。いまは不遇な身の上で「俺なんか」と言ってしまっているけれど、名君の素質があるのでは……)
エステルの目の前で、アベルは「はなせよ」とルークに必死に抵抗している。その強気ぶりが面白いのか、ルークは生真面目な顔を維持しきれずに「はなさないよ」と言いつつ目が笑っていた。
兄弟のようなじゃれ合いぶりにエステルも思わず笑み零しつつ、声をかける。
「今の季節、薔薇がとても綺麗に見える四阿があります。すぐにご用意致しますので、参りましょう」
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