第4話 心を閉ざした王子
エステルが知る限り、普段自分が暮らす王宮内はどこもかしこも掃除が行き届いており、花が飾られ、心地よく整えられていた。
しかし、アベルにあてがわれた部屋へと向かう廊下は、空気からして違っていた。
曲がり角に立つ衛兵の目つきの鋭さ。薄く埃の積もった廊下。花瓶の花はしおれている。
王宮のはずれの細い廊下の先に、一部屋しかないという時点で、そこが「来客用」ではなく「幽閉」を目的とした部屋であるのは明らかであった。
どんどん進むエステルに対し、後ろに付き従う侍女たちはいかにも気乗りしない様子で、足取りも重い。
気づいてはいたが、エステルは立ち止まることもなくアベルの部屋に向かい、ドアの前に立って声をかける。
「殿下。甘いお菓子を持ってまいりました。少しで良いから召し上がってくださいませ。殿下、殿下? 聞こえますか?」
返事は無い。
エステルは目を伏せ、考え込む。
(アベル殿下は、毒見をしろとか、気を許せない者の前で服は脱げないだとか……。周りが敵だらけと知っていてなお自己主張ができるくらいに、意志のはっきりした方なのよね。ただのわがままな子どもというのとは違うように思います。私自身、「一般的な六歳」についてよくわかっているとは言い難いですが)
弟妹はおらず、子どもと接する機会もさほど無い。自分が六歳くらいの頃はどうだっただろうと考えてみたが、アベルほど過酷な状況に置かれたことはないので、比較はできない。
しいて言えば、エステルはお菓子が好きだった。料理の美味しさはよくわからず、お菓子だけ食べていたいと思っていた。だから、自分の好きなものをバスケットいっぱいに詰め込んできたのだ。
これでどうにか押せないだろうか、と思っていたところで、横に人の立つ気配があった。
「お兄様。どうしてここに」
二歳年上の兄王子、ルーク。
父も母も同じであるエステルとは、茶色の髪も翠の瞳も同じで面影もよく似通っている。最近は父王の補佐で仕事を抱えこんで多忙を極めているはずだが、エステルに向けた笑顔は柔らかなものだった。
「話が耳に入って。アベル殿下の現状に関しては、私も思うところはあった。忙しさを理由に後回しにしてしまっていたが、エステルが声を上げてくれて目が覚めた。ありがとう」
実直そうな物言いに、エステルは視線を合わせずに顎のあたりを見上げる。不必要に相手の「心の声」を聞くことがないように、気づかれない程度に視線を外すのは癖になっていた。
「お礼を言われるようなこと、私はまだ何も出来ていません。まずはこの扉の向こうへ行かねば」
わかっている、というようにルークは頷いてからドアへ向かって声を張り上げた。
「アベル殿下、籠城していると聞いているが、糧食がなければ早晩攻め落とされるぞ。兵站の確保は指揮官の責務だ。優秀な君主であろうと思うのであれば、そこの判断は間違うな。いまここで戦線をくぐり抜けて中の兵へ補給物資を届けようとしている侍女を私は見逃そうと思う。戦況の見極めができるなら殿下はこの支援は受け取っておくべきだ。私の言葉を理解できる頭があるならドアを開けるように」
お兄様それは、とエステルは口の動きだけで伝えようとする。ルークは、目が合った一瞬、片目を瞑ると、口の端にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
“挑発にのる元気があれば良いが”
(お兄様は、嘘偽り無く、アベル殿下の力になろうと)
探るつもりはなく、聞こえてしまった本音。実際にその言動に裏表がないと知ると安心する。この王宮には、自分以外にも隣国の少年を気にかける大人がいたのだと。
ドアに向き直る。そのとき、どかん、と内側からドアが叩かれた。
「その支援物資に、毒が入っていないことを、誰が保証するんだ。水源に毒を流し込んで敵を一網打尽なんて、戦略の常套手段だろ」
力強いが、かすれている少年の声。はあ、と辛そうに息をするのがドア越しに聞こえたような気がした。
(アベル殿下ご本人ね。喉がかわいていて、声がうまく出ないのかも)
はらはらしながらエステルもまたドアに向かって呼びかける。
「武器は持っていません。まずは開けて頂けませんか? 入ったら、私が殿下の目の前ですべて毒見をします」
「……信じない。たとえばお前の食べなかった部分に毒が入っていたら? 俺が手ずから選んでお前に食べさせたとき、お前は命を落とすかもしれないな。侍女など捨て駒にされても」
長く話すと、さらに声の枯れ具合が伝わってきて、痛々しい。それ以上に、語られる内容に満ちる猜疑心と悲哀に、エステルは眉を寄せてドアに手のひらをあてた。
その横で、ルークが今一度言った。
「私はこのバルテルスの第一王子ルークだ。一度顔を合わせているから、わかるだろう。
少しの沈黙。
やがて、ドアが細く開いた。小さな人影。べたついた長い前髪に遮られて、顔はほとんど見えない。首を傾けて、やや上を向いたのは仕草でわかった。
子どものものとは思えないしわがれた声が、ひびわれた唇からもれた。
「ルーク王太子殿下……?」
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