第25話 異変からの

「先日の市街地巡りや王室関係施設訪問、病院への慰問など、どこも評判が良かったです。抜き打ちでも、手土産は欠かさない気遣いでかえって人気を獲得してくるだなんて、さすがエステル様。『かつての敵国の王女』という視線を恐れることなく民衆の前に姿を見せる気骨、イグナーツは感服しましたよ」


 乾いた目元を指で拭いながら、赤毛の宰相イグナーツが力説している。

 午前の日課である書類読みの最中に訪問を受けたエステルは、淀みなく話し続けるイグナーツに笑みを向けておとなしくその熱弁を傾聴していた。

 なお、書類は日に日に増えてきていて、外回りも仕事に組み込み始めたここ三日ほど、全然読みが追いつかなくなっていた。それがわかっているはずなのに、イグナーツは頼んでいない分までせっせと運び込んでくるのであった。「こういった細かい部分は、陛下だけでは目が行き届かないので。この王宮の『女主人』としてのエステル様が気にかけてくださるので、助かりますね……!」と。


(そこまで言って頂いて、とてもありがたいとは思っているのですけど……)


 不満はない。やる気はある。ただし、元気が出ない。その自覚はあった。

 エステルは、イグナーツの息継ぎのタイミングをみはからって、さりげないふりをして尋ねてみる。


「先日以来、朝食に陛下がお見えにならなくて、ですね……。陛下も、そこまで仕事がたてこんでしまっています?」

「ええ、ええ。そうなんです。陛下もエステル様にお会いする時間は確保したいのはやまやまだと思うんですけど、んん~~~~、ほんっとにどうにもこうにも。見ていて不憫ではあるんですけど。日に日におやつれになって……ああ~~、陛下、かわいそう」


 またもや、涙の気配のない目元を両手で覆って、イグナーツは泣き真似をしていた。その芝居がかった動作をぼんやりと見ながら、エステルは控えめに告げた。


「その……。私に会う会わないは二の次にしても、お休みになられているのでしょうか。お姿をお見かけすることがないので、もしかしてご病気なのではと心配で。無理はなさらないようにと、差し出がましいかもしれませんが、お伝え頂くことは」


 さっと、イグナーツは居住まいを正した。不敵な光を放つ瞳をエステルに向けて、口の端を吊り上げて笑う。


「お伝えするだけでよろしいのですか?」


 他に何が、エステルが首を傾げたところで、部屋の中で立ち働いていた侍女長のメイレンが進み出てきた。その後ろに従ってきたダニエラがしずしずと畳まれた衣服を差し出してくる。エステルが目を凝らしてそれを見たとき、メイレンがおごそかに言った。


「かねてよりエステル様にお願いされていた『侍女の制服』をご用意して参りました。これを身に着けていれば王宮内のいろんな場所に入り込めます。エステル様はまだ結婚式等のお披露目の場をもっておりません。ここ三日、続けて城下に出られておりますが、王宮内では顔を知らぬ者も多いです。今ならまだ、侍女のふりをして動き回ることは可能でしょう」


 その後を引き継ぐように、イグナーツが力強く続ける。


「エステル様が箱入りのお姫様でしたらこんなことはおすすめしようとは思いませんでした。ですが、果敢に城下に出ていく姿を見ていたら、敵だらけの王宮でも堂々と立ち回りができるんじゃないかと、イグナーツは確信しました。エステル様のご用命でこれまで様々な書類を届けておりますけど、実際にご自分の目で見て確かめたいこともたくさんおありでしょう。ですので、今日のエステル様のご予定は『ドキドキ一日侍女体験』ではいかがと提案する次第であります!!」


 そこまで言われて、エステルはようやく飲み込めた。

 イグナーツに関しては、これまで何度と無く「心の声」を聞いていて、二心のない人物というのはよくよくわかっている。


(宰相殿に関して言えば、この提案に裏は無いでしょう。メイレンもダニエラも信頼がおける人材だわ。だとすればこれは、私自身で王宮内を歩き回るにあたって、願ってもない好機ということよね……!)


「わかりました。今日一日、私は部屋で執務をしているということにしておいてください。訪ねてくる方の予定もありませんでしたし、大丈夫でしょう」


 早速立ち上がったエステルに対し、イグナーツは朗らかな笑みを向けて頷く。


「そう言ってくださると思っていました、エステル様。早速お着替えください。新顔の侍女ということで私や侍女長でそれとなく補佐しますのでご心配なく。そうそう、私と一緒に行動していると、陛下の仕事をしている姿を見る機会もあると思いますよ」

「それはお邪魔になりませんでしょうか」

「とんでもない。エステル様はエステル様で、お部屋の清掃や、食事の配膳といった、れっきとした業務で陛下のおそばに近づくだけです。そのついでに、『お元気ですか』とか『食事召し上がってますか』とか『ちゃんと寝ていますか』って優しい言葉をかけてあげるだけで、陛下、生き返りますから」


 大げさすぎる物言いに、エステルは苦笑を浮かべて、たしなめてみる。


「それではいまの陛下が生きてはおられないようです。お忙しいといっても、さすがにそこまででは……」


 途端、イグナーツが表情を暗くして俯いた。「宰相、殿?」とエステルは声をあげつつ、空気に異変を感じて辺りを見回すと、メイレンとダニエラまで落ち込んだように肩を抱き合っている。


(え……、何? 何この空気……陛下はご無事なの?)


「陛下、やっぱり本当はご病気なんですか? あの……」

「心配ですよね……!? 『元気に』って人づてに言っている場合じゃないってわかりましたよね!? ささ、エステル様、侍女の制服を身につけてご準備ください。陛下を生き返らせられるのはエステル様しかいません。行きましょう、行って死にかけの陛下をびっっくりさせちゃいましょう!!」

 

 煽られ、焚きつけられているのを感じつつも、一度胸の中に広がった不安は消しようもなく。

 エステルもまた「わかりました、着替えます」と応じた。


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