第26話 幻覚に違いない
子どもの頃の出会い。
それから十年余に渡る互いの国同士の敵対関係を経て、求婚を伴う再会。
ただでさえ複雑な背景を持つ上に、年齢差は十歳。果たして恋愛的な意味では結ばれるかと「陛下の初恋」を見守り続けたごく少数の腹心は気をもみ続けていたものの。
城に降り立った二人の様子を見て、この仲の良さなら心配いらないのではないかとおおいに喜んでいたのだが。
国王アベルと、未来の王妃エステルの関係は、なぜかそこから一向に進展を見せなかった。
原因として考えられたのは、二人の生真面目な性質。アベルはエステルと顔を合わせれば好意を示すものの、会わない時間は仕事一筋。エステルもまた、自分の裁量で動き回る大胆さを持ち合わせつつ、客人としての分をわきまえた控えめさで、アベルと過ごす時間の少なさに文句を言うことなども一切なく。
二人揃って、粛々と仕事に邁進する毎日。それどころか、結婚式さえ先送りにしそうな始末。
この事態に、宰相以下数名が
――やっぱり、結婚前の同居による「中途半端に確保した感」がよくない。会おうと思えば会えるからいけないんだよ。思いっきり引き裂いてからの劇的再会がいいよ、絶対。
(我が兄ながら、恐ろしいことを考える……。引き裂くとは)
宰相イグナーツの発案に対し、実弟である近衛騎士団長エリクは念のため進言した。
――しかし、あの二人だ。会えないなら会えないで「仕方ない」と諦めて、行儀よく仕事をし続けることにはならんだろうか。「ただ会えない程度」で恋煩いに倒れるとは思えない。少なくともエステル様は。
――エステル様が倒れないなら、陛下を倒れさせれば良いんだよ……っ。会えないばかりに倒れて仕事に支障があるって理解したら、「仕事のために」って大義名分でエステル様ももう少し素直に陛下に寄り添ってくれると思うんだよねえええええ。
国王アベルに忠義を誓う宰相イグナーツは、アベルに肩入れをするあまりに本人を「倒れさせる」とまで言い出した。聞く者が聞いたら叛意を疑われかねない一言であったが、イグナーツはどこまでも本気である。
そして実行に移した。
手始めに、二人のささやかな逢瀬の妨害に着手。朝の短い時間だけ会っていたアベルに「あっ、こんなに裁可待ちの書類が。しかも今日まで」と山積みの書類を押し付け、執務室に軟禁。三日目でアベルは枯れ、四日目で完全に無言になった。
それでもイグナーツが持ち込んだ仕事には仕事として向き合っている。
ほとんど表情を失った横顔を見ながら、エリクは(……かわいそう)と思わなくもなかったが、イグナーツは「限界前にきちんとエステル様に会わせるから心配しないで」と言って意気揚々とエステルの元へと向かった。後は待つばかり。
そして、その言葉に嘘はなく。
固い表情でアベルが執務机に向かっていた午前中。普段はエステル付きになっている侍女長メイレンが笑みを浮かべて現れた。ちらっとアベルの背後に控えたエリクを見てからアベルに向き直り、いたずらっぽく目を輝かせて言う。
「陛下、仕事が立て込んでいるとお伺いしておりまして。休憩くらいとってくださいませ。お茶とお茶菓子をお持ちしましたので」
笑いをこらえているらしく、声がふ、ふふ、ふふ、と不自然に震えている。
アベルは目を伏せ、眉間から鼻根のあたりを指でつまむように揉みつつ、暗い声で答えた。
「ありがとう。メイレンがここに来たということは、エステル様は今日も外回りに出られたのかな」
言いながら、目を開けると手にしていた資料に再び視線を視線を走らせる。顔を上げることはない。
メイレンの背後では、一緒に入室した侍女がソファに向かう小テーブルに茶器と皿を並べていた。その実直そうな横顔を見て、エリクは「ひっ」と不自然な息をもらしかけ、飲み込む。
(エステル様……!!)
長い茶色の髪は、形の良い頭部に沿う綺麗な編み込みで、肩につかぬようにまとめている。その横顔はまぎれもなく、未来の王妃にしてアベルの想い人であるエステル王女そのひと。黒を基調とした侍女の服を清楚に着こなし、白いフリルのエプロンをつけて、一見すると侍女にしか見えないが。
(陛下、陛下。陛下気づいてください。エステル様、エステル様がこんな近くまでお越しですよ……!)
書類を読んでいるアベルは、一切気づいていない。
誰か気づかせてあげれば良いのに、メイレンは待ちの姿勢であり、エステルに至っては生真面目にお茶をカップに注いでごく普通に侍女の仕事をしている。
ならば自分が、とエリクが意気込んだその瞬間、アベルが書類にペンを走らせ、署名をしたためた。
そこでため息をつき、立ち上がる。
メイレンに目を向け、かすれた低い声で告げた。
「せっかくだから少し休憩しようかな。わざわざありがとう」
「いえいえ。陛下の大好物をお持ちしたので、ぜひゆっくりと味わって召し上がっていただきたく」
両手をもみ絞り、満面の笑みでメイレン、力説。エリクも思わず拳を握りしめて(侍女長、結構すれすれのヒントを出していますね……! たしかにエステル様はアベル様の大好物でしょうね、おっと)とにやけそうになるのを必死に堪えていた。
数歩でメイレンの横に到達したアベルは、くすりと笑みをこぼした。
「ドライフルーツのケーキですか。子どもの頃からずっと好きなんですよ。楽しみだな」
(おしい!! 子どもの頃からお好きなのは間違いないですけど、侍女長の言っているのはエステル様のことです……!!)
三日ですっかり萎れて枯れたアベルがエステルに再会するその瞬間を、仕掛け人のメイレンとエリクはいまかいまかと待ちわびていたのだが。
「陛下、ご用意できています」
テーブルの上にお茶の用意を済ませて、本物の侍女のようにエステルが告げたその瞬間。
アベルはよろめき、大きな手で口元を覆った。
「げ……、幻覚が見えるようになってしまった……」
(あ、そうくる!? 陛下そうきちゃった!?)
目の前の光景を頭で処理しきれなかったらしいアベルに、エリクは慌てて「幻覚じゃないですよ」と声をかけてみるものの、蒼白になったアベルの耳には届かず。
「エステル様にお会いしたいばかりに、侍女の顔の区別もつかなくなってしまった。こ、このままだと出会う女性すべてがエステル様に見えてきてしまうのでは……」
「いやいや陛下、落ち着いてください! 侍女長は識別できていたでしょう? 大丈夫ですよ、陛下はまだ大丈夫ですよ!!」
「エリク。しかし、侍女がエステル姉さまに見えてしまうんだ……。俺はもうだめかもしれない」
「見えて良いんですよー!! 見えて良いんですからねー!! エステル様も何か言ってあげてください!!」
呆然として、侍女姿のエステルを見つめるアベル。その視線を受けながら、エステルはいつもながらの落ち着いた調子で「私ですよ」と言った。
ついにアベルは両目を閉ざし、苦悶に満ちた表情となって呻いた。
「声まで……。こんな都合の良い幻覚があるわけがない。このままだと、俺はエステル様と勘違いしたという最低の理由で、侍女に手を出してしまう。すまない、少し頭を冷やしてくる」
言うなり、そのまま大股に部屋を横切り一目散にドアに向かうと、止める間もなく出て行ってしまった。
その場に残された三人は予想外の事態に沈黙。
一番最初に我に返ったのはエリクで、「どうしましょう」といった表情で立ち尽くしているエステルに向かい、声を張り上げた。
「追いかけましょう!! 陛下、エステル様に会わなすぎてちょっとおかしくなってるので!! 早く追いかけて、ひとおもいにとどめをさして楽にしてあげてください!! はやく!!」
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