【第三章】自分らしく踏み出す勇気を
第22話 朝食を一緒に
恋は駆け引き。追う側は不利。好きになった方が負け。
百戦錬磨、一家言ある大人の男女が訳知り顔で語る恋の極意を、エステルとてこれまで耳にしたことはあった。それなりに理屈が通っているようで、そういうものかと他人事として納得していた。
アベルに出会った今となっては、(本当にそうなの?)との思いでいっぱいである。
「おはようございます。最近の俺は、エステル様に会うためだけに生きています。あなたがいなかったここ数年、自分がどうやって生きていたかも、もう思い出せません。今朝の目覚めはいかがでしたか?」
多忙な国王陛下は「国賓」であるエステルと会う時間を捻出するため、到着の翌日からエステルの部屋で朝食を一緒にとるようにしていた。現在、「そこ」しか確実に会う時間がとれないため、苦肉の策としての非公式朝食会であった。
エステルは、毎朝アベルの到着前から身支度を整えてドアの前で待っているが、その時間が段々早くなり、アベルの訪れも日に日に早くなっている。暗黙の了解として、目覚めから食事の準備まですべて前倒しになっているが、侍女や従者たちは嫌がるどころか誰も彼もが楽しそうな顔をして立ち働いていた。
そして、アベルの訪れ。
出会い頭に、優しげな微笑を浮かべ、愛しいものを見つめる目で過剰な挨拶を繰り出される。
顔を見ただけで足元がふわふわしてしまっているエステルとしては、挨拶もままならない。
「おはようございます。とても良い朝でした。陛下もお元気そうで何よりです」
俯きがちにそれだけ言うのが精一杯。アベルはエステルを軽く抱き寄せて額に口づけをし、手を取って指に口づけをしてから、手をつないでバルコニーへと歩き出す。
緊張しながら、エステルはさりげなさを装って声をかけた。
「今日も天気が良さそうですね」
「そうですね。朝でも寒くないですし、良い季節になってきました」
普通の返答に、ほっとして息を吐き出す。
(最近の陛下は、気が抜けない。いつ何時口説いてくるからわからないから……。こちらから一言いえば、返す言葉で愛の詩が紡げるほどに)
慣れない。いつの間にか手をつながれるところまでは習慣にされてしまっているが、息もつけないほどの「好きです」攻勢。エステルに対しては自分を偽らないと決めた後のアベルは、エステルの気持ちとずれがあるのを理解した上で、「好き」であることを一切隠さない。
それは、恋する側として負けているひとには到底見えず、確実な勝算があると思わされる。
ここまであけすけでなければエステルも誤魔化しようがあったかもしれないが、気づいたときには逃げ場所などどこにもなかった。
(いざ勝負となれば、負けない戦い方がよくおわかりのような)
本当は、「恋にうつつを抜かしている場合ですか」と苦言を呈したい。しかし、エステルと会っているときはこれほど甘い言葉を浴びせかけてきているアベルが、日中の公務では相変わらず「氷の陛下」として振る舞っているという証言が寄せられており、エステルが心配する隙はないらしい。
――エステル様にお会いしたいのを我慢して、仕事はきちんとやっていますよ。すごい自制心。夜に忍んで行くこともないでしょう? 式を挙げて正式に結婚するまでは、そこはけじめで。
エステルの元に、頼んであった資料を自ら運んできたイグナーツはそう言っていた。
――ご存知の通り、ミゼラ大公をはじめとして、エステル様に対してよからぬ考えを持っている一味がおります。陛下がここまでエステル様に入れ込んでいると知られたら、陛下の力を削ぐ意味でも何かと仕掛けてくる恐れがありますね。そうでなくとも戦争が終わった今、内側の問題が吹き出してくるでしょう。五秒前の出来事すら覚えていられない連中が「なぜ他国の姫君など娶るのか。国内の有力貴族との関係性強化が先ではないか」などと独身の陛下をせっつく。この「政略結婚」が戦争を終らせる決め手のひとつになっているというのに。
いまや、アベルの側近やエステルの身の回りの者で二人の関係を知らぬ者はいないが、まだまだアベルは広く自分の内心を悟られないよう、公務では慎重に動いているとのこと。
バルコニーで並んで景色を見るのも、目撃を避けるためにほんの短い時間。そのひとときでさえ、大半は事務連絡となる。
「救貧院と養護院の慰問日程は確定しました。先方にも到着日時の連絡は済んでいます。イグナーツがこの後説明に上がります。城の外では何が起きるかわかりません。お出かけの際にはお気をつけて。それとは別に、ミゼラ大公のご息女アンナ嬢から……、エステル様に茶会の招待状が届いています。親交を含めたいとのこと。アンナ嬢はいまこの国の社交界のご令嬢の中では一番権勢を誇っている。茶会の動向次第で、女性陣からのエステル様への風向きが決まる面もあるでしょう」
「わかりました。何か注意事項があればお知らせください。善処します」
エステルが即座に返事をすると、石造りの手すりに手を置いたアベルが、悩ましげにため息をつく。
「本当は俺が同行したいのですが……」
「そうして頂ければ心強いとは思いますが、女性同士の集まりであれば私ひとりで行くべきですね。仲良くできるようにします」
「それ、本音ですか?」
なぜか念押しのように確認されて、エステルはうかがように見下ろしてきたアベルを笑顔で見上げた。
「どこもかしこも焼け野原になっている時期に、お茶会なんて優雅な催し、結構な身分ですね。と、国民の皆さんは思うかもしれません。どこの国でも、慈善活動は高位女性の社会的義務です。アンナ嬢にお時間があるようでしたら、私からはお返しのお茶会を開くよりも慰問にお誘い申し上げてみますわ。もしくは炊き出しなんて良いかもしれませんね」
わかりました、というようにアベルは頷いてその続きを引き継いだ。
「ミゼラ大公といい、アンナ嬢といい、親子ともどもなかなか
「了解しました」
話すだけ話して、エステルは室内で食事の準備が整ったのをちらりと確認し、アベルの手に手をのせる。
アベルは素早くその手をとり指を絡めながら、どことなく寂しげに目を伏せた。
「話が早くて……、どうしても仕事の話になってしまいます。もっとべつのことを話したいのに、仕事の話ですら、あなたが相手だとこれ以上なく楽しくて、止まらなくなります」
「仕事の面で陛下を支えることができるのであれば、私としてもこの国に来た甲斐があります」
窓に向かって歩き出す。肩がぶつかり、腕が触れ合う。エステルが少し身を引こうとすると、すぐに強く手をひかれて側に引き戻される。
「俺はエステル様に求婚した自分を、いま盛大に褒めているところです。あとは式を……」
甘ったるい空気が漂ってきそうで、エステルはぎくしゃくと歩き始める。話をそらさねば、と思うのに何も思い浮かばない。その隙を逃すアベルではない。
「これほど愛しく思っている方に、子どもを生むとはっきり言われているだなんて、その日が待ち遠しくてならないです。可愛いでしょうね、エステル様が生む俺の子どもは。早く会いたいです」
「まだどこにもおりませんが?」
「まだ。ですね」
思わず顔を見た瞬間、にこりと微笑み返されてしまう。その後ろから曙光が差していて、美貌の国王陛下はひたすらにまぶしい。
“エステル様だけでも、目の届かない場所にいるときはこんなに心配なのに。この上、可愛い子どもまで増えてしまったら、どこへ行くにも心配が過ぎて俺は確実にハゲる”
(陛下はとてもとても心配性ですね……!)
早起きした分、少し長めに今日も今日とて非公式の朝食会を済ませ、アベルは部屋を辞した。
そこからエステルの一日も始まる。
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