第16話 作戦失敗
衆人環視の中、二人で寄り添って歩く。
(いきなり作戦失敗してしまいました……)
エステルに腕を貸したアベルは、気の毒なほど体を強張らせたまま。その腕に品位を保ったままそっと身を預けているエステルもまた、どうしても笑みがひきつりそうになる。
――「戦争を終らせる条件のひとつ。周辺国にもわかりやすい和平の象徴としての『結婚』だ。王女が持参する支度金はすべて戦後補償にあてる。つい先ごろまで敵国であったバルテルスの王女など、本気で愛したりするものか。王妃とは名ばかりのお飾りさ」
バルテルス王家の血をシュトレーム王家に入れるのか、と反発する旧来の家臣に対し、アベルはそう
初日、車内でエステルに事情説明をしてから、アベルはすぐに重ねて謝罪をしてきた。
――血がどうのこうのというのは、俺自身は些細なことといいますか、些細どころか一切気にしてはいません。自分自身、母方は系譜を辿ることもできない生まれです。父も……、シュトレームの王ではありましたが、ひととして尊いと感じることはほとんどありませんでした。その「血」をありがたいという考えも、俺は持ち合わせてはいないのです。だいたい「血」にこだわるような一部の家臣は、何より「生まれの卑しい」俺に対して思うところがあります。だけど俺の支持者も多くなってきたいま、表立って反発はできない。だからこそ、その矛先はきっと王妃であるあなたに向く……。せめてそこを一掃するまでは、俺とあなたは「仲が良い」素振りなどない方が良いのです。もし懐妊なんてことがあったら、お腹の子もろともあなたが標的にされます。
こんこんと。
心配で仕方ないと言い含められ、しまいにエステルが「あなた、気にしすぎですよ。私はそこまで無力ではありません」と言っても「味方が誰もいない敵国の王宮にあなたひとりなんですよ! それがどんな辛い状況か、経験者として心配しているのです!」と六歳の頃の話を蒸し返されてしまった。
思わずエステルが目を合わせると、青い瞳からは、後悔とともに当時の思い出が流れ込んでくる。
“俺にはエステル姉さまと、ルーク兄さまがいた。あのとき、ご自分の立場が悪くなることも顧みず、俺に親切にしてくれた二人のような勇気と矜持をもって、俺も姉さまに報いたいのに”
(義理堅い……、本当に義理堅い。子どもが気にすることじゃないでしょう)
感動を通り越して、かえってやりにくさのようなものを感じつつも、エステルはアベルの言う「心配事」について、考え過ぎと切り捨てることなく聞き続けた。そして、「お飾り王妃」「なるべく険悪」「仲悪し」を見事演じきると固く約束していたというのに。
初っ端から、赤い髪の宰相に出鼻をくじかれ、二人で寄り添って帰還をアピールすることになる始末。
これはこれで大変まずいのでは、と気が逸れたのが災いしたのか、それとも馬車から下りてすぐの、痛む体の訴えを無視し平気なふりをしていた無理が祟ったのか。
普段なら絶対しないのに、もたついたドレスの裾を踏んで、エステルはバランスを崩した。手近なアベルの腕にすがる形になり、転ぶことこそなかったが、足首を思い切りひねる。
「エステル姫」
しがみつかれることになったアベルの、不機嫌そうな声。申し訳ない、と思いながらエステルは最小限の言葉で、アベルだけに聞こえるように言った。
「足を捻りました。ゆっくり歩いて頂けますか」
ちらり、とアベルが青い瞳を向けてきた。エステルは気合で痛みをやり過ごし、微笑みかける。大丈夫ですよ、という意味を込めて。
“姉さまに怪我をさせてしまうだなんて。俺のエスコートが不慣れなばかりに。女性の扱いなどしたこともないようなことをするから。死んでお詫びを”
(戦場にいたんですもの、仕方ないわ。あなたの人生、これからですよ。死んだらお詫びどころかあなたの国の民がとても困りますから……! 戦死を免れたのにこんなことで死なないで……お願いだから)
「少し強めに掴みます。体重を預ける形になりますが、うまくごまかし……えっ」
小声で話している最中に、体が浮いた。背をアベルの腕に支えられ、膝裏にも腕を差し込まれた形で、胸の高さまで持ち上げられている。
間近な位置で、アベルと視線がぶつかった。
“足が痛むエステル姉さまに、平気な顔をして歩けなど言えるはずがない”
「歩くのが遅すぎる。こんな入口ぎりぎりまで馬車を寄せているというのに、下りてから城内に入るまでに日が暮れるかと思いましたよ。私はバルテルス人ほど気が長くありません」
憎まれ口を叩かれているのはわかるのだが、周囲への言い訳にしてはいささか迫力が欠けている。
(それでは、さほど不仲は演出できていないように思います……! 親切な好青年であるところを隠しきれていませんよ……!? これは、私が何か強烈な皮肉のひとつでも言った方が良いのでしょうか?)
考えてみたが、まったく思いつかない。
そもそも、つい先日まで戦争をしていた国の心臓部、重臣たちが居合わせる場において「この結婚、私とてはじめから本意ではないのです」などと口にできるはずがない。「こんなあばずれ、聡明で美しい王の妻にはふさわしくない」と周りが騒ぎ立て、国に送り返され、平和は幻となり、ふたたび二つの国は交戦状態に……。
(絶っっ対だめ。それはいけない。むしろ陛下が私に辛く当たるというのであれば、私は同じ冷淡さで張り合うのではなく、「陛下に振り向いてもらえない年増の哀れな女」を装った方が、お飾りの悲哀が出て信憑性が高まり嘲笑の的になるのでは……。つまり、私は、陛下に報われない愛情を捧げている
方針は決まった。
アベルがしくじったなら、この場の挽回は自分に託されたものとして、名演技をしてみせようと腹をくくる。
手を伸ばして、アベルの頬に指で軽く触れた。気づいたアベルが視線を落としてくる。見つめ合った状態で、エステルは夢見るような微笑を浮かべて言った。
「へ……いかの、たくましい腕に抱かれて、胸の高まりが止まりません。罪なお方。きっと多くのご令嬢方が麗しい陛下を見つめて恋の吐息をこぼしているでしょう。あなたを独り占めする日などこないでしょうね。私は、今からひとりさびしく過ごす日々を思い、覚悟をしていますのに。こんなに優しくなさらないで」
(はい、そこでセリフですよ、陛下。「ふっ、当然だ。あなたを愛することなどない」です! がんばって不仲を印象づけ……)
拳を握りしめたエステルの目の前で、アベルは瞳に切なげな光を煌めかせた。すぐに、その顔に再会したときにみせた冷笑が浮かぶ。
「優しくしたいからしているのだ。それの何がいけない。あなたは俺の妻になるひとではないか」
“姉さまに寂しい思いなんか絶対にさせません……!! ため息をついている令嬢なんか心当たりありませんし俺にはエステル姉さまだけなので!!”
(……陛下……、いまのは声と表情が冷たいだけで、わりと思ったままのことを言ってしまっていませんか? 不仲の演出はできていなかったように思うのですが、気の所為ですか?)
傍目には、若き王が有無を言わせず王女を抱き上げ、二人で見つめ合っているだけの光景である。衆人環視の中で。周囲の目も気にせず。突然の二人きりの世界。
アベルの視線と心の声から逃れるように、エステルはあたりをちらっとうかがう。
頬を染めている侍女たち、ぽかんとしている老齢の廷臣たち、妙に盛り上がっている雰囲気の衛兵や若い文官たち。
イグナーツと目が合った。大変良い笑顔で頷いていた。
“いやあ、熱いねえ。こんな陛下を見られるなんて生きてて良かった。早晩ご懐妊かな~”
(陛下。たぶん全体的に、二人とも作戦失敗しました。ここが戦場であったのなら、つまり全滅です。うまく挽回できずに申し訳ありません)
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