第15話 腹心の部下
「陛下、おかえりなさい! 王女様、いらっしゃいませ! お待ちしておりました!!」
シュトレームの王都まで、国境より馬車で九日。
緑なす、雄大な山々に囲まれた頑健な石造りのシュトレームの王城に到着したのは、昼下がり。
城は山の中腹の開けた丘の上に立っており、周辺は木々によって守られながらも麓に広がる街や遥か遠くまで見晴かすことができる位置取りだった。
そこに至る道は「山登り」であり、自分の足で登るのではなくとも、馬車に伝わる振動だけで体に負担を感じた。
ようやく城壁を通過し入り口に馬車が止まった時には、数日分の疲労の蓄積もあり、エステルの体はすっかり強張って節々が痛んでいた。
しかし、疲れた顔など見せてはいられない。
アベルは初日、宿泊先についたときに「バルテルス側に同乗するところは見せたから、もう良いだろう」と冷然と言い捨てて、さっさとエステルを置いて馬車を下りて行った。以来、食事も寝所も馬車もすべて別。話す機会はまったくなかった。
アベルはすでに馬車を下り、出迎えの人々の前に姿を見せたようだ。賑やかな気配、ざわめきが聞こえる。
(いよいよですね……!)
エステルが気合を入れ直したそのとき、外から声がかかり、ドアが開かれた。エステルは完璧な笑みを浮かべ、優雅な仕草で馬車を下りる。
すぐそばには、白のロングジャケットを身に着けた青年が立っていた。エステルに向かい、丁重に礼をした後明るく声をかけてきた。
「お初お目にかかります。宰相のイグナーツ・シュクヴァルです。イグナーツと名前でお呼びください。エステル様、長旅お疲れ様でした。今日はゆっくりお休みくださいね」
(赤い髪に、赤い瞳。年齢は私と同じだけど、すでにシュトレームの宰相として名を上げているイグナーツ。陛下の片腕で、陛下が王宮内で信頼を寄せている相手。この方は私を害することなど無いと言っていたけれど……)
かつて、自分の片腕になると信じてやまなかった「親友」に、「恋」によって裏切られ人が変わってしまった兄・ルークを知っているだけに、エステルはアベルからの事前情報だけでは気を許すつもりは一切なかった。「友人」や「宰相」何するものぞ、という警戒心はかえって絶大であり。
邪気無くきらきら輝く赤の瞳をまっすぐに見つめて、口を開く。
「ご丁寧にお迎え頂きありがとうございます。シュトレームの皆様の温かい歓迎のおかげで、旅の疲れなど跡形もなく。これからどうぞよろしくお願いします」
“うわ、可愛いな。年上って聞いてたからどんな感じかと思っていたけど、可愛い可愛い。陛下の十年越しの片思いずいぶんいじっちゃったけど、納得。出会っちゃっていたんだねえ、運命の相手に。陛下、他の誰にもなびかないわけだ。は~、可愛い”
「……!?」
およそ、想像を絶する。
(一国の宰相が……軽い……。いまのは、なにかの間違いでは)
あけすけな「可愛い」の連発に、エステルは笑みを浮かべたまま固まった。
そんなエステルを見下ろしながら、イグナーツは抜群の愛想の良さで矢継ぎ早に続けた。
「エステル様が、陛下と対面の際に白いドレスを身に着けていらっしゃったと、早馬で帰ってきた者に聞きました。それって『二心無し』の意味かなと思ったんですけど。『平和のために尽くします』『陛下だけを愛します』みたいな? さすがです。その心意気、感動しました。そこで不肖、わたくしめも本日はこのように純白のジャケットをお針子総動員で仕立ててもらいまして、お迎えに参上した次第です。似合います? 新品です」
ばちん、と片目を瞑りながら、自分のジャケットの襟を手で軽くひっつかんで「これこれ」と見せびらかすように示してくる。
“陛下、感動しただろうなぁ……。いやぁ、見たかったなぁ。白いドレスの想い人と対面して嬉しくなってデレデレしている陛下。最近あのひと、笑わないから”
(デレデレなんかしていませんでしたが……!? では、なくて。内心だけではなく、この方、言動そのものが軽い……。ある意味全然裏表がない……。しいていえば、肉声で言ってはならないことはギリギリわきまえているようですが……)
本当にわきまえていただろうか? いまのは、初対面の相手に言われる内容として大丈夫だっただろうか? と思い浮かべようとしたが、衝撃が大きすぎてうまく処理しきれなかった。
そのとき、イグナーツの横に真っ黒い人影が立った。黒いというのはエステルが漠然と受けた印象であり、実際は黒髪の白皙の美青年。身に着けている衣服は濃い青。実はエステルも今日はアベルの瞳の色に合わせて青いドレスを身に着けていたので、色が揃っている。
アベルは無表情にイグナーツに詰め寄り、その肩に手をおいて陰々滅々とした声でぼそりと言った。
「何をしている」
「あ~らら。陛下、顔が怖い。それじゃ、初恋の女性に怖がられてしまいますよ? 笑えば可愛いんだから笑いましょうよ。ほらっ」
し……ん。
他の者も皆、息を詰めてこちらを注視してきているのを感じる。なにしろ、今はこの城中のすべてのひとに注目される瞬間なのだ。
王と、政略結婚により輿入れしてきた年増王女。その関係性を誰もがうかがっている。その大切な場面だというのに。
イグナーツのひとことにより、いたたまれないほどの沈黙に包まれてしまっていた。
エステルもまた、アベルの次なる反応が想像つかず、固唾を呑んで見守ってしまう。イグナーツがちらっと視線をくれた。目が合った。
“陛下、私に甘えちゃって可愛い。長旅疲れたんだろうな~。あと、嫉妬。これはまぎれもなく嫉妬。私がエステル様と親しく話しちゃっていたから、気になって仕方がないとみた。陛下、わかりやすっ”
(親しかったでしょうか? いま、私とイグナーツさん、何か、そういう、親しい空気などありましたでしょうか……!?)
「イグナーツ殿、陛下はお疲れだと思います。私のことは良いですから、どうか陛下を」
宰相として出迎えに来たイグナーツと話しただけでアベルに嫉妬されることなどまずありえない、とエステルは思うのだが。夫となるアベル以外の男性と、「仲睦まじい」と見られるのはよろしくないという判断から、「ささ、どうぞどうぞあとはそちらのお二人で」と促す。
途端、イグナーツは弾かれたように姿勢を正し、「と・ん・で・も・な・い!!」と強く言い放った。
「せっかく二つの国を結びつけるためにご結婚を決意されたわけですから、臣民の前で幸せいっぱいの姿をぜひぜひ二人でアピールしてください。ささ、肩を並べて。はい、陛下は腕をこう、エステル様がつかみやすいように浮かせて。エステル様も陛下に身を任せて、ほらっ」
「イグナーツ……」
険しい表情でアベルはその名を呼ぶ。
(さしあたりは仲良くしない方が良いのよね? 敵味方をはっきりさせて、私に反対しているひとを抑え込んでからじゃないと、私への不満が陛下にまで向いてしまうから……)
ですよね? と確認するようにちらっとアベルの目を見た。ちょうど顔を向けてきたアベルと目が合う。
“ご結婚されることなく、婚約もしていなかったエステル姉さまとはいえ、エスコートしてくれる男性には不自由しなかったに違いない。俺如きが姉さまのエスコートなど”
「……陛下」
(なんでそんなに!? そんなに卑屈なんですか……!?)
「なんだ」
“いつか、姉さまをエスコートできるような立派な男になりたいです”
(なってます、なってます、これ以上何を目指しているんですか!?)
驚きのあまり、エステルはアベルのもとまで歩み寄ると、その腕に手を伸ばし、そっと身を寄せてしまった。
触れたアベルが、かわいそうなほど硬直したのが伝わってきて、エステルとしては(しまった)と自分の失敗に気づいたが、もう引っ込みがつかない。
この場で一番楽しそうな顔をしたイグナーツが、満足げに頷いて言った。
「うん。うん。良い光景です!!」
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