第7話 青の瞳が映すもの

「アベル殿下の湯浴みを手伝うって? さすがにエステルはだめだろう。やめなさい」


 最近は、侍女が板についてきたエステルである。仕事に手を出しても「姫様、そんなこと」と止められることが極端になくなった。

 しかし、湯浴み用の湯をたらいに入れて他の侍女とともに運んでいる最中、廊下で出会ったルークに「何をしているんだ」と追求され、打ち明けたら苦言を呈された。


「子どもとはいえ男だ。何かとよくない。殿下も、お前が王女だと知ったら申し訳なさすぎて卒倒するかもしれないぞ」

「それはその通りですね」


 アベルは気遣いの行き届いた少年で、腹痛で臥せっていた間も、エステルをはじめとした周囲の者に命令ではなく丁重に「お願い」をしていたくらいである。もし自分が頼りにしていた侍女が王女だと、湯浴みも着替えも任せてしまった後に知った場合、生きた心地がしないかもしれない。

 そこはエステル自身も非常に悩んでいたところだったが、ルークはエステルの抱えていたたらいを持ち上げると、あっさりと言った。


「私が手伝おう。一番近しい『侍女』のお前に任せない以上、それ相応の理由付けも必要だろう。こういうことは男同士だから私が手を貸す、と言って納得させる」

「お兄様が、アベル殿下の湯浴みを手伝うと」

「大丈夫。私だって、王宮の外に出るときは、侍女を何人も引き連れていくわけにはいかない。自分のことは自分でできるんだ。アベル殿下にもそう言って手順を教えれば良い。今まではひとりでやらなかったようなことも、これからは全部やるようにと――」


 朗らかに言うルークに対し、エステルは何をどこまで打ち明けようか迷う。


(アベル殿下はすでに、ひとりで何でも出来そうなんです。もしかして川で体を洗ったこともありそうな……。あの方は祖国で「王族」としての立場になかったのかもしれません)


 喉元まで出かかったが、それは憶測の域を出ない。能力で心を読んだわけでもない。迂闊に王太子である兄にそれを言っても面倒なことになりかねないと、ひとまずこの場は自分の胸にしまい込んでおく。

 年端の行かないアベルの祖国での扱いが悲惨なものだったとしても、同情くらいはされるかもしれないが、政治的な判断としては「人質の価値のない人間を送り込まれた」となる恐れがあるのだ。それは結果的に、アベルの立場を危うくする。


 結局、ルークが部屋まで湯を運んできたことにアベルは面食らってしまい、衝立を並べたその向こうでひとりで湯浴みをすると言い張った。準備だけしてあれば自分でできると譲らなかったが、ルークから「そうは言わず、髪くらい」と手伝いを申し出て、一緒に衝立の向こうに消える。

 エステルは離れたところで二人の会話を耳にしていただけだったが、水音が響きはじめてから、ルークが何度も「ずいぶん自分でできるんだな」と感心している声がもれ聞こえてきた。


 アベルがすっかり綺麗になるまで、湯を二度換えることになった。最終的に、ルークが「その前髪は邪魔だろう」とアベルに提案し、手先の器用な侍女がハサミを入れて重たく伸びた黒髪を切り落とした。


 現れたのは、冴え冴えとした宝玉のような煌めきを放つ青の瞳。

 清潔な衣服に身を包み、髪を整えたアベルは、やがて目の覚めるような美青年に育つであろうことを予感させる整った顔に、表情らしい表情もなく周囲を見渡した。

 エステルと目が合うと、はじめてほんの少し唇をほころばせて、笑った


「ありがとう」


“ありがとう”


 心の声までぴたりと揃えて礼を述べ、少年らしからぬ強烈な光を放つ目元を優しげに和ませた。

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