【第一章】心を閉ざした王子と、心の声が聞こえる王女
第2話 心の声が聞こえる王女
政略結婚のため、二人が相まみえたそのときより、十二年前。
その日、エステルは新顔の侍女から「アベル王子には、側仕えのひとりもいない」と耳を疑うような噂話を囁かれた。
すぐに、疑っている場合ではないと、自分を叱咤した。
「アベル殿下は、まだたった六歳ではありませんか。勝手のわからぬ異国の王宮で、世話をしてくれる大人もいないで、毎日どのように過ごしているというのです」
アベル王子は、隣国シュトレームから「遊学」という名目で預かり受けている「人質」の少年。
歴史をたどれば、国境を接する二国はたびたび小競り合いをしてきたが、近年は小康状態を保っていた。その関係性維持のため、両国の若い王族や要人を相手国に滞在させる風習が長く続いていた。
しかし、少し前に国境の山岳地帯で銀の鉱脈が見つかったことをきっかけに、情勢は悪化の一途を辿っている。銀山は地図上であまりに微妙な位置であったため、二つの国が互いに自国のものと言い張り、譲らず。数度の衝突を経て、いまやその関係は「友好国」から「敵国」へと変わりつつあった。
アベルはちょうど難しい時期に差し掛かった頃、前任者の代わりにとバルテルスに送られてきた。実質、捨て駒扱いなのは誰の目にも明らかだった。身分の低い側室の子とのこと、シュトレームの王は息子を生贄にしたのだ。
シュトレーム側のその態度のせいで、バルテルスでの対応も粗雑になったのは想像に難くない。アベルはここに自分の味方はいないと覚悟して来ているかもしれないが、六歳という年齢を考えれば、それはあまりに過酷に思えた。
「たとえシュトレームと我が国が一触即発で、戦争の機運が高まっているとはいえ、殿下は大切な客人です。汚れた服をまとい、お腹を空かせていることなど、あっていいはずがありません」
エステルは強い口調で言ってから、膝に広げていた編みかけのレースを小卓に置いて立ち上がる。
新顔の侍女は、王女エステルの気質を把握していなかった。お近づきの印とばかりに「例の王子様、手のつけられない暴れ者で、捨ておかれているそうですよ」と薄く笑いながら耳打ちしてきたのだ。
それは、エステルにとっては笑い話ではない。
予想外の反応だったのか、侍女は戸惑いを浮かべた表情をしていた。エステルは一呼吸おくと、侍女の顔を見て、目を合わせた。
“王女様は、なんだってこんなことでお怒りになるのか。敵国の王族が、我が国の王宮内で安穏と暮らせる方がおかしい。餌をやることだって馬鹿らしいというのに”
翠色の瞳に怒りを浮かべたエステルに気づき、侍女は愛想笑いを浮かべてはいるものの、「心の声」は文句ばかり。エステルは目を伏せて、軽く唇を噛んだ。
(誰にも言ったことはないけれど、私は目を合わせた相手の「心の声」が聞こえてしまうの。あなたの考えはよくわかったわ。こんな大人に囲まれていたら、子どもの心が
手厚く遇せよと口では言いながら、自分には無関係だという態度を取り続けるのならば、誰もその命令に耳を傾けることなどないだろう。
もし侍従たちを動かしたいのならば、自ら動かねば。
エステルは侍女に対し、怒っている場合ではないと気持ちを切り替える。にこりと微笑みかけて言った。
「アベル殿下の現状を教えてくれてありがとう。言われなければわからなかったわ。他の者が手を焼いているというのなら、私が行きます」
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