第35話 歓呼の声の中で未来を描く

「あんなに転職の多い女性はなかなかいません」


 木漏れ日がきらめいて落ちてくる、草地の広場にて。

 切り株に置かれたバスケットの中から三つ目のドライフルーツのケーキをつまみあげながら、黒髪の青年が言った。

 せり出している木枝の下、年季の入った建物の石壁に寄りかかっていた茶色髪の青年は、呆れたように目を細める。


「子どものために持ってきたんじゃないか。王様なんだから食べようと思えばいくらでも食べられるだろ。城に帰ってから食べれば良いのに」

「たくさん持ってきました。いつも意外と食べられないんですよ、仕事していて気づいたら夜ってことも多くて。今日は久しぶりの休日なんです。ええと……『旅人』さんも」


 相手の名前を呼ぶのをためらい、黒髪の青年が遠回しな表現をする。言われた青年はそれには返事をせず、お菓子を両手に持って逃げ回る子どもたちに「そんなにがっつかないように!!」と声を張り上げている女性を見た。


「ナターリエ将軍。最後にあいまみえた頃は、将軍だった。シュトレーム軍の」

「俺が最初に王宮で会ったときは侍女をしていました。もともと騎士の家系なんですけど、十歳で俺が戦場に行くときに下士官にすべりこんで。そのまま順調に昇進を重ねて将軍までのぼりつめて、現在は養護院の院長です。本人は楽しいって言ってますけど、刺激を求めてもう一回くらい転職するんじゃないかと思っています。未婚ですし」

「戦場で会ったときは恐ろしい女だと思っていたが。意外に若いんだな」

「俺の王妃様より年下ですから」


 黒髪の青年はのんきな口調で話しつつ、手にしていたケーキを差し出す。「バルテルス王宮で食べた味を再現しました。どうですか」と。


「いいよ。それは子どもたちのものだ。アベルももう大人なんだ、そろそろお菓子とお茶ではなく、酒でも注いでくれ」


 名を呼ばれたアベルはぱっと顔を輝かせて「喜んで!!」と青年の胸元まで詰め寄る。その隙に、さっと風のように通りすがった子どもに手からケーキを奪い取られた。

 途端、ナターリエ院長が「こらっ!! 行儀が悪い!! ひとのものをとるな!!」と声を張り上げる。

 茶色髪の青年は、唇の端に淡い苦笑を浮かべてその様子を眺めていたが、すぐに笑みを消し去り「ナターリエ将軍にはさんざんしてやられたものだが……」と独り言のように呟く。

 アベルはその横顔を見て、声をひそめて尋ねる。


「ここには戦争で身寄りを失った両方の国の子どもがいますし、捕虜から帰化したバルテルス人もいます。……お会いになっていかないんですか」

「遠くから見た。元気そうだった。それで良い。それ以上は望まない。我が国の民も分け隔てなく受け入れてくれたシュトレームの王に、感謝する」


 近い位置で向かい合ったままその言葉に耳を傾けていたアベルは、青い瞳をかすかに細めて言った。


「その……、ルーク殿下。俺が先に王様になって、なんかすみません」

「なんだ。いま何を謝罪した?」

「俺の方が十二歳も年下なのに、先に王様になって、先にあんな可愛い王妃様と幸せな結婚をすることになって、ルーク王太子殿下よりだいたい全部先になっちゃってすみません」

「アベル。お前のそれはわざとなのか天然なのか。謝るふりをして喧嘩を売っているのはどういうことだ」


 嫌そうに眉を寄せ、ため息をついたルーク。その顔を見つめながら、アベルはかつてバルテルスの王宮で別れ際に二人で話したことを思い出す。



 ――アベル殿下。国に帰ってからのあなたの立場は非常に悪いものになる。ひとまず生き延びることだけを考えろ。そして、シュトレームの王となり、泥の中に沈んで共に倒れていこうとしている二つの国を救ってくれ。


 ――ルーク様……。俺の王位継承権はあってないようなもの。上に兄がいます。そんなに簡単には。


 ――それは全部、私に任せるように。攻め込まれる側のバルテルスは、「降伏」すれば嬲られるだけ。「勝利」以外に戦争を止める手段がない。しかし勝敗を決するまで戦い抜けば、被害は甚大でもはやどちらの国も地図より消え去ることになる。とれる手段は限られている。戦争を続行する影で、強権を振るう王とその意向に同調している王子たちをたおす。未来へ禍根を残さないように、徹底的に。そして、二度と戦争を起こさぬ王がシュトレームに立つ。それしかない。


 ルークに示されたその道のりは、アベルにとって決して覇道とは呼べないものだった。絶望的で、綺麗な部分は何もなく、一足ごとに泥濘につまずき、両手は血に染まっていた。耳に悲鳴がこびりつき、両目は数え切れぬほどの死を見た。


(ただの子どもであった俺の心が壊れなかったのは、敵陣の只中で、ルーク様が同じ未来を見て、俺以上の奈落で、折れずに生きていることを知っていたからだ。ときにシュトレーム軍に利する行動をとることで、かなり危ない橋を渡っていたはず……。ただ戦争を終らせるためだけに)


 十二年前。シュトレーム王に送り返された友人の首を前に。

 ルークは即座に先を読んで行動を起こした。誰よりも早く覚悟を決めて、その道を歩き出した。すべてをアベルに託すと、決断を下して。


 どれほど距離が近づこうとも、別れた子どもの日以来、アベルとルークは直接顔を合わせることはなかった。同じ戦場にあっても、互いの存在など知らぬかのように通してきた。その裏で、アベルの手から兄王子たちの動向がルーク率いるバルテルス軍に流され、殲滅戦が繰り返された。

 同様に、アベルの情報もバルテルス側に流されていた可能性が高いが、そちらはルークが完全に潰して守り抜いてくれた、とアベルは確信している。

 それで、辛くも生き延びた。


(ルーク様は俺と通じていることを周囲に悟られぬよう、立ち回ってきた。……特殊な能力を持つエステル様にさえ、己の心の内を読ませずに)


 停戦交渉の場でも、決して顔を合わせようとはしなかった。

 今日ここで会ったのが、実に十二年ぶり。「休暇でそちらに行く。ひとりだ」と連絡が入り、「さりげなく外に出たときに落ち合いましょう」とこの場をアベルから提案をした。会わせたい相手の存在には気づいたようだが、会う気はないらしい。もしかしたら、エステルとも。

 何気ない会話の積み重ねで、時間がゆっくりと過ぎていく。本当に話したいことが話せているのかもわからないまま。


「このお忍びの休暇が終わってバルテルスにお帰りになったら、即位ですか」


 そんなにすぐには帰らないで欲しい。酒を酌み交わすという誘いを、口約束で終わらせないでほしい。ようやくこうして、向かい合って話すことができるようになったのに。

 その思いから尋ねると、ルークはのんびりと答えた。


「即位してしまうと、身動きが取りづらくなる。その前に婚礼の式典をすませるように」

「ルーク殿下が?」

「違う。アベルとエステルが、だ。私が参列する。そうだ、体の目方が変わってなければ、父上からエステルに婚礼衣装を送りたいそうだ。伝えておいてくれ。結婚まではバルテルスの衣装で。その後はシュトレームの王妃として生きるように、と」

「あの、ルーク様……」


 アベルがためらいながら呼びかけると、ルークは「なんだ」と不思議そうに首を傾げた。かつての身長差がいまは同じ目線の高さ。アベルはまっすぐにルークを見つめて言った。


「エステル様と結婚すると、ルーク様ともその、親戚といいますか……」

「それはそうだが、内政干渉はしないので、こちらのことは気にしなくて良い」

「そ、そうではなくて。つまり、妹様をお迎えするわけですから、ルーク様は俺の義兄になりますよね」

「それが? なんだ奥歯にものの挟まったような言い方をして。何が気になっている?」

「気になっているというか、つまり……義兄にいさまって呼んで良いんですよね?」


 だんだん俯きがちになっていたアベルであるが、意を決して再び顔を上げて、尋ねた。

 何を言われているかわからない、という顔で目を瞬いていたルークは、顎に手をあてて答える。


「即位前なので俺は『王太子』で先に王様になってしまったアベルよりも身分的には高くない上にどちらかというとバルテルスがシュトレームの属国に近い状態にもかかわら」

「俺が、ルークさまのことを、お兄さまって呼びたいだけなんですけど。この期に及んでそんなにわからずやな反応しますか」


 煙に巻こうとしているのを敏感に察したアベルが食って掛かると、ルークはこらえきれなかったようにくすっとふきだした。

 毒気を抜くような、その日はじめての笑顔。


(……ようやく笑った)


 ほっと息を吐き出したアベルに対し、ルークは「好きにするように」と鷹揚に答えた。



 * * *



 結婚式までの日は瞬く間に過ぎた。

 バルテルスからは婚礼衣装をはじめとした祝いの品がシュトレームに届き、ミゼラ大公をはじめとした在来の貴族たちからの金銭をはじめとした様々な協力もあって、その日の前後三日間、国をあげての祭りが執り行われた。


 エステルは、一度王宮の外からアベルの待つ式典会場に向かう。白い馬にひかれ、天井を払った馬車に乗り、同乗のルークとぎこちなく話を始めた。


「兄様、今日は来てくださって、ありがとうございました」

「うん。手紙もありがとう。届いている。……ミリアムはこの国の人間になった。あとのことはエステルに託す」


 道を埋め尽くすひとびとに笑顔で手を振りながら、エステルはふとルークへと目を向けた。微笑みを浮かべて周囲を見ていたルークが、気づいたように一瞬エステルと向き合う。


“いまのミリアムが穏やかに生きてくれていて良かった。不幸になられては、マチスに合わせる顔がない。誰にも遠慮せずに、もっと幸せになってくれて良いのに”


「ルーク、兄様も。幸せになってください……。兄様こそ、誰よりも……」


 視線を馬車の外へと戻し、ルークはエステルに横顔を向けながら答えた。


「敵対しあっていた国の王族同士の結婚が、これほど歓呼の声で受け入れられる光景をこの目で見られて良かった。この先私も王妃を迎えることがあれば、シュトレームから迎えたいものだが。さて、来てくれる女性はいるだろうか」


 ルークは、色の付いた紙を吹雪のように撒き散らす子どもたちに、優しげに手を振り続けている。

 エステルもまた、ルークを見ている場合ではないと反対側の道へ顔を向けた。手を振りながら、ルークとは背中合わせのまま言った。


「きっといますよ。もう出会っているかもしれません。兄様の結婚式のときには私と陛下からありったけのお祝いを届けますし、二人揃って参列します。約束です」

「さて、二人だろうか。子どもの二、三人は連れているんじゃないか。アベルはその気だろう」

「兄様の結婚式は、そんなに先ですか?」


 アベルの元へとたどりつくまで、二人でとりとめなく、未来の話をする。

 その夜はアベルも交えて、三人で遥か先のことまで話をした。三人ともよく笑った。

 夜が更ける前にルークは部屋を去り、アベルとエステルだけでなおもしばらく話をしてから、朝になる少し前にようやく口づけを交わした。



 * * *



 シュトレームの王アベルと、バルテルスの王女エステルの結婚。

 王は内政に力を注ぎ、かつ外交をよくこなした。王妃は自ら国の様々な場所に出向き、よく民衆の声に耳を傾けた。

 戦争によって傷ついたシュトレームはこれより鳥が大空に羽ばたくが如く発展を遂げ、その歴史の中でもっとも豊かな時代を迎える。




(了)

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(連載版)政略結婚で冷遇される予定の訳あり王妃ですが、「君を愛することはない」と言った堅物陛下の本音が一途すぎる溺愛ってどういうことですか!?【コミカライズ】 有沢真尋 @mahiroA

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