第18話 方針転換
――「正しい血」にこだわる考え方を、俺は受け入れられません。血を流すひとを見ました。俺自身もずいぶん血を流しました。血に貴賤があるとはどうしても思えないんです。ミゼラ大公が「血」にこだわっていられるのは、安全な場所にいるからです。その位置からなら、「血を流すのは下賤の者から」などと言える。もちろん、その「血を流すべき者」には俺も数えられていることでしょう。あの方は、俺の即位を今も苦々しく思っている。
(ミゼラ大公。白髪交じりの茶色の髪に、濃い茶色の瞳。王族並に仕立ての良い上等な服。陛下と血筋は遠くないはずだけど、あまり似ていませんね……)
エステルを抱えたアベル、およびその後ろに付き従う者のいる行列が自分の元へと近づいてくるのを、廊下の向こう側で微笑を浮かべて待っている。
数歩の距離で、アベルが足を止めた。
ミゼラは笑みを深めて、渋い声で「おかえりなさいませ、陛下」と如才なく挨拶をしてきた。それから、ゆっくりとエステルに目を向けてきた。
“こんな年のいった女狐を城内に引き入れるとは。ガキの酔狂には付き合いきれん。この二人の子が次の王位を継ぐなど断じてあってはならない”
(こういうことですか。たしかに、今にも何かしそうな気配はあります)
「留守の間、城内をお任せしてしまいましたが、どこも変わった様子もなく安心しました。叔父上」
アベルが固い声で応じる。その声音に少しの不穏さが漂うのを、エステルはたしかに聞いた。ちらりと見上げれば、表情こそ消しているようだが、感情は殺しきれていない。そこに、嫌悪があることをうかがわせる。
「さてそちらがバルテルスの王女殿下でいらっしゃいますね。お初お目にかかります。城の留守を預かっておりましたミゼラと申します。足をどうかされましたか」
“体の弱い女に王妃はつとまらん。長旅がこたえるとすれば年齢だな。穢れた血の王に敵国の王女。シュトレームをどこまで馬鹿にする気か、この若造は。つまらぬ停戦協定からの終戦など。あのまま押していれば勝てただろうに”
「はじめまして。足は少し痛めましたが、平気そうです。陛下、下ろしてください。歩けます」
エステルはアベルの胸に手をついて、身じろぎした。片足ずつ床に下ろしてもらう。無様に倒れぬよう、アベルの片腕に手をのせながら、目の前の男の顔をまっすぐに見た。
心の声が聞こえるのは自分だけだということは、もちろんわかっている。それでも。
(極端な血統主義……! 安全な場所から戦え、血を流せというあなたが、陛下を『穢れた血』などと。十二年前大人で「要人」であったならば、あなたがバルテルスに来ても不思議はなかったのに。その役目を子どもに負わせておき、十歳から戦場に立たせ、平和への道筋が見えた後ですら、不満ばかり。……だけど、戦場に立たなかったこと、要人派遣で我が身を危険にさらさなかったことでいえば、私も立場は同じ)
エステル自身、後方にいた。その場から、できることをしてきた。「能力」を使って、できる限りの働きをしていた自負がある。だからこそ、目の前の相手を「戦場を知らぬくせに」という理由だけでただちに侮ることはできない。このひともまた、この国で何かの役目を担って生き抜いたからこそ、平和な時代に立っているのだ、と。
その心根や考えがどれほど相容れないものであっても、内心の侮蔑を表に出してくるまでは、自分の側から敵意を向けるのは早計だ、とエステルは相手の目を見る。
(内心は自由です。本当に、危害を加える意志があるかどうか見極めなければ)
「あたたかく迎えてくださって、感謝いたします。この婚姻によって、二つの国が平和によって結ばれ、ともに歩いて行けますように。至らぬことが目についたときは、ぜひ厳しくご指導くださいませ」
微笑み、アベルに片腕を預けたまま礼をする。
ミゼラの目つきが、すっと鋭さを帯びた。
「至らぬ、とは。さて、危惧はございますが。恐れながらエステル王女殿下は、その御歳で未婚、出産の経験も無いと。若い小娘より王妃らしい貫禄はおありかもしれませんが、この先子を成せないようでは」
「叔父上」
アベルの声が割って入ったが、エステルはアベルの腕を掴む手に力を込めた。ここは私に任せて、と。
「心配してくださってありがとうございます。陛下に跡継ぎの王子、王女が生まれることを切望してらっしゃるんですね。シュトレームの皆様の気持ちを代表して伝えてくださって、感謝を申し上げます」
“ちがう”
エステルは満面の笑みを浮かべたまま続けた。
「たしかに私、子どもを産んだことはございません。初産がいちばん辛いと言いますから、年齢がいってからでは余計に大変かもしれませんね。そもそも自分が、子どもができる体質かどうかもわかりませんの。試したこともございませんので。ですが、陛下にはこの先側室を置くこともなく私ただひとりを愛して頂きたいとお願い申し上げております。その意味で、子どもに関して、私は何も心配もしていません。ですから、少し待っていていただけますでしょうか。子は授かりものといいますけれど、吉報をお伝えしたいと願っております」
足に体重をかけないようにするため、エステルはアベルに寄りかかっている。しかしそれはあくまで最小限であり、傍目には節度ある寄り添い方であった。見た目の優美さはしっかり確保しておいて、清楚な細面に微笑を絶やさずに言い切った。
“空気の読めぬ女だな。そんな汚らわしい子を誰が望むものか。懐妊の知らせなどあろうものなら、腹の中で育ちきる前に母子もろとも始末してやる。シュトレームの王位に、バルテルス王家の血の混じった子が立つなどありえない。今でさえ、出自の怪しい王を戴くにあたり、納得していない者も多いというのに”
(わかりました。たしかに、陛下の懸念通り、この王宮には「敵」がいます)
「いやはや、陛下はこれまで婚約すら乗り気ではなくてな。それが結婚となった途端、そんなに積極的なことを口にしておられたのか。結構なことだ。励まれるがよかろう。近々良い知らせが聞けるかな」
“そのときには母子まとめて露台から突き落とすなり、毒でもあおらせてやるわ”
心の中で軽蔑もあらわに呟きつつ、にこやかに礼をして去っていく。
歩くと捻った足に響きそうで、相手がすれ違い、距離が空くまでエステルはその場にそのまま立っていた。
やがて、脱力して息を吐き出す。
そこで、自分がこの場の全員の動きを止めてしまっていることに気づいて、「お時間とらせてすみません」と振り返り、背後に控えた面々に詫びる。そして、黙ったままのアベルを見上げた。
「陛下、まだこの先も歩きますか? そんなに遠くないならこのまま歩けると思います。そこまでひどい痛みでは」
固まっていたアベルが、言葉もなく両腕を広げてエステルを抱きしめた。壊れ物を扱うように、力を加えることなく、そうっと。
不思議に思いながら、エステルも背に軽く手を添えて、尋ねる。
「どうしましたか? もしかして、いまのやりとりでがっかりされていますか。たしかに、陛下は『愛さない』宣言をされていたわけですから、その流れに乗るべきだとは思ったんですが……。ここまでの言動や、イグナーツさんをはじめとした皆様の対応を見るに、陛下は『愛さない』の演技はあまりお得意ではないと判断しました。このまま無理めの作戦を続けるより、いっそ本当の話をしてみた方が、相手の懐を探りやすいかと思ったのです。相談もなく申し訳ありません」
「それは謝って頂くようなことではないんですが。その……ああいうときは、俺に任せて頂ければ良いんです。エステル様を矢面に立たせようとは考えていません」
「矢面だろうと陛下のうしろにかばっていただこうと、あの方の考えは変わりません。であるなら、言うべきことはきっちりと言います。私はこの国の王妃として呼ばれているのです。話してみて、よくわかりました。あの方は、何らかの対策をとるべき相手と考えて間違いないと思います。少し周辺も探りましょう。めぼしい相手と会う機会をもってください。私が直接お話してみます」
言い終えたところで、あたりが静まり返っていることに気づく。
「陛下?」
「ごめんなさい、いまの俺を見ないでください」
少し体を離してみて、顔を確認しようとする。アベルは顔を手のひらで覆って、横を向いてしまった。指の間から見えた頬は赤く染まっていた。襟からのぞく首まで赤い。
ちらり、と控えていたイグナーツやエリクに目を向けると、満面の笑みで力強く頷き返される。どういう反応でしょう、と再びアベルを見ると、青い瞳に見つめられていた。
顔を覆っていた手を離したアベルは、その手をエステルの顎にあてる。軽く力を加えてエステルを上向かせると、目を瞑って唇を重ねてきた。
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