(連載版)政略結婚で冷遇される予定の訳あり王妃ですが、「君を愛することはない」と言った堅物陛下の本音が一途すぎる溺愛ってどういうことですか!?【コミカライズ】
第32話 不格好なそれが、ふたりにとっての
第32話 不格好なそれが、ふたりにとっての
(いつの間にか寝てしまっていたみたい)
窓から差し込む光。
きちんと毛布をかぶり、ベッドで寝ていた。全然覚えがない。戻ると言い残して出て行ったアベルの帰りを待ちながら、いつしか。
――心残りと言いますが、俺の心はここに置いていきます。必ず戻ります。
横たわったまま、エステルはじっと何も無い空間を見た。
得も言われぬ虚ろさが心の中にある。アベルが帰らなかったせいかとも思ったが、直感的に、もっと違う何かだと、しきりとそれは訴えかけてくる。絡まった糸を手繰り寄せながらほどいていくようにその感覚を追いかけて、エステルはそっと息を吐いた。
(昨夜の陛下は、いつもとご様子が違ったわ。とても饒舌で……。心の中にある言葉を全部肉声としてしゃべってしまおうとしているかのように。……何か、そぐわない感じ。たくさん話すことで本音をごまかそうとしていたみたい。なんのために……? 目を合わせて心の声を聞くべきだったのかしら)
そこまで考えたところで、エステルは息を止めた。つばを飲み込む。
気配。視線。
後ろに誰か、いる。
全身、わずかの身じろぎすらできない緊張感。
やがて、そっと呼吸を再開した。
冷静に考えれば、この状況でこの距離で害意があるなら、すでに自分は生きていないはず。考えられる相手といえば、ひとりしか思い浮かばない。
のろのろと振り返ると、ベッドに腰掛けた姿勢で視線を向けてきていたアベルと目が合った。
「おはようございます、エステル様。昨晩は失礼いたしました」
「陛下、戻ってらしたんですね。気づかずに寝てしまっていて、すみません」
緊張の残る体をなんとか起こそうとすると、アベルは「構いませんよ」と口の端に笑みを湛えて言った。その、瞳に。
何度か見たことのあるの寂寥を浮かべていて、エステルは今度こそ完全に息を止められるような思いだった。
(私は何かを間違えたんだわ。この方に対して……)
アベルはすっと顔を逸らして、横顔をさらす。伏し目がちに床へ目を向け、抑制の効いた声で言った。
「たとえば……。俺に『触れ合った相手の心を読める特殊な能力』があると言ったら、エステル様は信じますか」
決してエステルを見ないままの、問いかけ。
瞬きを忘れて、エステルはもはや微笑みの気配もないアベルの横顔を見つめた。せめて目を合わせてくれればその質問の真意を探れるのに、という思いが胸の中に苦く広がる。
少し遅れて、自分は
大義名分のひとつもなく。
自分自身の不安を紛らわすために、相手の心をのぞこうとしてしまっている。
ずっと戒めてきたはずの、能力の乱用。信頼を損なうだけの行為。
どこか遠くを見つめ、アベルはゆっくりと言った。
「触れたらわかる、というのはいくつか立てた仮説のひとつです。しかしエステル様は、俺が触れることは拒まない。そのうち、『目を合わせること』を避けていることの方が、気になりました。エステル様はひとと目を合わせて話すときと、決して合わせないときがあります」
「目を合わせること……」
淡々とした口ぶりであるが、その心の奥底でいくつもの思いが渦巻いているのを感じる。エステルはアベルを見ていることができず、
虚空に視線を投げていたアベルは、そのまま続けた。
「はじめ、婚約者として俺と対面したときは、まっすぐに目を見てきました。でも、俺と過ごす間に、どんどん目を合わせないようになっていきました。エステル様にとって、ひとと目を合わせることは、何かしら後ろめたく、罪悪感を伴うことなのだと考えました。実際に、昨日のように話題に出せば謝りもする。あのとき、確信しました。エステル様は、他人と目を合わせることで、相手から言葉以上の情報を引き出す能力がおありですね」
(……見抜かれていた)
いつからだろうと考えるものの、思い当たらない。しいていえば、再会して馬車で話した後から、すでに違和感を持たれていたのかもしれない。或いは、子ども時代にも何か思い当たることがあったのだろうか。
日常の中で積み重なる「何かおかしい」がひとつらなりの仮説となって、隠し通そうとしてきた真実を貫く。
他の誰よりもエステルのそばに踏み込んできたアベルというひとの
アベルの、抑揚のない声が響く。
「二人の間に秘密があってはいけないと、考えているわけではないのです。俺もエステル様には決して自分から言わないことがあります。戦争の間に、戦場で経験したこと。兄王子たちの不自然な戦死や父王の退位により、王位についた経緯。話す気がないのは、エステル様を信用していないからではなく、知らなければ知らないで終われることだからです。この先も、あなたと分かち合うつもりはありません」
エステルは、息を整えて、絞り出すように言った。
「たしかに、あなたは、私といる間、不用意にそのことを心に描き、思い浮かべることはなかったように思います」
アベルの仮説の肯定。
こんな形で突きつけられなければ、いつまでも胸に抱えていたであろう秘密。
そこでようやく、アベルはエステルに顔を向けた。まなざしは、
「俺は結構うまくやれていたでしょう? きっとこの先も大丈夫ですよ。エステル様は、俺の心を見るのを恐れないでください。目を見て話すことを、謝ったりしないで。あなたに能力があり、それがあなたの意志とは無関係に発動してしまうものだとしたら、それを含めてエステル様なのだと俺は思います。俺が欲しいあなたのすべては、あなたの心こそ、です」
「昨晩のは……」
全身がひどい虚脱感に襲われている。エステルはなんとか両手で体を支える。
崩れ落ちそうな自分自身の頼りなさを振り切るように、奥歯を噛み締め、アベルの青の瞳を見つめた。
しっかりと目が合ったところで、アベルは唇に品の良い笑みを浮かべた。
「エステル様が、重荷となっているであろうその『能力』について、俺に話してくださるかどうか試すようなことをしてしまいました。もし……、バルコニーに出てこないようだったら、どんな理由をつけても良いから邪魔をするようにと、イグナーツには命じてあったんです。そのときは、俺の『好き』はエステル様には届いていない意味だから、夜を共に過ごすにはまだ早いと」
「では、昨晩はどこで」
「部屋のドアの前で、膝を抱えていました。そばにいたかったけど、ドア一枚隔てたくらいが適切な距離だと考えました。まだ。まだ、ですよ?」
体を起こして、その場に膝立ちになり、エステルは両手を伸ばした。
微笑みを浮かべているアベルの後頭部を闇雲に引き寄せ、胸に抱きしめる。されるがままになりながら、アベルは押さえつけられた位置からくぐもった声で尋ねてきた。
「俺に触れるのは怖くありませんか。もし本当に触れることでひとの心を読む能力があったらどうします?」
「怖くありません。あなたにそんな力があるなら、私の心こそ見てください。うまく伝えられないことがもどかしいです。もっときちんと、自分の言葉で説明できれば良かった……。私はこの能力があるせいで、言葉を
たったそれだけのことができずに。
(この方は、きっと何度も話す機会を作ってくださっていたわ。この『能力』に関して。引け目に感じているくらいなら打ち明けてしまえと。『心の声』が聞こえているにも関わらず、その心を汲むことができず、目を見て話すこともできなくなっていたのは私)
「大丈夫ですよ、いまのですごく伝わってきました。俺の勘違いでなければ……」
エステルの腕の中でゆるく首を振って顔を上げ、アベルは下からエステルの目をまっすぐに見た。
「エステル様、いま俺のこと、以前よりも少し好きになったでしょう。どうですか?」
不敵に輝く青の瞳。エステルは再びしがみつくようにアベルの頭をきつく抱き寄せて、言った。
「少しなわけが。あなたはわかっているようで、全然わかっていないです。少しなわけがありません」
あははははは、と楽しげな笑い声が胸元で弾けた。エステルが腕の力をゆるめると、顔を離しながらアベルは声を上げて笑い続けた。
朝の光を浴びて、これまで見た中でも一番の笑顔で。
エステルがひとことも言えずに見つめていると、笑いをおさめたアベルはさりげない調子で話し始めた。
「エステル様の心にはまだ重荷がある。気がかりというのかな。イグナーツに頼んでいた探し人リストには俺も目を通しています。会いたい方がいますね」
それが誰のことか。この場で話題に出る相手として、思い当たる人物はひとり。
ちらりとエステルの目を見て、アベルはたしかな口調で告げた。
「うまく話すことのできない女性。国境近くの修道院にて、戦闘に巻き込まれ、その後行方不明。そういう方相手になら、エステル様のその能力も有効な使い方がありそうに思います。手を尽くして見つけましたよ。お会いになりますか」
(その方は……。私だけではなく、兄の……)
思いを込めて、エステルは「はい」と返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます