第6話 厩舎
兵士となって半月。十五歳で最年少の僕は当然一番の下っ端で、やらされる仕事も雑用ばかり。掃除をしろとか、何か食べ物や飲み物を持ってこいとか……雑用と言うより使い走りだ。主に命令するのは兵長のタンタールと言う男で、自分は何もしないのに威張り散らした嫌なヤツ。どうやら王妃と懇意な様で、それで兵長に居座っているらしかった。
今日も散々雑用をさせられてクタクタだったけど、昼も過ぎた頃に巨大な馬を連れた少女が王宮を訪ねてきた。当然、彼女を案内するのは下っ端の僕の仕事だ。
「あなた、顔色が悪いけど大丈夫? フラフラしてるみたいだけど?」
「アハハ……下っ端だから色々と仕事を押し付けられちゃって。お昼もまだ食べてないから……」
「これ、食べる?」
そう言って少女が取り出したのはサンドイッチ。
「ついつい、買いすぎちゃって」
「いいの!?」
「ええ。私はもう食べないから、良かったら食べてよ」
「有り難う!」
歩きながらサンドイッチを頬張る。サンドイッチがこんなに美味しいなんて! 慌てて食べて喉に詰めそうになったら、彼女が水筒を手渡してくれた。
「ゲホッ、ゲホッ」
「ほら、慌てて食べるから。これでちょっとは元気が出たかしら?」
「うん! ああ、でもこれから力仕事だからなあ」
彼女を案内する先は、厩舎の横にある小さな家。王宮の敷地内に家があるのもおかしな話だが、そこは厩務員向けの家だ。ただし、そこに住む厩務員はコロコロと変わる。この半年間であの家に人を案内するのは彼女で五人目で、今までに案内した四人の女性はどちらも貴族の令嬢だったりどこかの商人の娘だったり……そして、彼女たちは一ヶ月も経たない内にいなくなってしまった。その都度、下っ端の僕や少し年上の先輩が馬の世話をさせられるんだ。
厩舎には馬が四頭いて、王や王妃、それに王女様の馬だけど、王や王妃がここに来たところを見たことがない。王女様は時々来て馬に乗っているらしいけど、僕はまだ遭遇したことはなかった。そもそもここに厩舎があるのは、王妃が気に食わない相手に意地悪をするためだ。おおよそ馬の世話などしたことがない様な令嬢たちをこの小さな家に住まわせ、慣れない作業をさせて逃げ出すのを楽しんでいると聞く。王妃は王に並ぶ権力者で、王宮内は実質彼女の支配下にあると言っていいかもしれない。使用人たちは陰で『女王様』なんて呼んでいるらしいが、まさにやりたい放題だ。
「君、何か王妃に嫌われる様なことしたの?」
「私? さあ、王妃様には会ったこともないけど。私は隣国ストランジェの出身だし、今回初めて王都にも来たのよ」
「そうなんだ。でも、つらかったら逃げ出してもいいからね。僕たちで良ければ力にもなるから」
「そう? 分からないことも多いから色々教えてくれると助かるかな。私はテルルよ、あなたは?」
「僕はクロム。見ての通り、下っ端の兵士だよ。よろしくね」
「よろしく」
彼女は僕と同い年の十五歳。女性だけどとても喋りやすく、格好は町娘の様で特に化粧もしていない。肩までほどの少しカールした髪を後ろでくくっていて、笑った時に顔がキラキラして見えて素敵だった。
王宮のことや世間話などをしている間に厩舎に着く。その横の小さな家を見た彼女の反応は……意外にも少し嬉しそうだった。
「家まで貸してもらえるの!? 部屋をあてがわれるのかと思ってたけど」
「でも、小さい家だよ。寝泊まりするぐらいは問題ないと思うけど。それに王宮内と違って全部自分でやらないとダメだよ?」
「野宿するよりは全然いいわね。それに一人で暮らすには広すぎるぐらいよ。厩舎もあるし、ジンクの居場所も確保できそうだわ」
ジンクと言うのが彼女の馬の名前なのか。テルル曰くとても頭のいい馬で、ずっと彼女が育てているので家族みたいな存在なのだそう。彼女は馬の背から荷物を下ろすと手際良く家の中に移動させ、そのまま別れを告げられるのかと思ったらすぐに家の中から出てきた。
「今からどこかに行くの?」
「え? だってここに住むってことは馬の世話をするってことなんでしょう?」
「そういうことになってるけど……今日はいいよ、僕がするように言われてるし」
「大丈夫よ、慣れてるから。ジンクの居場所も作って上げたいし」
止める間もなくスタスタと厩舎に歩いていくテルル。ジンクも彼女に付いて厩舎に入っていく。僕たちが世話をするときはどことなくソワソワしたり騒いだりする馬たちだけど、彼女とジンクに対しては不思議と落ち着いて対応している。
「いい子たちね。でも、部屋がちょっと汚れてるじゃない。ご飯は食べたのかしら」
「朝からは作業できないので、いつも厩務は昼からになっちゃうんだよ」
「だからちょっと元気がないのね。よし、じゃあ始めましょうか」
いきなり馬たちを部屋から出し始めたテルル。そんなことしたら逃げちゃうのでは!? ……しかし、馬たちはジンクに付いてぞろぞろと厩舎の外に歩いていく。そしてテルルが用意した餌と水を口にして、お腹が膨れたらそのまま草原に行ってしまった。僕が世話をしていた時は全然言うことを聞いてくれなくて難儀していたと言うのに。
「……」
「クロムも疲れてるなら休んでていいわよ。家の中にベッドもソファーもあるから寝てきたら?」
「いや、流石にそれは悪いから、僕も手伝うよ」
「そう? じゃあ、藁の入れ替えからね」
テルルの動作は非常にテキパキしていて、重い藁の塊も軽々と運んでしまう。いつも僕がヘロヘロになってしていた作業も難なくこなして、僕がやることがないぐらいだった。しかも僕や他の同僚兵士がやるよりずっとキレイで、きっと馬たちが言うことを聞かなかったのは、僕たちがちゃんと掃除をできてなかったからなのだろう。
「テルルはすごいね。馬の世話をこんなに完璧にこなすなんて!」
「国では毎日やっていたし、馬と暮らすことが当たり前で家族みたいなものだから。こっちは違うのかしら?」
「そうだな……そういう人もいるだろうけど、少なくとも王と王妃は単なる乗り物としか思ってないだろうね」
「ふーん、ストランジェとは相容れないなあ」
パンパンと服に付いた藁を叩いて彼女が草原の方に歩き出したので、僕も慌てて後を追う。そこでは馬たちが楽しそうに走り回っていて、テルルの馬だけはそれを見守る様に見つめていた。テルル曰く、長旅だったので体を休めているんだって。
「皆ジンクのことを受け入れてくれたみたいね」
「分かるの?」
「ホーン種は大きくてリーダーの気質があるからね。普通の馬の群れに入ると、すぐにその群れを掌握して率いることができるのよ。だから他の馬たちは警戒することなく伸び伸び走っていられる」
「じゃあ、今のリーダーは君の馬……ジンクなんだ」
「ううん、違う」
「え? じゃあどの馬?」
「わ・た・し」
ニッコリ笑ったテルルが指笛を吹くと、ジンクと四頭の馬たちが一斉にこちらに駆け寄ってきた。そのまま彼女に付いてぞろぞろと厩舎に戻っていく馬たち。僕はもう、呆気にとられてその様子を見守ることしかできなかった。テルル……隣国から来たと言う少女はなんて不思議な存在なんだろう。馬たちだけではなく、僕も彼女に魅了されてしまったらしい。
馬たちは大人しく厩舎に入り、僕たちは隣の家へ。テルルがお茶を入れてくれて、ホッとしながら今日の仕事が思いのほか早く終わったことを実感する。
「ところで、ここでの食事はどうしたらいいのかなあ。食材は自分で買い出しに行くの?」
「兵士や使用人たちの食堂があるからそこに行けば食事はできるし、食材ももらえるよ。ちょうど夕食の時間だから一緒に行こうか」
以前ここに入っていたどこかのご令嬢は当然自炊などできるはずもなく、しかも食堂の食事が口に合わなくて最初泣いてたっけ。この子は貴族のご令嬢と言うわけではなさそうだけど、大丈夫だろうか? 知り合いがいる風でもないし、できるだけ協力して上げなきゃ。今までの子たちよりは随分逞しい感じはするけど、王妃の意地悪の対象であることには変わりないのだから。
食堂に行くと顔見知りの使用人や兵士がいてテルルを連れていたことをからかわれたが、彼女が厩舎の横の家に入ったことを説明すると皆一斉に同情の表情に。かなりベテランの使用人女性がテルルを一生懸命励ましていた。
「あんた、何か王妃様に嫌われる様なことしたのかい!? 私たちは味方だから、何でも相談しなよ。つらくなったら出ていってもいいんだからね!」
「いえ、馬の世話は慣れているので問題ないですよ。ここで食材をもらえるなら買いに行く手間が省けて助かります。面倒だったらここで食事もできるみたいだし」
「そうかい? あんたは今までのお嬢様とは違うみたいだね。でも何でも頼っていいんだからね」
「有り難うございます」
テルルが屈託なく笑うので、いつの間にか彼女の周りには人が集まって王宮のことなどを話し始めていた。いつもはどことなく重苦しい、疲れた雰囲気の食堂だけど、今日ばかりは笑い声が響くとても明るい場所となっていた。
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