第7話 計画
ニカールの商人ギルドは今でこそまともに機能しているが、それはここ二十年ほどのこと。それ以前は商人ギルドとは名ばかりで、かなり危ない人物の集まりだったらしい。ストランジェの王家はかつて国内の商業については放任主義のところがあり、高地に位置する王宮から離れたニカールについては治外法権の様になっていた。騎士の中から衛兵が派遣されてはいたが商人たちとの間で賄賂や汚職が蔓延り、それでも王家は目をつぶっていた……いや、何もできなかったのだろう。
その時のギルド長はカーパーと言う男で、まあ、今では王妃様に仕える仲間ではるのだが、その頃は若いながらも荒くれ者の商人たちを上手く取りまとめ、ニカールを取り仕切っていた。恐らく裏では犯罪まがいのこともやっていたのだろうが、そうでもしないとニカールの商業都市としての体裁を保てなかったのだろう。一方私はまだヴァネディアで学生だったが、我が家、ゴールド家が商家だったこともありニカールの悪い噂を良く聞いたものだ。
私、ローレンス・ゴールドはゴールド家の三男として生まれ、兄が二人いたものだから小さい時から『家を継ぐ』と言う考えはなかったし、両親や兄たちも私にあまり構うことはなかった。アカデミーには行かせてもらったが、入学当初は卒業してからの進路など決めておらず……適当に家の仕事を手伝っていればいいか、程度に考えていた。しかし、入学してからその考えは大きく変わる。それは、ある女性にお会いしたからだ。
アカデミーの授業はなかなか楽しかった。しかし周りは貴族の御曹司やご令嬢だらけで、アカデミーの存在自体が形骸化してきていることを感じていた。昔から要領だけは良かったので授業内容で困ったりすることはなかったし、テストの成績も上位。しかし、その意味を考えると……なんとなく虚しかった。そんな時、人気のない庭のベンチで座ってボンヤリしていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「随分つまらなさそうですね」
「えっ!? いや、そんなことは……」
びっくりして振り返ると、そこには輝くように美しく、優しい表情ながら近寄りがたいほどのオーラの様なものを放つ女性が立っていた……フランシア様だ。パローニ辺境伯令嬢にして、ラザフォー王子の婚約者。『ヴァネディアの至宝』とまで呼ばれる理由はその美しさだけではなく頭脳明晰だからで、学内で彼女のことを知らない者などいなかった。下級生だった私ももちろん彼女の存在は知っていたが、自分とは接点のない別世界の人だと思っていたので急に話しかけられてただただ驚くしかなかった。
「こ、これは、フランシア様!? お見苦しい姿をお見せしてしまい……」
「フフフ、そんなにかしこまらなくてもいいのよ」
「はあ……」
彼女の目的が何なのか見当も付かずドキドキしていると、彼女が私の横に座る。緊張でもう喋ることもできない。
「あなたはローレンス・ゴールド……ゴールド家のご子息でしたわね」
「あ、はい!」
「アカデミーはつまらないかしら?」
「いえ、そんなことは……」
と、いいかけて彼女の顔を見ると薄っすら微笑んでいて、『全てお見通し』と言わんばかり。取り繕ってもしょうがないか……そう考え、半分ヤケクソに本心を話すことした。
「正直……学べる内容について不満はありませんが、貴族の方々と競っても仕方ないかと。それに私は三男ですので、家業を継ぐわけでもないですし」
「まあ、そうでしょうね。貴族の人間はアカデミーを卒業しようがしまいが生活は保証されていますし、このアカデミーの存在自体も形骸化してきているのですから」
「……」
貴族である彼女が堂々とアカデミーを批判したことには驚いたが、まだ彼女が私に話しかけた理由までは分からない。
「ローレンス、あなたはどうなのですか? アカデミーを卒業して、ゴールド家の三男として王都で埋もれて暮らすのですか?」
「それは……」
「もし、何も決めていないなら……そして、もしもっと刺激が欲しいのであれば、私に協力してみませんか? きっと損はさせませんよ」
「あなたに、協力?」
「あなたに商人として成功したいと言う気概があるのなら、とても面白いことだと思います」
「……」
私も商人の端くれ。そうとまで言われては、彼女の話に乗らないわけにはいかない。どうせつまらない学生生活だし、面白そうじゃないか! そう思って彼女の協力依頼を了承したのだが……その内容のあまりの突飛さにすぐに後悔したのだった。アカデミー内にいくつかある会議室に呼ばれて計画を聞かされた時、最初はフランシア様が何を言っているのか全く理解できなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「あら? 今の話に何か不明な点でも?」
「大ありです! フランシア様はラザフォー王子の婚約者ですよね!? それがどうして隣国王子の妃になって、ニカールを攻め落とす話になるんですか!?」
「婚約は恐らくラザフォーの方から解消してくれるでしょう。私はその後晴れてトーリ様と婚約できると言うわけよ」
「ト、トーリ様はこのことをご存知なのですか?」
「いいえ、でも必ずそうなるから」
もう、計画と言うより予言だ。しかし彼女が言うとそうなる様に思える……いや、いや! 万が一そうなったとして、それは大問題なのでは!?
「ニカールを攻め落とす意味が分かりません!」
「ストランジェのニカールは交易の要所です。しかしストランジェ王家は商業に明るくなく、現在は治外法権が認められている様な状態。それでは国は発展しないでしょう?」
「た、確かにそうですが、そんな状態で王家がニカールを攻め落とすとは思えません」
「もちろんそうね。だから、攻め落とすのはヴァネディア側。パローニ辺境伯の軍よ」
「……」
口をパクパクさせて、まぬけ面を彼女に向けるしかできなかった。フランシア様のご実家を動かして攻めるということか!? そんなことをすればヴァネディアとストランジェの戦争にもなりかねない……いや、フランシア様とトーリ様の婚約が成立していればあるいは……
「か、仮にその計画が上手く行ったとして、私は何をすれば? 私に戦闘なんて期待しないでくださいよ」
「もちろん、あなたにそんなことはお願いしないわ。私の予定では五年以内にニカールを正常化できますので、私の後任としてニカールのギルド長になって欲しいの。それまではヴァネディアとストランジェの商業についてしっかり学んでちょうだい」
またこの人はサラッととんでもないことを……彼女の計画では攻め落として暫くは自分でニカールを統治し、その後は高地にある王宮に移動するらしい。そんなところまで計画を!?
「どうして統治を私に譲るのですか? あなたの計画ではストランジェの王妃になるんだし、そのまま統治されてもいいのでは?」
「子供が欲しいじゃない? 子供たちにはのびのび育って欲しいので、ニカールの様な街中よりも高地の王宮の方が好ましいわ」
「そ、そうですか」
この人は一体どこまで計画しているのだろうか。その計画の大前提となるニカール攻略が、必ず成功すると確信されているのも驚くべきことだが、無理だと否定もできないのだ。何か魔法や暗示に掛けられているのでは? と自分の思考を疑ってみたが、どこにもおかしい部分はなかった。恐ろしい女性だと思いつつ、私はもうその時点で彼女の崇拝者になっていたのだろう。
それから暫くしてフランシア様やラザフォー王子の卒業式、彼女の予言……いや、計画通り、ラザフォー王子は彼女に婚約破棄を言い渡し、それから暫くしてトーリ王子と婚約されてストランジェへ。そしてパローニ辺境伯軍によるニカール侵攻が行われ、あれよ、あれよと言う間にニカールはフランシア様の手中に収まった。暫くして王都に戻られたフランシア様はカーパーと言う男を従えていて、聞けばニカールの前ギルド長。彼女の命によりカーパーはヴァネディアで商会を営むといい、そのバックアップを私が仰せつかった。悪人かと思いきや彼もまたフランシア様に心酔していて、彼の方が年上ではあったが親友と呼べる仲になるまでそう時間はかからなかった。カーパーからはギルドの仕事についても沢山教わったからね。
フランシア様の計画は着々と進み、彼女はトーリ様と結婚して王宮へ。それと入れ替わりに私はニカールのギルド長になった。これで彼女の計画は終わりかと思いきや、実はまだ続きがあったのだ。それを知らされたのは私がニカールのギルド長に就任した時だった。
「まだ何かあるのですか!?」
「もちろん。そうじゃなければカーパーをヴァネディアに送り込んだりはしないでしょう?」
「まあ……そうですね」
「フフフ、そんなに困った顔をしなくても大丈夫よ。これは仕上げではあるけれど、場合によっては実行しなくても良いでしょうし、もし実行するにしても……そうね、十五年ぐらい後になるかしら?」
これまた随分と気の長い話だ。一応その内容も聞いておいたが、そこまで考えておられるとは。恐らく卒業する時点で……いや、もしかするとラザフォー王子と婚約することが決まった時点で彼女はそれを計画していたのだろう。
「実行しないで済むことを祈りますよ」
「そうね。実行するにしてもしないにしても、あなたにはニカールをしっかり守って欲しいわ。頼みましたよ」
「はっ!」
そしてあれから十五年。フランシア様の娘、テルル王女が持参した手紙には、例の計画実行について書かれていた。テルルを王都に行かせるのは計画に関係ないらしいが、彼女は彼女で少し変わっているので王都でまた一波乱ありそうだな。やれやれ、母娘揃って困った人たちだ。更に手紙の最後には追伸として『そろそろ身を固めてはいかが?』と……どうやらマリーダのことが気になっていたのもお見通しだった様で、フランシア様には敵わないよ、まったく。しかし、考えようによってはマリーダを王宮の近衛兵に推薦されたフランシア様からお許しを頂けたわけだし、私も一歩踏み出してみようか。
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