第2話 隣国からの招待状
最近の私の日課は、朝から馬たちの世話をして放牧に連れていき、その番をしながら本を読むこと。草を食んだりじゃれて走り回ったりしている馬たちを見るのが本当に好きで、思わず自分も走り出したくなる。ああ、先月まで同行していた遊牧生活は楽しかったなあ。家畜の動物たちと一緒に自然の中に溶け込んだ生活。この国の王女と言う身分でなければ、遊牧民として生きたいとさえ思える。
「姉さん! テルル姉さん!」
楽しかった遊牧生活を思い出しながらニヤニヤしていると、遠くから私を呼ぶ声が。王宮の方角からフワフワと空を飛んできたのは弟のネオだ。ネオは私より二つ年下の十三歳。つい最近まで私の後ろをチョロチョロと付いて回っていたのに、ここ一年ほどで急に成長したわね。身長ももう少しで抜かれてしまいそうだし、魔法もかなり上達して風の魔法で空を飛ぶぐらいなら余裕でできてしまう。その魔法はちょっと羨ましいなあ。
「また飛んでる……」
「しょうがないでしょう、王宮からここまで結構遠いんですからね! それより姉さん、母様が呼んでますよ!」
「有り難う、ネオ。何か急ぎの用かな?」
「とにかく呼んでこいと言われたので……姉さんは王女なのですから、たまには王宮にいてください」
いつも私を呼びに来ているネオはちょっと不満気。彼には悪いと思うけど、王宮に留まって一般的な王女の様にお淑やかに生活するのは私の性に合ってないの。何なら今すぐにでもどこかに旅に出たいぐらい。
「ジンク! 戻るわよ!」
名を呼んで暫くすると、ジンクを先頭に馬たちが駆けてくる。ジンクは三年前から私が育てている『ホーン種』と呼ばれる馬で、最大の特徴は額から伸びた一本の角だ。その容姿から特に各国の王族に好まれる馬だけど、ジンクはちょっと違っている……それは毛色が黒いと言うこと。好まれるのは白毛のホーン種で、逆に黒毛のものは不吉とか不気味とか言われて敬遠される。ごくごく稀にしか生まれないのもあるのだろうけど、ジンクはそう言った理由で処分されそうになっていたのを私が引き取った。ジンクは他のホーン種たちと比べてもとにかく大きいし、足も太く少々の悪路であっても速く駆ける。女性はまず乗らない馬だけど、私は彼に乗ることが大好きだ。先日まで行っていた遊牧生活は、もちろんジンクも一緒だった。
「さあ、戻りましょうか、ネオ」
「姉さんは女性なのだから、もう少し小さい馬に乗られても……それに姉さんも魔法が使えるんでしょう? 風の魔法で飛べばいいのに」
私も魔法を使えることは使える。人によっては生まれつき魔法を使うための力……つまり魔力を持っていて、ここストランジェだけではなく他の国でも王族や貴族は魔力が強いらしい。つまり、魔力が強いから王や貴族になったってことかな? 博識なお母様の話では『魔力は血筋』らしいので、私や弟のネオが強い魔力を持っているのも頷ける。
ただ、私は極力魔法は使わない様にしている。子供の頃……五歳だったか六歳だったか、魔法が使えることが分かって最初に使ってみた雷の魔法。何となくそれが使える気がして使ってみたんだけど、どうやら私の魔力は桁違いだったらしく近くにあった小さな丘が一つ吹き飛んでしまった。それからと言うものお父様とお母様に魔力制御のための厳しい訓練を課されてしまい、五年かけて完璧に制御できる様になった頃には魔法が嫌いになっていたのよ。
「あら、うちは戦士の家系だし、魔法なんて使わなくてもジンクと一緒に戦場に出てもいいと思ってるわよ」
「姉さんにそんなことはさせません! それは長男の僕の役目ですから!」
フフフ、ムキになっちゃって、ネオったら。私たちの国、ストランジェ王国は北と東、それに南の一部を山岳地帯に囲まれた、ほとんど高地の国。広大な高原もあって遊牧が盛んだ。鉱物資源が豊富で、昔から山々の切れ間を通って隣国に攻め入られることが多かったらしい。そういった勢力に対抗するために自然と戦士が集まり、やがて彼らの中から王が選ばれた。それが元々の王家の成り立ちで王は代々戦士長でもあり、隣国との争いがあれば先頭に立って国を守るのが役目。戦士の中にはもちろん女性もいるけど、長い歴史の中で女性が王となったことはないらしいので、私がその一人目になってもいいかな? なんて考えたこともある。ネオが生まれていなかったら本当に女王を目指していたかも。
馬たちを厩舎に戻してお母様の部屋へ。王宮と言っても質素な建物だけどお母様の部屋だけは少し豪華で、それはお母様が隣国の貴族出身だから。娘の私から見てもお母様は美人で、ドレスに身を包んだその姿は凛としていて王宮内に咲いた花の様な存在。ガッチリした体格で厳つい顔のお父様でさえ、お母様の前ではちょっとデレデレしているぐらいだから。
「お母様、ただいま戻りました。急ぎの用ですか? ……お父様までいるなんて!?」
「おう、テルルよ、戻ったか……お前、またそんな格好で。王女なんだから、もっと華やかなドレスを着てもいいんだぞ」
「私はこういう服装の方が好みなんですよ、お父様。それで、ご用件は?」
「フフフ、いいじゃありませんか、あなた……用件はこれですよ」
お母様に手渡された手紙。上質な紙にはキレイな文字で両親に宛てたメッセージが書かれていた。
『トーリ様、フランシア様、ご無沙汰ですね。あなた方がヴァネディアを離れてからもうどれぐらい経ったかしら? あなたたちの娘も今年で十五歳ですから、我が国のアカデミーに入学できる歳ですね。もし良ければアカデミーに入学させてはいかが? 王宮で歓迎致します』
「……」
「無理していく必要はないぞ、テルル。ヴァネディアは遠いし、あんな国のアカデミーなど入学する価値もない」
「確か、ヴァネディアの今の王様って、昔お母様を……」
「そうね、ラザフォーは昔、私に婚約破棄を突き付けた張本人。王妃のルティーシャは恋敵と言ったところかしら」
昔から隣国ヴァネディアのことは散々聞かされてきた。お母様は特に何も言わなかったけど、お父様はそれはもうボロカスに言っていて……お母様の故郷でなければ攻め落としているところだとも。お母様はそれをいつも楽しそうに笑って聞いていただけだけど、私にはなんとなく分かっている。お母様が婚約破棄をされて大人しく退き下がったと言うこと自体が、そもそもおかしいのだと。絶対何か理由があって、お母様は婚約破棄を受け入れたんだ。
お父様や祖父母、それに他の人たちから聞いた話を総括すると、お母様は『ヴァネディアの至宝』と言われる程の才女だったらしい。その才能はお父様と結婚してからもいかんなく発揮されていて、今現在、ストランジェ王国の内政や経済が非常に安定しているのはお母様の功績と言ってもいい。何手も先まで計画を巡らし、そして周りの人たちを巧く動かす。その手腕はもう鮮やかとしか言い様がないんだから。
そんなお母様が婚約破棄されてもすんなり退き下がり、そして隣国の王子であるお父様と結婚した……そこには絶対、何らかの企みがあったに違いない。多分お母様は最初からお父様と結婚することを計画して、敢えて当時のラザフォー王子に婚約破棄する様に仕向けたんだと思う。ヴァネディアでは『婚約破棄されて、国を追い出された』などと言われているらしいけど、そんな汚名をそそがずに放ってあることも腑に落ちない。
「テルルはどうしたいですか? あなたが選んで良いのですよ」
「えーっ、そもそもお母様にそんな酷いことをした王と王妃が、どうして娘の私をアカデミーに招待するんですか?」
「あの二人には子供がいませんが、養女がいます。確かあなたと同い年ではないかしら? その王女と友達にでもなって欲しいのか、あるいは単なる嫌がらせがしたいのか」
「絶対後者に決まっている! あの二人……いや、ルティーシャ嬢ならやりかねん。事実、悪い噂を沢山聞くからな」
ちょっとニヤニヤしながら話したお母様と、本気で怒っているお父様。今の話が本当だとすると、あちらに行けば何かしら嫌がらせをされるのは確実だけど……お母様もそこまで分かっているなら私にこの話をするかしら? 何か別の狙いがある?
「お母様……また何か企んでませんか!?」
「フフフ、どうかしら? テルルはいつも、色々な世界をもっと見てみたいと言っているじゃない? ヴァネディアはストランジェと友好国だしこことはまた違った文化の国だから、いい機会なんじゃないかしら?」
「……」
確かに隣国に行ける機会など滅多にないし、私はほとんどストランジェから出たことがない。お母様が何か企んでいるにしても娘を危険な目に合わせる様なことはない……と思いたいし、アカデミーに入学するかどうかはともかく、一度ヴァネディアの王都に行ってみるのもいいかもしれないと思えてきた。
「……分かりました。では、とにかくヴァネディアには行ってみることにします。アカデミーに入学するかどうかは、あちらの様子を見てから決めますね」
「それでいいわよ。きっとあなたにとってもいい経験となるでしょうから、しっかり見聞を広めていらっしゃいな」
「無理しなくていいんだぞ、テルル! それにアカデミーは二年間だから、そんなに長い間お前に会えないのは父さん、寂しいぞ!」
お父様が止めた理由はそっちが本音みたいね。私が遊牧に出かけるときも散々止められたからなあ。付いてこようとしてお母様に止められてたっけ。
「大丈夫ですよ、お父様。たまには帰ってくる様にしますので。それに私はもうすぐ十五歳で成人ですから、いずれどこかに嫁ぐ身。お父様にも子離れして頂かないと」
「と、嫁ぐだと!? 父さんは許さんからな!」
若干取り乱し気味のお父様と、呆れながらもそれを優しく見守っているお母様。私はこの二人の娘で本当に良かったと思っている。二人が知り合ったと言うヴァネディアのアカデミー。お母様の故郷でもあり、そして酷い仕打ちをした国でもあるわけだけど……そこには一体何が待っているのか、今からもうワクワクしている自分がいた。
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