四章 選択

30 英里紗

「勉強は忙しい?」

「うん。課題の本を読んでreport書いて、discussionの準備してってやっていると、全然時間が足りないよー」

 合宿の翌週の土曜日の昼に、英里紗は、わざわざ私のアパートのある下北沢までやって来た。駅前のカフェで待ち合わせて、ランチを食べながらお話。

 四ヶ月ぶりに会う英里紗は、すっかり雰囲気が変わっていて、学生を続けているのに私よりずっと大人になっていた。SNSで、毎日何をしているのかは見ていたから、離れていた感覚は無いけれど、やっぱり直接会うと、その変化に驚く。


「佳奈はどうしてた?」

「うん……」

 充実している彼女と違って、私は何も進歩していない。毎日、なんとなく決められた仕事をして、なんとなく不満を溜めたままで。

「特に変わったことは無いかな。相模原で地味に仕事してるよ」


「ねえ。今の仕事、楽しい?」

「え? 楽しいかと言われると、どうだろう」

 正直、楽しくはない。

 何かが進んでいる感じもしないし、新しい何かが生まれている感じもしない。別に、クリエイティブな仕事がしたいというわけでもないけれど、ワクワク感が無いのは確か。


「ね。もし今の仕事に満足していないんだったら、私と一緒にやってみる気はない?」

「一緒にやるって、何を?」

 英里紗は、コーヒーを入れたマイタンブラーをテーブルに置くと、身を乗り出してきた。

「来年の七月にコースを終了してMBAを取ったら、起業しようと思ってるの。もう、向こうでの仲間は一人見つけてるし、出資者も探し始めてる」

 うーん、起業を考えてるとか、さすが違うな。


「向こうに進出している日本企業に、SDGsの17 GOALSに沿った対策のadviceをするの。特に私のいるCaliforniaなんかは、先進的な環境対策の規制が次々に出されているから、そういう情報やcase studyと、具体的な対策案を提供するところにbusiness opportunitiesがあると思うんだ」

「そ、そうなんだ」

 英語の単語だけ発音が本格的になってるのが、ちょっと不思議だけど、すごいエネルギーでどんどん進んで行く感じは、新人研修の時と変わらない。

 でも、一緒にやるって?


「五条みたいな大きな会社なら、独自に人も置けるし、対策もできるだろうけど、中小の飲食店やStart-upだと、なかなかそこまで手が回らないと思うのよね」

「う、うん。それで、私は何を? 仕事はそんなに忙しくないから、週末に何かお手伝いする感じ?」


「なに言ってるのよ。佳奈には、Japan Branch Managerをやってもらいたいの。つまらない仕事の五条なんて、辞めちゃいな」

「は、はい? マネージャ?」

 なんか、とんでもないこと言ってない?


「そう。Californiaにいる私のBusiness Partnerになって、日本側を仕切ってほしいの」

「え、ええー! そんなの絶対無理。それに、急に辞めろって言われても……」


 英里紗はタンブラーを開いてコーヒーを飲むと、また続けた。

「もちろん、今すぐってわけじゃないから安心して。来年の夏に卒業してから、会社立ち上げの手続きをするので半年くらいはかかると思うから、合流してもらうのは早くて来年末かな」

 急な話なのは、大して変わらないって。


「どうして私なの? 全然スキルも無いし、マネージャなんてできる気がしないよ」

「あのね、ただのskillや技術だったら、そういう人をお金で買って雇えばいいの。でもね、Californiaと日本に離れてpartnerになるんだったら、絶対に必要な物があるの。何だかわかる?」

「え、わかんない」

 英里紗はガクッと肩を落とした。


「あのね、信頼よ。絶対にこの人となら一緒にやれるっていう信頼。新人研修の間、佳奈とは毎日、SDGsの話をしてたじゃない?」

「うん」

「あの時思ったの。こいつは本質的なことがわかってる。そして、絶対に信頼できるって」


 それは買いかぶり過ぎだって。

「とにかく、考えておいて」

「う、うん。わかった」

 お店を出て改札に向かう前に、再度念押しされた。


 カフェで、英里紗の構想しているSDGsビジネスの話を聞いていたら、すっかり夕方になっていた。お腹が空いたので店を変えて、美味しい焼き鳥屋さんでワインを飲みながら続きを聞いていると、夢にあふれていた新人研修の時のことを思い出してしまった。

 こんなに熱く語る人と飲んだのは、本当に久しぶり。


「いつ向こうに帰るの?」

 改札の前で振り向いた彼女は、にこりとして答えた。

「年明けの九日に帰る予定。また年末近くになったら会おうよ」

「そうだね」

「また連絡する。じゃ、バイバイ」

 手を振りながら改札に入って行った。


 すごいなあ、英里紗は。全然変わっていないどころか、夢を追いかけてどんどん進化するのを止めない。そして、私なんかじゃとてもついて行けないのに、ぐいぐい手を引っ張ってくれるのは、昔と一緒。


 私の夢、かあ。

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