32 選択の日
一七時三十分に工場の正門を出ると、少し横に入った路地に、見覚えのあるタクシーが停まっていた。イケコンから連絡のあった通り。
「お疲れさまでした」
車に近づくと、運転手さんがさっと出てきて、後ろのドアを開けてくれる。他の社員の人が見ていない路地に入っていてもらって良かった。タクシーとは言え、こんな迎え方をしてくれる運転手さんの車に乗り込むのを見られたら、なんて言われるかわからない。
「それでは出発します」
「行き先は……」
「はい。狭間様より伺っております」
全て準備万端てことね。最初は、イケコンも一緒に相模原まで迎えに来るつもりだったみたいだけど、時間も早いし、運転手さんだけで来てもらうことにした。その方が、こちらも気が楽だし。
イケコンと吉岡君のうち、どちらを選ぶか。十一月に競争を始めてから、あっという間だった。それぞれに、毎週工夫を凝らしたおもてなしをしてくれて、ずいぶんいい思いをさせてもらったな。
それも今日で決着をつけないと。
私にとって、最善の選択は何なのか。二人にきちんと説明をする。
***
丸の内の本社ビルの隣に着くと、運転手さんはスマホでイケコンと連絡し始めた。この前と同じように、リモートから支払いが済むと、運転席を飛び出して後ろのドアを開けてくれる。
「行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
何度乗っても、この対応には慣れないから、ドギマギしてしまう。
選択の期限は、十八時半。それまでに、二人は待ち合わせ場所にスタンバイしていて、私がどちらかに行く。そして、選ばなかった方には、電話でお話をするつもり。
今まで、入試とか入社試験とか、人に選ばれることは散々経験して来たけれど、人を選ぶというのは初めてだから緊張する。選択すること自体は、自分の決断だから何も迷いはないけれど、それをきちんと説明して、納得してもらえるのか? 何を基準に、どう判断したのか。それが私に取っても、相手に取っても最善だと言えるのか。選ばなかった方にも、選んだ方にも、話ができるのか自信がなかった。
説明する責任がある、なんてかっこいいこと言ったけど、ちゃんと言えるかな……
まだ、十五分ほど時間があるので、ビル一階のカフェに入ってカフェラテを注文した。温かい物を飲んで、心を落ち着けないと、とてもじゃないけど居られない。
イケコンは、ビルの最上階。吉岡君は地下にいるはず。
対照的なようで、実はよく似ているのかもしれないな、あの二人。
せっかく買ったドリンクも、ほとんど飲まないまま期限の五分前になった。テーブルの上に置いていたスマホを手に取り、連絡先を表示して一呼吸。
やっぱりそれしかないよね。この二週間ずっと考えてきたけれど、どう考えても、それ以外の回答はなかった。ルールでは、ここで電話を掛ける方は選択されなかったことになっている。選んだ方には、直接行くはずだから。だけど、それで終わりじゃないから。
もう一度、言うべきことを自分の中で繰り返してから、一方の名前をタップした。
ワンコール、ツーコール。向こうも待っているだろうに、すぐに取らないのは、やっぱり認めたくないから? スリーコールでつながった。
「もしもし」
「ああ。掛かって来たか」
「あ、あの。まだ結論を出さないで下さい。ちょっとお話ししてもいいですか?」
「どうぞ」
言うべきことを、準備してきた順番で話す。
「この電話で決まったわけじゃなくて、私からお願いしたいことがあります」
「はい」
「私のパートナーになってもらえませんか?」
「え?」
突然のことに、びっくりしているのがスマホ越しでもわかる。
電話を切って立ち上がると、判定時間を過ぎていた。ある程度予想はしていたけれど、それ以上にじっくり話をすることになってしまった。でも、そのおかげで、きっちり踏ん切りを付けることができたから、良しとしよう。
カフェを出て、向かいにあるエレベーターに乗り、待ち合わせ場所に向かうと、入口から入ってすぐの受付の横で、彼が待っているのが見える。
「お待たせ」
「ああ、来てくれたんだ。時間を過ぎても来ないから、もうダメかと思ってた」
「ごめんね。まず向こうに電話して話をしていたから。遅くなっちゃった」
「狭間先輩は、なんて言ってた?」
吉岡君にも、ちゃんと話をしておかないといけない。
「あのね、出る前に、ちょっと話したいんだけどいいかな」
「うん。いいよ」
ロッカーとシャワールームにつながるラウンジには、ベンチが置いてあるので、そこに座って話し始める。
「あの日、最後のデートでここに連れてきてくれたよね」
「うん」
「いきなり、走りに行こうって言われた時は、何のことかと思ったけど」
そう。美味しいものを食べに行くでも、きれいな景色を見るでもなく。
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