31 判定ルール
ビルの間から見上げる空は、冬らしくスコンと抜けるような青色だった。厚手のコートを着ていても、吹き抜ける風は冷たく、思わず手袋をした手を頬に当ててしまう。
来週の金曜日は、十二月二十四日で最後の判定の日。
吉岡君と三人で会って、最終判定のやり方の詳細を決めましょう、とイケコンから連絡が来たので、土曜日の昼間に品川まで出てきた。待ち合わせ場所は、イケコンのマンションの近くの小さなレストラン。
都心のビルの一階に入っているのに、入口は鉢植えの緑で囲まれていて、窓にはアイビーまではっているから、まるで森の中の一軒家のよう。
店に入ると、イケコンが先に来て一番奥の席に座っていた。
「こんにちは」
「なんだか、すごく久しぶりに遠藤さんの顔を見た気がします」
「何言ってるんですか。合宿から二週間しかたってませんよ」
「そうは思えませんね」
イケコンは立ち上がり、壁を背にした奥の席を譲ってくれた。
「ここは、パスタ専門なんですが、特に日替わりの手打ちパスタがおすすめなんですよ」
「へえ。手打ちですか」
メニューを見ると、スパゲッティーニ、リングイネ、フェットチーネ、ペンネといったさまざまな麺と、トマト、クリーム、オイルの三種類のソース、そしていろいろな具材の組み合わせで、何十種類ものパスタが並んでいた。
壁にかかった黒板の「日替わり」という大きな字の下には、『トマトソースと魚介のフェットチーネ(手打ち)』と書かれている。
「おいしそうですね」
でもフェットチーネって、どんなのだろう?
「休みの日は、よくお昼を食べに来るんですよ。これだけ種類があると、全然飽きないですし」
「毎週来ても、全部食べきるには一年くらいかかりそうですね」
イケコンは腕時計をチラッと見た。
「しかし遅いな、泰造は。先にオーダーしちゃいましょうか」
「まだ、待ち合わせの一時までは、一分ありますよ」
「五分前には来ているのが、常識です」
元陸上部部長さんは、やっぱり厳しい。
「もし時間になっても来なかったら、泰造は失格で、僕で決まりでいいですよね」
口調だけでなく目付きも真面目だし、本気かもしれない。
その時、カランカランと軽やかなベルの音がした。このお店のドアの上には、古い喫茶店によくあるようなベルが付いていて、誰かが開けるたびに音がするようになっていた。響かせて入って来たのは、吉岡君。
「遅い」
「え? 遅くないですよ。今一時ちょうどだから、ジャスト・イン・タイムですよね」
吉岡君は、テーブルの向かい側のイケコンと並びに座った。
「遠藤さんを待たせるような失礼な奴は、もう失格にするという話をしていたところだ」
「また悪い冗談を」
私も合わせて真顔で言ってみる。
「本当よ」
「え、ちょっと待って下さいよ」
焦っているところが、ちょっとかわいい。
パスタをオーダーすると、イケコンはゆっくりと話し始めた。
「今日、集まってもらったのは、来週金曜日の最終判定のやり方を決めるためです」
この勝負が始まった時には、十二月二十四日のクリスマスイブの日にプロジェクト会議の最終回があるはずだったので、その後にイケコンと吉岡君が、それぞれ別の場所で待っていて、私がどちらか選んだ方に行くことになっていた。私が選ばなかった方は、ひとりぼっちのクリスマスイブになるルール。
でも、プロジェクト会議は合宿で終わってしまったので、この日は、相模原から、わざわざ出てくることになる。
「僕が車で、工場までお迎えに行きます。待機場所までご一緒して、その後、二手に分かれて、それぞれの場所で待つということでは、いかがでしょう」
「なんだか悪いから、電車で行きますけど。もともと出張の時はそうしてたんですし」
「仕事ではなくて、わざわざ僕達のために来ていただくのですから、当然お迎えに行きます」
吉岡君の方を向いて念押しする。
「泰造、それでいいな?」
「仕方ないですね」
吉岡君も、渋々同意する。直前にイケコンと二人で車に乗って来るのが、気に入らないんだろうな。
「何なら、そのまま車を降りずに、一緒に行ってしまってもいいですし。泰造なんか置いといて」
「ちょっと先輩。そういうのは無しで」
むっとした顔をしている。イケコンは、ふっと笑うと話を進めた。
「遠藤さんには、本社の隣のビルのカフェにいてもらって、我々は近くの別々の店で待っているのではどうですか? あそこからなら、遠藤さんも馴染みがあるでしょうし」
「それなら動きやすいですけど……」
どちらに行くか、悩みながら歩いている自分の姿が浮かんでくる。私が行かなかった方の人は、ずうっと待ちぼうけ?
「あの、私が選ばなかった方の人には、どうやって知らせれば?」
お断りのメッセージを送るとか、電話で断るとか、すごいプレッシャー。
「そこは、遠藤さんからではなく、僕らが直接連絡するようにしましょう。選択するだけでも大変なのに、さらに負担をかけては申し訳ない。いいな泰造」
「いいですよ。勝利宣言のメッセージを送りますから、祝福の返信下さいね」
「逆だろう」
お互いに、負けん気が強い同士。でもホッとした。
「では、僕らは、それぞれどこで待っていましょうか。遠藤さんがわかる所でないといけないし」
「行ったことがある店とか」
「それなら、わかりやすくていいです」
「それでは、僕は東京ビルのジャズクラブで待っています」
イケコンは素のままだけど、私は思わず顔が熱くなってきた。そこ、キスされたところだ。
吉岡君は、そんなことは気がつかないまま、どこにしようか考えている風。
「じゃ、俺は最後の会議の後に行ったところ」
「うん。わかった」
やっぱりそこなんだ。
「スパゲッティーニ・カルボナーラのお客様」
「あ、俺」
「本日の日替わり、トマトソースと魚介のフェットチーネは」
「私です」
「こちらがペンネ・アラビアータです。以上でご注文の品はお揃いですか?」
「はい」
それぞれが注文したパスタが、一度に運ばれてきた。すごくいい匂い。
「いただきます」
フェットチーネって、少し幅が広くて平たい麺なんだ。トマトソースと絡んだもっちりした歯ごたえが、たまらなく美味しい。
「うーん。美味しい。やっぱり手打ち麺て好きです」
「気に入ってもらえて良かった」
イケコンも、私が喜んでいるので嬉しそう。
「あの、提案があるんですけど」
考えていたことを、思い切って言ってみる。
「最終決定した時に、さっきは選択されなかった方には、お二人同士で連絡するってなりましたけど、やっぱり私から連絡するべきだなと思って」
「そうですか?」
イケコンは、静かにこちらを見ながら首を傾けた。
「はい。だって、なぜ選んだのか、ちゃんと説明するのが私の責任だと思うんです。だから、私から連絡することにします」
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