9 想定外の関係
「な、なんで、狭間さんが」
真っ白で清潔そうな部屋の隅に立っているイケコンは、生真面目な表情のまま。いつもの営業スマイルはなかった。
自分は、ベッドの上で、ふんわりしたふとんにくるまっている。お気に入りのスーツは、ちゃんとハンガーにかけて壁のフックにかかっているから、シワにはならずに済んだみたい。いやいやいや、男性の前で、スーツを脱いで、ブラウスと下着しか身につけていない状況って。
ベッドの上で、体を起こしてみたものの、ぎゅっとふとんを巻き付けて、下着が見えないようにするのが精一杯。昨日、バーにいたところから、何も記憶がない。
「目が覚めましたか。コーヒーが入っていますよ」
「あ、あの、ここはどこですか?」
「僕の部屋ですよ」
やっぱり、そういうこと? 何も覚えていないけど、酔った勢いでイケコンと? ああー、最低だ私。そんなに軽い女だったのか。
でも、昨日は吉岡君とバーで飲んでいたはず。それがなんでイケコンと入れ替わっているの?
「あの、あの。昨日、私、すごく酔っていたと思うんですけど、何かご迷惑をおかけしました?」
「何も覚えていないんですか? 大変でしたよ」
イケコンが、初めてニヤッと笑った。このまま、消えてなくなりたい。確かに、しばらくご無沙汰だったけれど、そんな大変とか言われるほどって。顔がほてってきた。
イケコンは、クローゼットの扉を開けて、引き出しの中から白いスウェットパンツとフーディーを引っ張り出してきた。
「これ、大きいと思うけど、スーツを着るのも嫌でしょうから、どうぞ」
「あ、いえ、そんな。大丈夫です」
「スーツは、向こうの部屋で消臭スプレーしてきます。バーのタバコの匂いがついているようですから」
スウェットとフーディーをベッドの上に置いて、代わりにハンガーにかかったスーツは持っていかれてしまった。部屋のドアを閉めていったのは、ここで着替えろということだよね。
下着で歩き回るわけにもいかないので、置いていってくれた服を着てみたが、あの身長だから袖も裾もずいぶん長い。三重に折り返して、ようやく萌え袖にならなくなった。
吉岡君がバーの会計をしていて、お金を払わないといけないと思って財布を探して、そこから記憶がない。吉岡君は、どこに行ってしまったんだろう。
私一人、置いていかれた?
スマホを取り出して、メッセージを確認してみたが、何も来ていなかった。同期の女子が前後不覚になっていたのに、心配もしてくれないなんて冷たいな。それとも、あきれられちゃったか。
コンコン、とドアをノックする音がした。
「遠藤さん、着替え終わりましたか?」
「はい」
ドアが開いて、イケコンが顔をのぞかせた。
「朝ごはんの準備ができていますから、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
寝室を出てダイニングに行くと、テーブルの上には、オレンジジュースに、シリアルにサラダと、湯気の立っているスクランブルエッグまで並んでいた。横にはドリップコーヒーのポットもある。まるでホテルの朝食みたい。
この部屋も、白をベースにしたシンプルでセンスのいいインテリアで統一されている。テーブルの横で向こうむきになっている大きなソファーも、上品なクロスで落ち着いた雰囲気。どうしたら、こんなにセンスのいい部屋ができるのだろう。私の部屋なんて、とても人に見せられたものではない。
「遠藤さん、おはよう」
「うわっ」
何気なく手をかけたソファーから、吉岡君が起き上がってきたので、飛び上がって驚いた。
「よ、吉岡君、いたんだ」
「気分はどう? 体痛くない?」
え、体痛くないって、何? 二日酔いで頭は痛いけど、それ以外のこと? まさか、イケコンだけじゃなくて、吉岡君とも酔った勢いでしちゃった?
最悪だ……
「おい、泰造。いつまでもゴロゴロしてないで、さっさとこっちに来い。コーヒー冷めるぞ」
「はい。済みません」
泰造?
吉岡君の名前だけど、呼び捨て? コンサルタントと、うちの会社の社員が、呼び捨てと敬語の関係って、どういうこと?
「狭間さんと吉岡君て、どんな関係なんですか?」
「ああ、言ってなかったか。狭間さんは、大学の陸上部の先輩。僕が一年で入部した時に、四年の部長だった人」
「ええー!」
「どうぞ座って。まずは食べましょう」
もう、いろいろなことがありすぎて、頭がついていけない。二日酔いだけじゃなく、頭痛がジンジンしてきて、死にそう……
「昨日、高槻部長たちとの二次会が終わってから、行きつけのバーに行ったら、遠藤さんと泰造がいてびっくりしましたよ。しかも遠藤さんは立てないぐらい酔っ払っているし。泰造に聞いても、家は知らないというから、僕の部屋に二人で担いできましたけど」
「ご、ごめんなさい」
本当にこのまま死んでしまいたい。イケコンにそんな醜態をさらして迷惑かけていたなんて。
「謝らなくていいですよ。あれは泰造が全部悪い」
「そ、そうだけど。でも遠藤さんがスイスイ美味しそうに飲んでるから」
「バカ野郎! 女性をバーにエスコートしてきたら、酔っ払う前にさっと引き上げるのがマナーだろう。お前に、遠藤さんをエスコートする資格なんてない!」
怖っ! イケコンが時々怖くなるのって、運動部の部長だったからなんだ。体育会の先輩気質なのね。
「あ、あの。私が勝手に飲みすぎたんで。吉岡君を責めないで下さい……」
「遠藤さん。今度から金曜日の夜は、僕と行きましょう。泰造なんかと一緒にいたら、ロクなことがない」
「ええ! いくら狭間先輩でも、そりゃないですよ」
「お前に、そんなこと言う資格はない。あんなに泥酔するまで飲ませて、どこかに連れ込んでやろうと考えてたんだろう?」
「そんなこと考えてませんって!」
あの、いま私、狭間先輩の部屋に連れ込まれているんですけど……
「だいたい、先輩より俺の方が、先に遠藤さんのこと気にしてたんですから、横取りするのはやめて下さい」
「そうかな?」
イケコンが、ニヤリと笑った。何?
「遠藤さん、五年前のインターハイ神奈川県大会に出てましたよね?」
「は、はい。出てましたけど」
何で知ってるの? 高校時代の私の苦い思い出。
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