8 ピンクのカクテル
海鮮居酒屋の会計をして店の外に出ると、予想通り高槻部長が『二次会はどこにする』と言い始めた。打ち合わせ通り守口さんが『明日、子供の用事があるので私はこれで』とお断りし、私も間髪入れずに『明日、朝一で友達と約束があるので』と畳み掛ける。そこで吉岡君が『では、みなさんご都合があるようなので、今日はここでお開きにします。お疲れ様でした』と宣言した。
かなり酔っ払って真っ赤な顔をしていた高槻部長は、ぶつぶつ言いながらも、池田部長と連れ立って歩いて行ったから、吉岡君の作戦は大成功だった。周りに何人か、ついていくおじさん達もいたから、寂しくは無かったと思う。
そのまま、電車に乗るふりをして仲通りを有楽町まで歩き、さらに新橋側に抜けたところのビルの八階に上がって、クラシカルなドアのバーにたどりついた。ここまで来れば、部長御一行様と鉢合わせすることもないはず。
ドアを開けて中に入ると、カウンターから横手に見る窓の外には、コリドー街と新橋の夜景がずっと広がっていた。
「うわ、素敵」
「いいだろ」
「こんなおしゃれなバーにも、よく来ているの?」
「時々ね」
「いらっしゃいませ」
カウンターに座ると、白いスーツをピシッと着こなしたバーテンダーさんが、おしぼりとメニューを出してくれた。
かっこいい!
「何にする? メニューに無いカクテルでも、マスターに頼めば作ってもらえるよ」
「でもカクテルの名前とか、あんまり知らないし」
黒くて細長いメニューを開くと、ウイスキーからジン、ラム、ウォッカ、その他と、いろいろなお酒と、そのカクテルの名前が並んでいた。
「どうしよう」
かっこいい都会の女性は、何を飲むべき? うむむ。学生の時の宴会では、ハイボールとかレモンサワーばかり飲んでいたけれど、ここでそんなものは頼めない。
「名前は知らなくても、甘いのとか、フルーツが乗っているのとか、好みを言うと、おまかせでいい感じのを作ってもらえるよ」
「あ、じゃあそれでお願いしようかな」
横でグラスを拭いていたマスターが、すっと前に近づいてきた。
「どんな感じがお好みですか? 爽やかで甘めのものか、キリッとしたものか」
「あの、甘めで、フルーティなのをお願いします」
「アルコール度数は高めでも大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です」
「承知しました。こちらは?」
「俺は、マッカランの十二年をロックで」
マスターは、後ろの棚からお酒のボトルを二本と小さなビンを一本、それから、冷蔵庫からジュースを取り出し、カウンターの下に並べてカクテルを作り始めた。
「マッカランって、ウイスキー?」
「そうだよ」
「なんか、慣れてる感じがいやらしい」
吉岡君は、びっくりした顔でこちらを向いた。
「えっ、い、いやらしいって」
「夜景の綺麗なバーに連れてきて、ウイスキーなんか余裕で頼んで。何人の女の子、ここで口説いた?」
「ないないない。そんなことしてないって」
すごいあわててる。
「ふうん。そうなんだ。じゃあ、いつも誰と来てるの?」
「この店は、だいたい一人で来てる」
「ほんとかなー?」
「信用できないなら、マスターに聞いてみなよ」
シェイカーを振っていたマスターは、カウンターの上に置いたカクテルグラスにお酒を注ぎ、私の方に押し出してから言った。
「そうですね。吉岡様は、いつもお一人でおいでですね」
「ほらー。言った通りだろ」
「常連のお客さんが困るようなことは、マスターも言わないよね」
「そんなこと無いって」
カクテルグラスの中には、鮮やかなピンクのお酒の上に、うっすらと白い泡が重なっていた。
「すごくきれい」
吉岡君の前にも、大きな丸い氷の入ったウイスキーグラスが置かれる。
「じゃ、無事一次会で脱出できたことを祝って」
「無茶振り宴会幹事、お疲れさまでした」
「乾杯」
ひとくち口に含むと、甘いけど、爽やか。うーん。とっても美味しい。
これは、どんどんいけちゃう、やばいカクテルかも。
***
「吉岡君は、彼女いないのー?」
「いないよ」
「へええ。先週のイタリアンとかぁ、この店とかぁ、おしゃれなお店はいっぱい知ってるのにぃ、なんでいないのー?」
とんでもなく美味しいカクテルが出てきたので、次々に違うお勧めをおかわりしていたら、すっかり気持ち良くなっていた。何杯飲んだのか、もう覚えていない。
「ううん。食べ歩きは好きだけど、それと彼女がいる、いないは、関係なくないか?」
「そお? あ、もしかして、最近はやりの、男の子が好きな男子だったりするー? だったら遠慮しなくていいよぉ。わたしも大学の時に、ゲイの友達いたからぁ。話してて、すっごくたのしいんだよねー。女子トークできて」
「いや、そうじゃないから」
なんか、赤くなってる。お酒のせいかな?
「じゃあなんで、カノジョつくらないのー?」
「いいなと思える人が、今までは、いなかったからかな」
「へえ。そうなんだぁ。あ、これとおなじので、おかわりおねがいしまーす」
「はい。かしこまりました」
イケメンではないけれど、そんなに悪い子じゃないのにな。笑うと、かわいいし。彼女がいないのは、やっぱりグルメばっかりで、草食系だからかな。グルメの肉は食べても、あっちは草食系。なんて。
「ふふっ」
「何、一人で笑ってるんだ?」
「なんでもなーい」
出てきたグラスを、くいっと一息で飲む。これも、すっごくおいしい。
「マスター、なんかスッキリしたやつ」
「お客様、少しチェイサーで間を開けた方がよろしいのでは」
「ふえ? そう? じゃそうする」
ああ、お水もおいしい。ぐるんぐるんしているのが、少しはスッキリするかな。さいこーのおみせで、さいこーにおいしいおさけをいただけて、ほんとうに吉岡くん、さいこー。ぐるんぐるんするけど、さいこー。
「なあ、遠藤さん。ずいぶん遅くなってきたし、そろそろ帰ろうか」
「えー、もう? まだだいじょうぶだよー」
そういわれると、なんかねむくなってきた。
「マスター、チェック」
「かしこまりました」
あー、いくらだろう。ちゃんとワリカンにしないと。えーと、さいふはどこにいったかな。えーと、さいふ、さいふ。
「ちょっと。遠藤さん。大丈夫? 遠藤さん」
「うん。へーき、へーき」
ん? なんか、目のまえにイケメンが、いや、イケコンがみえる。ずっとみていたから、目にやきついたかな。
イケコンて、みているぶんにはいいんだけど、うらではこわいんだよね。それに、あのえいぎょうスマイルが、どうにもしたしみがわかないというか。
「よしおかくんは、イケコンのことどうおもうー?」
「遠藤さん、しっかりして」
「だって、イケコンそっくりのひとがいるんだもーん」
「遠藤さん。大丈夫ですか? こんなになるまで飲ませるなんて、お前、何を考えているんだ」
「いや、飲ませたわけじゃなくて」
んー? こえもイケコンにそっくりだぞ……
なんか、よくわかんないけど、イケコンだー……
***
「つー、頭痛い」
カーテンから入ってくる朝日が眩しい。
ひさびさにやっちゃったな。こんなにひどい二日酔いは、学生の時以来だ。顔がつっぱっているから、メイクも落としてなさそう。最悪。
あれ。ここどこだ? 見たことのない部屋だけど。
嫌な予感で、背中にすうっと悪寒が走った。
まさか……
「おはようございます、遠藤さん」
「ふええっ!」
とんでもないことしてしまったかも!
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