7 夜のキックオフ

 休憩の後、各チームの成果の検討が終わったところで、前の方のテーブルに座っていた偉そうな人が、隣のこれまた偉そうな人に、大きな声で話し始めた。


「池田部長。せっかくこうして各部門から集まってきているんですから、プロジェクトが円滑に進むように、夜のキックオフをやるのはどうですかね」

「いいですねえ。今日はノー残業デーだし。ご参加の皆さんで親睦を深めて、忌憚のない意見が言えるようになるのは大事ですね」


 隣の吉岡君が、ビクッとした。


「コンサルタントの皆さんも、今晩はいかがですか?」

「私は大丈夫です」

 イケコンが真面目な顔のまま答える。

「では高槻たかつき部長、店の手配はこちらで……」

「いやいやいや、そこは若手に任せましょう。我々のような、年寄りの趣味を押し付けるのは良くないですから。若手の意見を尊重しないと」


 吉岡君は、両手をぎゅっと握って、背中を丸めている。気分が悪そうだけど、大丈夫かな。

「ね、吉岡君、大丈夫?」

「ああ。平気」


「吉岡君!」

 大きな声で話していた高槻部長が、こっちを向いて手招きしている。え、もしかして上司なの?


「はい」

 固まっていた吉岡君が、渋々顔を上げて応えると、部長はお構いなしに続けた。

「グルメで評判の君なら、いい店を知っているだろう。十八時から、コンサルタントの先生方も合わせて二十五人で予約しておいて。出席者の方には、メールでお知らせして」

「……はい」

 うわあ。すごい無茶振り。


 テーブルの向かいに座っている山田さんが、手を挙げた。

「あ、あの、明日、早朝の便でドバイに飛ばないといけないんで、今日はちょっと」

「あ、自分も今日は七時からロンドンとテレビ会議があるので」

「済みません。保育園のお迎え当番なんで」

 次々にお断りの手が上がる。そりゃそうだよね。金曜の夕方四時にいきなり言われても困るでしょ。


「ああ、わかりました。お仕事のある方や、ご家庭の用事のある方は仕方ないですね。ご都合の会わない方は、吉岡の方にお知らせ下さい。吉岡君、出席者の人数整理して、それで予約しておいて」

「はい」

 なんか勝手に仕事増やしてない? ひどいな、この部長。


「じゃ、そろそろ次の会議があるので、私はこれで」

「では、後ほどまた」

 部長二人は、ご満悦の表情で部屋から出ていった。


「遠藤さん、ごめんね。今日、行こうとしていた店は、また来週ってことで」

「うん。仕方ないね。あの人、吉岡君の上司?」

「そう。高槻部長は、うちの経営企画部の部長。隣にいたのは、ITソリューション部の池田部長で、このプロジェクトの責任者」

「でもひどいね、いきなり当日飲み会セットして、その幹事やれだなんて」

「遠藤さんは来なくていいよ。高槻部長、酔っ払うとしつこくてうるさいから」

 本当に嫌そうな顔だから、きっといつも飲み会で、しつこくされているんだろうな。

「一緒に行くよ。他の部門の人と仲良くなっておくのも大事だし。吉岡君を一人で働かせておくのも可哀想だし」


 本社の偉い人と人脈ができれば、もしかしたら、本社に引っ張ってもらえるかもしれない、なんて下心があることは言わない。


「あ、あの、吉岡さん? 今日、用事があって」

「はい。お名前教えていただけますか?」

 さっそく、断りたい人が吉岡君の前に並び始めた。結構な人数が並んでいるけど、何人行くんだろう?


***


 吉岡君が予約した海鮮料理の居酒屋に来たのは、結局、十人だけだった。

「遠藤さんは、相模原だっけ?」

「はい。相模原工場の総務部にいます」

 高槻部長は、私の隣の席で終始ご機嫌に話をしている。

「生産第二本部の柏原かしわら本部長は知ってる?」

「あ、いえ、ちょっと……」

「彼とは同期入社でね。よく一緒にゴルフに行くんだけど、いつも俺が勝っててさ。毎回、晩飯は奢らせてるんだ。はっはっは」

「そうなんですか。すごいですね」

「遠藤さんは、ゴルフはやる?」

「打ちっぱなしに、ちょっと行ったことがあるくらいです」

 本当は、総務部の社内ゴルフコンペに参加して、賞品をもらったこともあるけれど。大学で、ゴルフ部の友達にランチおごる代わりに教えてもらってたから、それなりのハンディ。


「そうか。それじゃ今度、柏原と行く時に俺が紹介してやるから、一緒に行ってコースデビューするか。生産本部ともツーカーになっておくと、何かと仕事もやりやすくなるぞ」

 ええ、どうしよう。工場の中で人脈広げても、全然ありがたくないんですけど。総務部にボールペン取りに来ないよね、本部長。


 高槻部長の自慢話に付き合わされるのも、だんだん飽きてきたけれど、なかなか抜け出すチャンスが無かった。吉岡君は、隅っこの席でハイボールを作るのに忙殺されていて、助け舟にはなりそうにない。


「高槻部長、ゴルフがお好きでしたら、天城ハイランドカントリークラブなどいかがですか?」

 向かいに座っていたイケコンが、割り込んできた。

「天城? そりゃ名門じゃないか」

「弊社のエグゼクティブ向けセミナーハウスが伊豆にありまして、そこからすぐなんですよ。会員権もありますので、一泊二日で、初日は最新ITトレンドのセミナー、二日目は朝からコースに出て、午後にクロージングという研修をよくやっていますが、ご興味ありますか」

 なんだそれ。研修という名目のゴルフ接待じゃない。高槻部長が、目を輝かせている。


「ほう。それは興味深い。最新ITトレンドも、ちゃんと勉強しておかないといけないですからな。池田部長、どうです?」

「世の中の動きを勉強するのは、大事ですね。狭間さん、詳しい資料を送ってもらってもいいですか」

「はい。すぐにお送りします。うちのセミナーハウスは料理も自慢なんですよ」

 狭間さん、イケコンらしいナイスアシストありがとう。都合よく話がそれていったから、今のうちにトイレに行って席を移動しよう。


 トイレから戻って来ると、吉岡君が座っている端の方に空き席ができていた。

「こちらの席、いいですか?」

「おお、遠藤さん。いいよ、空いてる」

 さっきまで自分が座っていた高槻部長の隣に、ここにいた男性が移動してお酌している。みんな、偉い人には顔を売りたいからね。

 でも私には、やっぱり無理かな。部長や本部長と一緒にゴルフに行こうと誘われるなんて、社内人脈を作るには絶好のチャンスなんだろうけど、あの自慢話に一日中付き合っていられる自信が無い。よそ行きモードを維持するのは、けっこう気力・体力が必要なんだよね。


「何か飲む? オーダーするよ。ハイボールなら、すぐ作れる」

「ありがとう。お水だけもらえる?」

「チェイサー一つ、承りました」

 ふふ。やっぱり同期といるとホッとする。


「じゃ、遠藤さんが来たから、改めて乾杯しましょう。こちらはITソリューション部の守口係長。こちらは第一営業本部の岸和田主任。彼女は、自分と同期の遠藤さん。相模原工場から来てる」

「どうも。よろしくお願いします」

「かんぱーい」

 皆さん、ちょっと先輩ぐらいの若手だから、よそ行きモードも軽めでいいかな。


「ちょっと、相談があるんだけど」

「何?」

 吉岡君が、小声で話しかけてきたので耳を近づける。周りの話声がうるさいから、近くに寄らないと聞こえない。


「ここのお会計が済んだら、きっと高槻部長が二次会へ行くって言い出して、また店を探せとか、電話して予約しろとか言って来ると思うんだ」

「うん」

 昼間の様子だと、間違いなくそうなりそう。


「めんどくさいし、他にも帰りたい人がいると思うから、そういう話が出たら『明日、朝早いので、もう帰ります』って言ってもらっていいかな」

「私が?」

「守口さんにも話を付けてあるから。同じように言ってもらうことになってる」

「守口さんも?」

 横にいる守口さんを見ると、にやりと笑った。

「明日、幼稚園の運動会なんですよ。だから今日は、あんまり飲んで帰ると、奥さんに叱られるんで」

「お子さんがいらっしゃるんですか。もっとずっと若そうに見えました」

 吉岡君は、ちょっと周りを見渡してから、また小声で続ける。


「二人が断ったところで、僕が、もう解散しましょうって宣言するから。そうしたらきっと、高槻部長は池田部長と勝手に飲みに行くと思う」

 いろいろ考えているんだな。

「いいよ。私も、あのペースにお付き合いするのは疲れてきたから」


「でね。ここからが本当の相談」

「?」

「解散した後で二次会に行かない? 個人的に」

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