3 次の約束

「先程は、お疲れさまでした。これからお戻りですか?」

 さっき、部下を叱っていたのと同じ人物とは思えない、柔らかな口調。でも、見覚えのあるおじさん達と若者が、鉢植えのテーブルからあわてて追いかけてきているから、間違いない。鬼上司から営業スマイルに切り替えた、コンサルタントの狭間さんだ。

 そちらがそのつもりなら、こっちも、よそ行きモード、スイッチオン。


「先程は、どうもありがとうございました。今日は、もう工場には戻らないつもりです」

「そうですか。来週も、またよろしくお願いします」

 あくまでにこやかだけど、お茶はひっくり返すし、ロクな意見も言えない私なんか、切れ者のこの人にしてみたら、ただのお荷物じゃないかと心配になってきたから、確かめてみる。

「あの、私などが参加していたら、ご迷惑ではありませんか?」

「どうしてですか? 実際に使われているユーザーさんの率直な意見は、とても参考になります。ぜひ最後まで参加して下さい」

 課長からは、この出張は十二月までの三ヶ月間と聞いていた。


「みなさんが見ている前では、そんな立派な意見とか、なかなか言えなくて……」

「なるほど。今日のような大きな部屋で、全員が聞いていると発言しにくいですよね。わかりました。次回は、少人数のグループに分けたり、小さな部屋でフランクに話せるように工夫してみます」

 どこまでもポジティブな人だな。頭の回転も早くて、ついていくのが大変そう。


「そうだ。さっきの会議では大勢いらしたので、名刺交換はしませんでしたが、いただいてもよろしいですか?」

 スーツのポケットに手を入れて、すっと名刺入れから一枚取り出すまでの動作が、とんでもなくスマート。あわててこちらも、コーヒーの紙コップを手近なテーブルに置き、手提げバッグの中から名刺入れを出そうとするけれど、探し出すまでに時間がかかって焦る。だいたい名刺交換なんて儀式は、入社してから二回か三回しかやったことがない。名刺入れは、バッグの一番奥の底に埋まっていた。


「改めまして、UVNコンサルティングの狭間涼介です。よろしくお願いいたします」

「え、遠藤佳奈です」

「公の会議で言いにくいことがあれば、名刺の携帯番号に、いつでも電話していただいて構いませんよ」

「は、はい」

 まじまじと名刺を見ると、会社の代表電話とメールの他に、携帯番号も印刷してあった。自分の名刺は、工場の自席の固定電話しか書いてない。


「あ、あの、ちょっと名刺を返していただいても、いいですか」

「……? いいですけど、どうしました?」

 またバッグの底からボールペンを掘り出し、返してもらった名刺に、自分の携帯の番号を書き込んだ。だって、本社に来ている時は、工場に電話してもいないから……


「はい。私の携帯も書いておきました」

「ありがとうございます。急な連絡の時に助かります」

 とびっきりの笑顔。

 素敵だけど、よそ行きモードで話をしているのは、だんだん肩が凝って、しんどくなってきた……


***


「お待たせ。出張者用フロアはどうだった?」

「結局、席が空いてなかったから、カフェテリアに行ってた」

 狭間さんと別れてから、しばらくカフェテリアで時間を潰し、五時半に一階ロビーに降りて吉岡君と合流した。吉岡君は同期だから、タメ口で話しても許されるのが気楽でいい。新人研修の時は、大勢の同期がいてみんなでわいわいしていたけれど、工場の総務部に配属されてからは、先輩や上司としか話をしていないから、久しぶりの解放感。


「どこに行くの?」

「仲通りをちょっと歩いたところにある、オープンテラスのイタリアン。ランチで何回か行ったけど、ピザがめっちゃ旨いんだぜ」

「うわー、楽しみ」

 やっぱり都会はいいなあ。工場だと、課長や先輩から「帰りに寄って行く?」なんて言われても、駅前の焼き鳥屋とか居酒屋ばっかりだし。


「着いたよ」

 赤レンガの建物に囲まれた、緑がいっぱいの中庭に面したテーブルで、みんなワイングラスを傾けながら楽しそうに話している。なんて理想的な花金シチュエーション。吉岡君のような、元気だけが取り柄の一見パッとしない人でも、さっとこんなお店に連れて来てくれるなんて、都会の魔力はすごい。


「すごく良さそうなお店ね」

「だろ?」

 なんかすごく得意そうで、可愛いかも。


 予約しておいてくれたので、すぐに席についてメニューを渡された。

「何が食べたい?」

「そうね。ピザがおすすめなんでしょ。あとパスタも美味しそうだし。わ、何これ。子羊のローストとか、美味しそう」

 どれもこれも、みんな美味しそうで目移りしてしまい、なかなか決められない。


「とりあえず、グラスワイン先に頼んで、ゆっくり決めようか」

「う、うん」

 すぐ横にいた店員さんにグラスワインをオーダーして、またメニューに戻ってくる。

「ピザは、こないだ食べたマルゲリータが絶品だった。シンプルだけどパリッとしてて。パスタは、海鮮ものはどう? 苦手じゃなければおすすめだけど」

「海鮮パスタ大好きだよ。それだと、これとこれか。どっちにしよう。迷うー」

「その二つなら、キノコとアンチョビーのがおすすめだな」

「ほんと? じゃ、それにする」

 なんか、こっちの好みも聞きながら、さくさく決めてくれるのが気持ちいい感じ。そんなに詳しいのは、よっぽど通ってるのかな。


 グラスワインが届き、料理もオーダーできたので、あらためて店の中をぐるりと見渡してみる。内装はシンプルで、飾ったところはないけれど洗練されていて、来ているお客さんも絵になる人ばかり。

「こんなお店でランチとか、いいよねー」

「来週から、早めに来て、ランチも食べてけば?」


 どうだろう。会議が始まるのは二時だから、今日は工場の社員食堂でお昼を食べてから移動して来た。こっちでランチするなら、午前中から出てこないといけなくなる。

「さすがに、二時の会議で午前中から出てくるのは、課長が文句言いそうかな」

「なら、一時まで食べないで待ってるよ。昼休み中に移動してくればいいだろ」

「え」

 確かに、それなら文句は言われないかも。でも、昼休みが終わるまで待たせるなんて。

「お昼がそんなに遅くなったら悪いし」

「いいよ。一緒に食べられるなら、その方が楽しいから」


 キラキラした目で、じっと見つめられて、不覚にもちょっとドキッとした。え、もうワインがまわってきてる?

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