三章 天城高原の夜
21 反省会
「ねえ、ねえ。先週のマッチングアプリ二人目は、どうだったの?」
「本当にハイスペックだったの?」
総務部女子グループの、今日のお昼の話題は、もっぱら寺崎先輩の恋活に集中している。先週金曜日のお昼に、いじり甲斐のあるネタをいろいろ提供してたみたい。私は本社に行っていて、一緒に食べなかったからわからないけど。
「うーん、ちょっとフィーリングが合わなくて。もう、会わないかな……」
あの騒ぎのことは、さすがに言わないか。私もあえて触れないようにしよう。下手なことを言って、こっちにも飛び火してきたら大変。
「ええー、そうなの? どんな感じだったの? イケ好かない金持ち?」
「まあ、そんな感じ」
「でも、お金持ちだったら、いいところに連れて行ってもらったんでしょう?」
「そうでもないかな」
ちらっと、こちらを見られたけど、目を合わせない。
「まあ、縁が無かったのよね。また次で頑張るから」
話が面白い方向に膨らまないので、先週のニュースで騒ぎになっていた、政治家のスキャンダルに話題は移っていった。週末の夜のニュースショーは、この報道ばかりだったから、みんなひとこと言いたくなっているみたい。
寺崎先輩は、ほっとしたようにランチセットを食べ始めた。
***
午後になって、メール室から、大きな荷物が届いているので取りに来るようにと連絡があった。たぶん、オーダーしてあった文房具の補充。
立ち上がって台車を用意していると、寺崎先輩が近づいてきた。
「荷物多そうだから、手伝ってあげる」
「あ、大丈夫ですよ。そんなに重くないと思いますから」
「いいの。ついでにメール室に用事あるから」
あ。これは何か話がしたいから、口実を作ってついてくるってことかな。
「じゃ、お願いします」
台車を押して廊下を歩いていると、小さな声で話しかけてきた。
「金曜日は、邪魔しちゃってごめんね。あのことは、みんなには黙っててね」
「大丈夫です。誰にも言いませんから」
やっぱり口止めしたかったんだ。
「何があったのか、聞いてもいいですか?」
「うん。あの男ね、ネットワークビジネスの勧誘が目的だったの」
ネットワークビジネス? IT系の人? どうしてマッチングアプリで?
「ネットワーク、ですか?」
「ネットワークビジネスって、いわゆるマルチ商法のことよ。クチコミで物を売って、末端のメンバーの売り上げから親メンバーに集金していくやつ。末端メンバーが増えると、親は儲かるから、せっせと人を勧誘するようになる仕組み」
私がポカンとした顔をしていたせいか、詳しく説明してくれた。
恋活のつもりで会ったのに、そんな勧誘をしてくるのもいるんだ。それは怒って当然。
「しかも、腕時計が偽物のローレマ・ヒデだったの」
「偽物って、わかるものなんですか?」
「私、学生のころ出版社でバイトしてたの。高級ブランドの時計とかスーツとか紹介する男性向け雑誌の、編集部の撮影助手。撮影助手って言うと聞こえがいいけど、要は現場の雑用係ね」
へえ。情報通なのは、そういうバイトしてたからなのかな? 相手の写真を見ただけで、超高級時計だってわかるんだもんね。
「そこで、ヒデの撮影もよくあって、触ったりはできなかったけれど、近くで現物はよく見ていたから、なんかあの男の時計に違和感があったのよね」
「すごいですね。見ただけで偽物って見破るなんて」
「だって、ベルトが見るからに安物だったから。で、問い詰めたら、知り合いにもらったから、よく知らないとか言い始めて。簡単に譲ってもらえるような価格じゃないっての」
さすが、先輩。
「話をしてても、僕みたいにリッチになるには、君もビジネスを始めるべきだ。一緒にサクセスしようとか、胡散臭いことばかり言ってて。本当にリッチなら、まだ聞く耳持つけど、そんな偽時計してるような奴の言うこと誰が信用するか、って切れちゃったの」
そういうことだったのか。
つくづく、先輩のマッチングアプリ運は、ついてないな。
「佳奈ちゃんはいいわよね。あんなかっこよくて、優しそうな彼氏さんがいるから。羨ましい」
「あ、まだ、彼氏とかそういう関係じゃないですから」
だって、イケコンとどちらを選ぶか、ちゃんと決めてからでないと、彼氏とは言えないし。というか、毎週、交互に会っているから、真面目にお付き合いしているとも言えないし。いや、でもその言い方、二人の男を手玉に取っているズルい女みたいじゃない? えー、なんて説明しよう。
「まだ彼氏じゃない、か。そうか。クリスマスデートで、決めるんだね」
「えっ」
なんで、クリスマスイブにどちらにするか決める勝負のこと知ってるの? 誰にも、このことは話してないのに……。 吉岡君も何も言ってないよね。
まさかイケコンと知り合いとか?
「あの、あの、どうして……」
「クリスマスデートで、お互いにプレゼント交換して告白とか、ロマンチックだよね。私も、クリスマスに間に合うように、頑張らなきゃ」
ああ、『決める』ってそういう意味か。
びっくりした。
「どこ行くの? メール室はここだよ」
「あ、はい!」
気を取られてたから、通り過ぎるところだった。
文房具の詰まった段ボール箱を台車に乗せて、総務部に戻って来ると、課長に手招きされた。
「何でしょうか?」
「重要なミッションを担当してもらいたいんだ」
こういう思わせぶりな前振りがある時は、あんまりいい話だった試しがない。
「はい」
「今年も、もうすぐ12月だから、毎年恒例の、総務部忘年会を準備する必要がある。そこで遠藤君に、幹事を引き受けてもらいたい」
ああ、来たー。噂に聞く忘年会幹事。
若手がやることになっている、とかで、寺崎先輩からも、話が来るかもしれないよ、と言われていた。寺崎先輩も、去年までは最年少だったから、3年連続で幹事やっていたらしいし。
「わかりました。でも、要領とか全然わからないのですが」
「そこは、去年まで幹事をやっていた寺崎君に、アドバイザーになってもらいたい。いいかな? 寺崎君」
「いいですよ」
寺崎先輩は、にっこり微笑んでいる。今年はお役御免になったので、ほっとした感じかな。
「大丈夫よ、佳奈ちゃん。去年の準備メモや、予算、当日の段取りも、全部記録が残してあるから。後で教えてあげるね」
さすが先輩。頼りになります。
「よろしくお願いします」
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