22 合宿企画
「最後に、皆様から何かございますか?」
いつも通り、金曜日の定例会議の最後の締めで、イケコンが出席者をぐるりと見渡していると、一番前の席に座っている高槻部長が手を挙げた。
「ちょっと、今後の進行で相談がありまして」
「はい。どうぞ」
高槻部長は、椅子の背にもたれかかったまま話し始める。
「ご存じの通り、中期経営計画の初年度がもうすぐ締めですが、昨今の経営環境の激変から、第二年度を待たずして抜本的な見直しが必要という指示がトップからありまして」
イケコンは黙ってうなづいている。
「各部門に、十二月の二週目を締切にして、見直し予算の提示を求めております。で、その取りまとめと報告で、経営企画部は、三週目からこちらの会議に参加するのは難しくなりそうなんですわ」
「なるほど。こちらのプロジェクトの最終報告書まとめを、先倒ししないといけないということですね?」
高槻部長は、テーブルに肘をついて前に乗り出した。
「その通り。そこで提案ですが、十二月上旬に、金、土と集中して検討、取りまとめする日を取って、一気に最終報告を作り上げてしまうというのはいかがですかな?」
「週末にかけて、ですか?」
「そう」
隣の吉岡君が、口をへの字にしてる。またプライベートに配慮しない提案をしてきて、と怒っているのがありあり。
「以前、狭間さんの会社で、研修所を持っているというお話がありましたな?」
「はい。伊豆にエグゼクティブ・セミナーハウスがあります」
「そこをお借りして、合宿形式で実施するというのは可能ですかな?」
懇親会の時にイケコンが、名門ゴルフ場が近くにあって使える、と話していた研修所のことだ。
合宿って、実はゴルフしたいだけじゃないの?
「オフィスにいると、いろいろと邪魔が入るので、いっそ隔離された環境に行って集中した方が、効率が良いと思いましてな」
「なるほど。それで合宿と」
高槻部長は、横に座っている池田部長の方を向いた。池田部長は腕を組んで、うんうんとうなづいている。
「池田部長、ITソリューション部も月末は大変でしょう。いかがですかね?」
「良いアイデアですな。まだプロジェクト予算の会議費も余裕がありますし」
これは、二人で示し合わせて話を出したのに違いない。
イケコンは、顔を上げて会議室にいる全員に向かって話しかけた。
「他の出席者の方はいかがでしょう? 業務のご都合や、ご家庭の事情がある方もいらっしゃると思いますが?」
高槻部長も、一緒に後ろを振り向いて、出席者の顔を見渡しながらにこやかに付け加えた。
「もちろん、ご都合があると思いますので、どちらか一日だけの日帰り参加とか、リモート会議も設定して、入れる時間だけ接続してくるとか、いろいろ工夫することはできると思いますが」
みんな特に発言はせずに、きょろきょろと横の人の顔色を見ている。
「わかりました。セミナーハウスの空きがあるか確認してみます。十二月三日、四日の金・土ですね?」
誰も反応しないのを見て、イケコンは、とりあえずやることにしたみたい。
「そうですな。吉岡君、合宿に参加できるか皆さんにお聞きして、狭間さんに人数をお知らせ……」
「いえ、私の方で参加可否を集計するアンケート掲示板を用意しますので、皆さんにメールでお知らせします。そちらに、丸を付けていただけますか」
吉岡君に雑用が降ってきそうになったけど、イケコンがブロック。
しかし合宿となると、一日中この会議をやっていて、夜は、この前の懇親会みたいな雰囲気になるのかな。ちょっと気が重い。
それより、十二月中旬から会議が無くなるということは、イケコンと吉岡君の勝負の機会も減るってことだよね。私も、会議が無ければ、本社に出て来る口実が無いし。
合宿が終わったら、いきなり本番のクリスマスイブなのか……
***
[ 十七時半に、丸ビルの地下一階入口の花屋の前で ]
会議が終わってから、退勤時間まで出張者用座席で過ごして、約束の五分前に降りて来た。今週はイケコンの番だから、先週のようにあわてて出てくることもない。また、あのタクシーに乗って移動するか、近くの高級レストランか、どちらかのはず。
「遠藤さん。お疲れさま」
「あ、お待たせしました」
イケコンは、もう花屋の前に来て待っていた。
「今日は、食事をしながらライブでもどうかと思いまして」
「ライブ、ですか?」
「ええ。ジャズクラブで生演奏を聴きながら、ステーキでも食べませんか」
ジャズクラブなんて、行ったことがないから想像がつかない。いわゆるクラブなら、学生のころ行ったことがあるけど、DJがテクノやサンプリングを流していてライブじゃなかったし、そもそもイケコンが行くような雰囲気じゃない。
「ジャズクラブって、行ったことないです。どんな感じですか?」
「じゃ、行きましょう。気楽にご飯を食べているだけの所ですよ」
そのまま先に立って、地下街を歩き始めた。
「今日は、歩きですか?」
「すぐそこのビルですから」
振り向いた笑顔は、会議中の営業スマイルとは違う、二週間ぶりに見るリラックスした顔だった。
やっぱり見ているだけで、ほおっとなってしまうから、イケメンってすごいな。
東京駅のすぐ横のビルの二階に上がり、細い橋のような廊下を渡ると、ジャズクラブの入口だった。赤いシックなカーテンと、クラシカルな調度品のロビーを抜けて、ステージを見下ろす半円形のソファー席に案内された。
ステージ正面には、四角いテーブルが密に並んでいて、狭そうに座っている人達がいるが、その周りを囲むソファー席は、対照的にゆったりとしている。
「下のテーブル席と、このソファ席では、ずいぶん違いますね」
「そう。演奏をできるだけ近くで聴きたい人は、下のテーブルの方がいいかもしれませんね。僕は、こっちでゆったりするのが好きですが」
ソファの隣に座ったイケコンは、メニューを開いて私の前に置いた。
「何にしましょうか?」
メインメニューには、国産牛のサーロインステーキ、仔羊のロースト、本日のピッツア、パスタなどが並んでいる。前回のように、見たこともない料理というわけではないから、今日は目の前のステージがメイン、ということかな。
「おまかせの肉盛り合わせって、なんかすごそう」
「面白そうだから、頼んでみましょうか。あとは、有機農園の根菜ディップとか」
「バランスいいですね」
赤ワインと料理をオーダーすると、まもなく運ばれて来る。ステージには、まだ誰も出ていないので、普通のレストランで食事をしているのと変わらない。
「ライブって、まだ始まらないんですか?」
「ある程度、食事が済んでからですね。みんな食べるのに夢中だと、演奏してる方もやる気にならないんじゃないですか」
ふふっと笑っている。ここも来慣れているのかな。
「あの、今日の会議で、合宿って言ってましたけど、本当にやるんですか?」
リラックスしているところに仕事の話を持ち出すのも、どうかと思ったけれど、気になったので聞いてみることにした。
「合宿ですか……」
イケコンは、ちょっと困ったなという顔をしてワインを一口飲んだ。
「会社によっては、好きなところもありますね。特に企画系の部署だと、割り込みが来ないように缶詰になるのが好きな人は、多いかもしれませんね」
「でも、土曜日まで泊まり込みって、迷惑な人も多いんじゃないですか?」
「そういう人も多いでしょうね。家庭の事情もあるでしょうし。でもシニアだと、昔の社員旅行みたいで、楽しみな人もいるかもしれませんね」
にやっと笑った。
「特にゴルフの好きな人とか」
やっぱり、イケコンもそう思ってたんだ。懇親会で、私が部長に絡まれていたのを助けるために、セミナーハウスとゴルフ場の話を出してくれたけど。
そのせいで、余計な仕事を増やすことになってしまったみたいで、申し訳ない。
「あと、合宿に行ったら、その後の会議は無しですよね?」
「今日の話だと、経営企画部が参加できなくなるということだから、そうなりますね」
「じゃあ、狭間さんと吉岡さんに本社で会えるのも、それまでですね」
イケコンは、ちょっと意外そうな顔をした。
「そうですか? 会議なんかなくても、金曜日の夜は、平等にみんなの元にやって来ますよ」
「だって、私が午後から本社に行く用事がなくなりますし」
おかしそうな顔をして、首を傾げている。
「僕が、車でお迎えに行けばいいだけでしょ? 何か問題が?」
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