28 爽やかな風

「おはようございます」

 昨日の黒服の人が、食堂入口で迎えてくれるのと同時に、窓の外の真っ白な富士山が目に飛び込んできた。

 朝食会場は昨日の夕食と同じ食堂。だけど、カーテンを開け放して朝日がさし込んでいると、全く違う部屋のようにキラキラしていた。四人掛けのテーブルは同じだけれど、テーブルクロスも真っ白なものに変えられている。


 中に入ると、ちょうど吉岡君が入れ違いで出て来た。ゴルフ組は出発が早いから、朝食も一番に済ませたみたい。

「行ってらっしゃい」

「あーあ。遠藤さんと散歩行きたかったのにな」

「どうもありがとう」

 高槻部長の強引な誘いに対して、身を挺して守ってくれたんだもんね。

 あの後、サラダ、白身魚のムニエル、フィレステーキが順番に出てきて、パンもデザートも、どれも本当に美味しかったんだけど、吉岡君はずっと不機嫌なままだった。


「頑張ってきてね」

「誰が、頑張るか」

 ふてくされたまま行ってしまった。


「お席はご自由にどうぞ」

 黒服の人が案内してくれるけど、吉岡君もいないし、他に話をする人もいないので、一番端のテーブルに一人で座った。

「お料理は、バイキングになっております。卵料理だけはオーダーになりますので、こちらのメニューからお選び下さい」

「あ、えっと、オムレツで」

「では、あちらのカウンターからお好きなものをお取り下さい」

 キッチンの横にカウンターが出ていて、パンやサラダが並んでいるのが見える。


 料理を取りに行こうと立ち上がったところで、イケコンが入って来るのが見えた。


「おはようございます。遠藤さんの席はどちら?」

 料理の並んだカウンターまで歩いて行くと、こちらに気がついたイケコンが話しかけてきた。

「あそこの柱の横です」

「ご一緒しても?」

「どうぞ」

 私のテーブルまで歩いて行って、黒服の人に声をかけると、すぐに戻ってきた。


「昨日は、遅くまで飲んでいたんですか?」

「ええ、経営企画部の皆さんと話し込んでいたら、十一時近くなってしまいました。ウイスキーのボトルが二本空きましたから、結構飲みましたね」

 そんな様子には全く見えず、朝から爽やかなのは、さすが。


「泰造は? 夕食の後は、ラウンジにもいませんでしたね」

 周りに会社の人がいないから、呼び方がプライベートになっている。

 やっぱり気になってたんだ。昨日は、イケコンが高槻部長と話している間に、そっと二人で食堂を出てきてしまったから。


「夕食の後は、すぐにそれぞれの部屋に戻りましたから」

「そうでしたか」

 ほっとしたかな?


「で、今朝は、ハーフラウンドに行かれましたよ」

「えっ? ゴルフですか?」

 サラダを乗せたプレートを持ったまま振り向いたので、落としそうになってる。こんなに驚くなんて、吉岡君が巻き込まれたのは知らなかったみたい。


「では、今朝は一緒に行けないんですね」


 サラダを乗せたプレートを持ってテーブルに戻ると、すぐにオムレツとコーヒーが運ばれてきた。

「美味しい物を食べて、温泉に入って、なんか旅行に来ているみたいで申し訳ないです」

「会議の時間以外は、ゆっくり楽しんで下さって結構ですよ」

 イケコンは、にこやかに言ってくれるけど、この一ヶ月、毎回会議には出席しているものの、大した発言をしているわけでもないので心苦しい。


「最初の回で、少しだけ現行システムの文句みたいなことを言ったぐらいで、全然貢献していないですよね」

「遠慮せずに、どんどん言いたいことを言って下さい」

 少し真面目な顔になって、じっと目を見られる。


「特に、使い勝手を良くするための要件は、実際に使っていないマネージャークラスじゃわからないから、最終報告から落とそうとすることが多いんです。遠藤さんはユーザー代表として、必要なものは必要です、とちゃんと言わないと」

 偉い人がたくさんいる中で、そんなこと言えるかな……


「それはそうと、食べ終わったら一度部屋に戻って、すぐに玄関に集合でいいですか?」

 またにこやかな顔に戻ってる。

「あ、はい。着替えもしてきましたから、すぐ出られます」

「外はまだ寒いですから、セーターと上着は忘れずに着てきて下さいね」

 確かに、爽やかな青空だけど、高原の朝は寒そう。


「今朝は、きっとすごくいい眺めが見られますよ」


***


 朝食の後、一度部屋に戻って歯を磨いてから玄関に降りて行くと、ちょうどイケコンも靴を履き替えているところだった。

「行きましょうか」

「はい」

 玄関のガラス扉から出ると、ひんやりした空気が頬に触れる。スカートじゃなくてパンツにしてきたのは正解。


 研修施設の前の坂道は、別荘や他の会社の保養所のような建物が並び、広々とした庭と高い植木がどこまでも続いていた。鳥の鳴き声が、あちこちから聞こえてくる。


「この合宿の後、クリスマスイブまで会わないと言っていましたが、その意志は変わらないままですか?」

「はい。そのつもりです」

「三週間も我慢できる気がしないから、車を飛ばして家まで行っちゃうかもしれませんよ」

 笑いながら言ってるけど、本気で来そう。


「それは、ちょっとストーカーですよ」

「はは。ストーカーとはひどい。こんなに尽くしているのに」

 ほんと、ひどいよね私。甘えっぱなしで。


「自分の夢を実現するために、僕を使ってもらっていいですよ、という話、少しは真剣に考えてくれてますか?」

 真剣に考えていたか、と言われれば、そこまで考えてはいなかった。でも、もしかしたら何かできるのかもしれない、という気がしているのは確か。


「ごめんなさい。まだ、そこまで考えがまとまらなくて」

「いいですよ。クリスマスイブまで待ちますから」

「それって、狭間さんを選ぶ前提で言ってます?」

 はははって、笑ってるし。


 十五分ほど坂を登っていると、峠に差し掛かったらしく、道が平らになってきた。周りに建物がない広々とした所に階段があり、展望台と書かれた看板が立っている。


「ここです」

「うわぁ。きれい」

 階段で展望台の上に登ると、裾野から立ち上がる富士山と駿河湾、そして反対側の相模湾の青い海まで、三六〇度の視界が開けた。

 冷たい風が吹き付けてきて、顔は冷たいけれど、この絶景は素晴らしい。


「研修所で仕事の時は、天気が良ければ必ず、朝ここに来るんですよ」

 今までイケコンが連れて行ってくれた所は、当然だけど、都会のきらびやかなお店ばかりだったから、こんな自然の中で一人ハイキングみたいな散歩をしている姿は、想像できなかった。

「なんか意外ですね」

「そうですか? 今日は遠藤さんが一緒だったので、ゆっくり歩いて来ましたが、自分一人の時はランニングして来てますよ」


 そうだった。イケコンも元は陸上部だったんだ。

 真っ黒に日焼けした、インターハイの時の姿を思い出した。


「帰りは、走って戻りませんか」

 なんだか、久しぶりに走りたくなってきた。パンツにスニーカーだから足元は問題ない。

「いいですよ。でも下り坂だからスピードを出しすぎないように、気をつけて下さいね」

「了解」

 よーし、走るぞ。

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