29 言うべきこと

「こちらの要件二十五番については、システム化の採用・不採用の判断を持ち越していましたが、いかがでしょう」

 十時から検討会議を再開して、最終報告書に盛り込む改善要件一覧の確認を続けている。司会はいつも通りイケコン。


「入力の改善ということですが、ファイルをダウンロードして手作業で対応すれば業務はできなくないし、現行はそれで回しているわけですね。開発予算も限られている中で、やる効果があるかですが」

 経営企画部の次長さんが発言しているが、高槻部長と池田部長は、腕を組んで黙ったまま。


「この要件は、明確なコスト削減効果もなさそうなので、削除ということでいいですか」

 ちょっと待って。次長さんはそんなこと言うけど、最初の会議の時に、こんなに使い勝手が悪くて困るって言ったの私なんだけど。ファイルをダウンロードすればできるって言うけど、そのせいで毎月月末に、みんながどれだけ残業してると思ってるの?

 ……でも、そんなこと、私一人で言っていいのかな。


 イケコンが、私の顔を見ていた。いつもの営業スマイルじゃなくて、真面目な目つき。朝食の時に言ったことを思い出せ、と言ってる。


『特に、使い勝手を良くするための要件は、実際に使っていないマネージャークラスじゃわからないから、最終報告から落とそうとすることが多いんです。遠藤さんはユーザー代表として、必要なものは必要です、とちゃんと言わないと』


 やっぱり言わないといけないかな。


 発言すべきかどうか迷っていると、高槻部長の頭がぐらっと揺れたのが見えた。池田部長も、前のめりになっている。


 この二人、居眠りしてる?

 昨日、遅くまで深酒して、今朝は早朝からゴルフに出掛けていて疲れたから、ぐっすりってこと?

 見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。この人達が居眠りしている間に、こっちの山盛りの仕事が減らないままで決定してしまうなんて、許せない。


「あの、いいですか」

 怒りに任せて手を上げた。

「どうぞ」

 イケコンが、こちらに体を向けてうなずく。

「現場で実際にやっている方からすると、毎月、この処理のためだけに二日くらい九時ごろまで残業してるんです。月締めに間に合わせないといけないから、どうしてもその日に集中して」

 次長さんが、むっとした顔でこちらを振り向いている。


「うちの工場だけじゃなくて、きっと全国の事業所総務でも同じか、大きなところだと、もっと大変だと思います」

 イケコンがホワイトボードに何か書いている。

「残業しているのは、何人ですか?」

「うちだと、チームの四人です」


「相模原工場だけで、四人が毎月六時間残業しているということは、全国だとざっと四百八〇時間。年間だと五千八百時間くらいですかね。人件費にしたら一千万円近くになるので、十分費用対効果がありそうですが?」


 次長さんは高槻部長の方を見ているけど、腕を組んでぐっすりのまま。


「高槻部長、よろしいですか?」

 イケコンが声をかけると、ビクッとしたように頭を上げた。

「お、すまん、ちょっと考えごとをしていた。どの件かというと?」

「要件二十五番は、十分な費用対効果が見込めそうだから、採用でいいかという議論です」

「うむ、採用でいいだろう」

 次長さんは、目を丸くしている。きっと事前の打ち合わせで、落とすことにしてたんだろうな。


「それではこちらは採用とします。次の未決事項は、四十二番ですが」

 イケコンは、淡々と次の議題に移っていった。


 居眠りしている部長達が頭にきたので、勢いで発言してしまったけど、まだ心臓がドキドキしていた。でもこれで、寺崎先輩や他の人達と、毎月キリキリしながらやっている作業が無くなる。

 私がここに来た意味も、少しはあったと思っていいのかな?


 テーブルの下で、つんつんとヒジをつつかれた。つつかれた方に座っている吉岡君の顔を見ると、親指を上げてグッジョブのサイン。

 ありがとう。


 新人研修の時は、すごくできそうな女子一人しか仲良くしてくれる人はいなくて、ちょっと焦っていたけど。今はこんな所で、同期の男子にグッジョブされているなんて、なんか不思議。

 彼女はすぐに会社を辞めちゃって、今はアメリカで勉強しているけど、こんな私を見たら何て言うかな。


 昼休みをはさんで、全ての未決事項の確認を済ませると、午後三時になっていた。

「どうもお疲れ様でした。これで会議での作業は全て終了です。あとは、事務局で文言を調整して完成させ、来月の経営会議に上げます」

 やっと終わりか。なんだかちょっと寂しいけど、ほっとする。


「最後にプロジェクトリーダーの高槻部長から、一言お願いします」

 イケコンに促されると、高槻部長は一番前の席から立ち上がって、ゆっくりと振り向いた。


「それでは、僭越ながら手短に一言だけ。皆様、十月からの二ヶ月間、本当にご協力ありがとうございました。各部門から推薦いただいた、選りすぐりのメンバーの皆様の叡智を結集し、真剣な議論を積み重ねていただいた結果、次期システムのアウトラインとして素晴らしい報告書が完成いたしました。これもひとえに、プロジェクト会議に参加いただいた皆様の、絶大なご尽力のお陰でございます。思い起こすと、この最後の二日間に至るまでの議論の出発点は……」

 一言だけのはずが、遠い空を見上げながら感無量の面持ちで話している部長の挨拶は、延々と続いて一向に終わる気配がない。


 最初は真面目な顔で前を向いていた他の出席者も、だんだん下を向いたり、スマホを見たり、落ち着かなくなってきた。私も、膝の上にスマホを乗せて、こっそり帰りの電車の時刻を検索している。

 朝のうちにチェックアウトは済ませてあるから、今出れば、三時半の特急に乗れるのに。それを逃したら、熱海で乗り換えて新幹線かなあ。家に着くのは早くなるけど、乗り換えは面倒だし。


 あ、メッセージが来た。

 あれ? 英里紗えりさからだ!


***


 ミニスーツケースをゴロゴロ引っ張りながら、駅まで下りるマイクロバスに乗り込むと、来た時と同じく隣の席は吉岡君。


「ね、ね、英里紗さんが帰って来るって」

 さっきのメッセージを見せる。

「英里紗さんって、誰だっけ?」

「ほら、目黒英里紗さんて覚えてない? 新人研修が終わってすぐに会社辞めて、アメリカに留学しちゃった人」

「ああ、そんな人いたね」


 私が、新人研修の間、唯一仲良くしていた人。でも、うちの会社は器が小さすぎたんだと思う。

 研修の合間に、よく話をしていたけど、いつもグローバルな視点から見た日本企業の問題とか、SDGsを建前とか流行り物としか見ていないようでは、三周遅れ以下になるとか、真剣に語っていた。私が、たまたま大学でSDGsサークルにいたことを話したから、同じレベルの理解者だと思われたんだろうな。


「大学がクリスマス休暇になるから帰国するって」

「メッセージのやり取り、続けてたんだ」

「ううん。SNSは見てたけど、直接メッセージが来るのは、向こうに行ってからは初めてかな」


 いっぱい話したいことがあるから、会いたいって、どんな話だろう。

 楽しみだな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る