35 一年後
「以前は、アメリカ各州の取り組みは、必ずしも進んでいるとは言い難いものでしたが、二〇三〇年というゴールが近づいてきた今、急速に十七の持続可能な開発目標達成に向けて、法規制の動きが進み始めています。本日ご紹介したように、
プロジェクターで壁に投影したプレゼン資料の前で、一通りの説明を終えると、会議に出席している相手会社の役員の顔を一人ひとり確認する。皆、手元の印刷資料を見直しながら、考えこんでいる様子。
「一旦、御社内で検討いただいて、後日、結果を連絡いただくことにいたしますか?」
今まで主にやり取りしてきた、海外事業準備室の室長さんに向けて声をかけてみると、振り返って他の役員に向けて話し始めた。
「これまで、事前確認させていただいてきた点は、全て盛り込まれていますので、提案としては問題ないと思います。今後、具体的な契約に向けて、EKRコンサルティングさんと手続きを進めて行くということで、承認いただけますでしょうか?」
一番前に座っている社長さんが口を開いた。
「うむ。役員会として承認する。我が社として初の米国進出のために、避けては通れない重要課題だということは、よくわかった」
「ありがとうございます!」
思いっきり頭を下げた。
新規契約、第一号だ!
訪問先の会社が入っているビルから出るまでは、ずっと大人しくしていたけれど、歩道に出た途端、思わずガッツポーズをしてしまった。
「やった!」
「やりましたね。素晴らしいプレゼンでしたよ」
一緒に来ていたイケコンも、満面の笑み。これでようやく、二人の給料を稼ぐことができそう、という達成感がすごい。
七月にMBAを取得した英里紗が、準備を整えてアメリカで会社を立ち上げたのは、十一月。事前に準備を進めていたとはいえ、すごいスピードだと思う。英里紗、佳奈、涼介の頭文字を取ってEKRコンサルティング。
私も、五条インダストリーを辞めて、イケコンのアドバイスを受けながら日本側の準備を進めてきた。彼の経験と人脈がなかったら、到底無理だったと思う。
英里紗のプランでは、米国進出をしたばかりの中小企業をマーケットにする予定だったが、イケコンの意見で少し修正していた。すでに進出しているところは、大手商社や投資ファンドからアドバイスを受けてビジネスプランを作っているから、入り込む隙はない。狙うなら『これから進出しようと計画している中小企業』だと。
でも、計画しているかどうかなんて外側からではわからないのでは、と言うと、そこもイケコンの人脈が使えるということだった。これまで事業計画のコンサルティングをしてきた大手企業の、子会社やグループ会社の情報があるから、進出を計画していたり、してそうな会社を絨毯爆撃するという営業計画を出してきた。前職のコンサルティング会社から情報を持ち出すことはできないけれど、公開されている会社の連絡先から電話する分には問題ないと。
「ねえ、佳奈。あの狭間さんって、すごい人材だね。どこで見つけてきたの?」
会社立ち上げ直後、三人が参加する公式なネット会議が終わった後、英里紗から個人チャンネルの方に電話がかかってきた。
「ちょっと仕事でつながりがあって……」
「あの人を見つけてきたのが、佳奈の最大の功績だね」
***
「今日は金曜日だし、初の契約の話が進んだお祝いで、打ち上げに行きませんか」
会社の拠点にしているレンタルオフィスのコワーキングスペースに戻り、英里紗に報告メッセージを送り終わると、横でニコニコしながら待っていたイケコンが提案してきた。
レンタルオフィスは、沢山のスタートアップ企業や、大手企業の先端ビジネス開発チームのメンバー達が、それぞれのテーブルを囲んで黙々とパソコンに向かって仕事をしていたり、ワイワイと打ち合わせをしていたり、活気があった。私達のような、二、三人しか社員がいない会社も沢山あって、切磋琢磨している感じがすごく刺激的。
共有スペースには、コーヒーサーバーや軽食の販売機もあって、軽い食事もできるようになっている。さらに、なぜかビールまで置いてあって飲み放題だった。
イケコンのお誘いは、外の素敵なレストランに行こう、という意味なのはわかっていたけれど、そこはきちんと線引きさせてもらわないと。
「じゃ、共有スペースに行って乾杯しましょう」
「えー、ここでですか?」
「そうですよ。だって、高いレンタルオフィス料金払ってるんだから、飲み放題使わないともったいないじゃないですか」
イケコンとは、仕事は一緒にするけれど、プライベートは吉岡君が絶対優先。だから、仕事で残業なら夜中までずっと一緒にいるけれど、夜一緒に飲みに行くことはしないルールにしている。
今日のビールは、あくまでも仕事の上の打ち上げで、しかもオフィスから出ないからセーフだよね。
さっき提出してきた提案書のコピーを手に、共有スペースに移動する。缶ビールとつまみを取ってスタンドの前に立ち、プシュッとフタを開けてグラスに注ぎ、顔の高さに掲げて目を合わせた。
「初の契約を祝って」
「遠藤さんのコンサルタント人生の始まりを祝って」
「乾杯!」
この達成感と、このビールと、このイケメンと。
ああ、幸せ。
あ、吉岡君からメッセージが来た。
『初の契約獲得、おめでとう。今日も帰りは遅くなりそう?』
さっき、英里紗に連絡する前に、メッセージを送っておいた。まだ契約獲得したわけじゃなくて、手続きを進める承認が出ただけなんだけどね。
『今日は早く帰る』
『よし。今日はお祝いしよう。
一緒に暮らすようになってから、すっかりうち飲みが増えた。私は、いつ給料が入らなくなるかわからない身だし、吉岡君もまだ三年目。お互いに貯金をしているから無駄遣いはできない。
「泰造からですか?」
「あ、はい。家に帰ったら、お祝いしようって」
「それはそれは」
苦笑いしている。
イケコンには、もし吉岡君が気に入らなくなったら、すぐに切り替えましょうと言われているけど、今のところ大丈夫そう。掃除でも、洗濯でも、なんでも吉岡君は積極的にやってくれるから、同棲生活に何も不満はない。
もしかすると、昼間イケコンと一緒にいることが、牽制になっているのかな。
「でも、この提案書、よくできてますよねー。自分で作っておきながら、すごいなあと思っちゃいます」
「ですね。頑張りましたしね」
ビアグラスの横に置いた提案書を見ながら、ここまでの日々を思い出していた。
最初の数ヶ月、イケコンの探してきた会社リストで五十社は回ったけれど、ほとんどが門前払いだった。担当者に会えたのが三社で、提案書を出して役員会まで辿り着いたのは、今日の会社が初めて。
お客様の担当者とのやりとりしながら、提案資料を更新していた一ヶ月は、毎日深夜までオフィスで仕事をしていた。昼間の打ち合わせで指摘があれば、その日のうちに英里紗と会議をして方針を決め、翌日には資料を更新してお客様に送る。それを三社相手にしていたので、家に帰ると、シャワーを浴びてバタンと寝るだけの生活だった。
大変だったけれど、相模原工場で、毎日同じことを繰り返していた時より、ずっと充実していた。
「次は、この契約書かあ。早くハンコ押してくれないかなあ」
今日、提出してきた契約書のコピーを提案書の上に重ねた。先方では、法務レビューにかけるということだった。
「契約条件の交渉は、そう簡単にはいかないでしょうね。責任範囲や
そうかあ。まだまだ道のりは遠いか。
契約書から手を離したところで、どうしたことか横にあったグラスに指が引っかかって、ビールをひっくり返してしまった。
「あー、す、すみません! 大事な書類に!」
イケコンは、横にあったペーパータオルをさっと取り、手際よく濡れた資料を回収して、机の上を拭いてくれた。
「大丈夫ですよ。原本じゃないですから。それよりスーツ大丈夫でしたか?」
最初に会った時もこうだったな。
少しは仕事ができるようになって、一人前になった気がしていたけど、ちっとも私は進歩してないかもしれない。イケコンには、まだまだ教えてもらわないといけないことが、いっぱいある。
手元に置いたケータイが鳴った。また吉岡君からのメッセージだ。
『もう会社出た? 美味しいチーズとワイン買ったよ』
早々に家に帰って、お祝いしたいみたい。でもイケコンが、パントリーから新しいグラスとビールを持ってきている。
まだ、このままイケメンを見ながらビールをいただくか、もう切り上げて、家に帰って吉岡君とお祝いするか。
さあ、どっちを選ぼう?
<完>
外資系イケメンコンサルタントでも恋の指導はままならない 代官坂のぞむ @daikanzaka_nozomu
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