第2話 魔王と人助け

 雪山から降りたノワールとアビスは草原をゆっくり歩いていた。


「世の中便利になったものだな、まさか魔道具一つであの渓谷をあっという間に抜けられるとは」

「山登りしてるのに『帰巣鳩』を持っていかない人なんて初めて見ましたよ」


 聖女アビスの肩の上で灰色の鳥型の魔道具がクルックと喉を鳴らす。この鳥は小柄の割には非常に飛ぶ力が強く人一人程度なら容易く持ち運べる。


 鳥にぶら下がる形になるので腕が疲れて長時間の使用はできないが、帰巣本能に優れるので複雑な谷や山、森からの脱出のために役立っているのだ。この帰巣鳩によって無事にノワールとアビスは山の麓まで降りてきたのである。


「それにしても感謝するぞ」

「聖女として人助けは当然ですから気になさることはないですよ」

「そうではなく、俺と殺し合いをしてくれるのだろ? とても嬉しいぞ! 」

「するわけないでしょ!? どうしてそうなるんです、貴方の家では命の恩人を殺す文化でもあるんですか? 」

「だって先程なら『殺し合いしようよ♡ 』という俺の呼びかけに対して文句を言わなかったから同意したのであろう? 」

「うるさいからずっと無視してたんですよ! 」

「ふむ、しかし否定をしないということはそれすなわち同意では? 」

「まるで解除しないと勝手に更新されるクソアプリのサブスクですねえ……」


 やけに殺し合いが好きな一般人を拾ってしまったことに後悔し始めているアビス、しかしもう遅い。


「そして地上に降りることができたが、ここからどうする? この近くに街でもあればいいのだが」

「この辺には街なんてありませんよ、小さな集落ならあるかもしれませんが王都からも離れてますし、魔族の領地も近いですから」

「ほう、魔族がいるのか」


 ノワールはホッとした、彼が寝ている間に魔族が人間に滅ぼされている可能性もゼロではなかったからだ。とりあえずかつての仲間達の子孫が生き延びていることがわかったのは大きな収穫である。


「そりゃいますよ、ここは大陸の南西の端っこです。このまま北へ行けば魔族領ですから。まあ、北へは険しい山脈と不安定な気候のせいで竜族ですらまともに行き来できませんけど」


(ふむ、俺の時代はこの辺りも魔族領のはずだったが人間に奪われていたのか。……いや、もしかすると俺が人間として復活することを見越して、事前に人間に譲っておいたとも考えられる。俺が人間の姿のまま魔族領を歩くのは厄介ごとになりかねんからな)


 千年の眠りから目覚めたばかりのノワールはアビスのわずかな情報から必死に現状を理解しようと頑張る。


 この世界の一般常識を初めて聞いたかのように真面目に聞いているノワールのことを『こいつ、マジかよ? 』という顔をしながらアビスは話を進める。


「ここから北東に向かえば人間の本拠地である王都です。この大陸の東側は人間、西側は魔族が支配しているのは流石にわかりますよね? 」

「ああ、それはもちろん知っている。そして勇者と魔王が日々戦っているのだろう? 」

「魔王はいますが、勇者はまだ旅立ちの準備中なんです。私は勇者パーティの一員として参加する予定なのですが、その前に内なる女神に導かれてここに来たわけなのです」

「ほう、勇者パーティに参加する身でありながら、俺のことをはるばる助けに来てもらってすまないな」

「ちっ、本当だよ。どーして私がこんなことしなきゃいけねーんだ……、ちょっと待てよ!? 今のはノーカンでいいじゃねえか、ぐうううっ、内なる女神よ許したまえええっ! 」


 激しく転げ回るアビスをノワールは落ち着いた眼差しで眺めている。何回も見ていると慣れてくるというものだ。


(こうやって日常的に転がって全身運動をすることが身体的な能力向上の秘訣なのだろう。なるほど、俺も見習う必要があるな)


 ノワールは人間の強さの秘密を知って満足げな表情をしているとアビス息を切らしながら立ち上がる。


「はぁ、はぁ……。というわけでこれから私達は王都へと向かいます。しばらくこの道を歩けば小さな街がありますので、そこから馬車に乗れば二ヶ月です」

「やはり結構時間がかかるものなのだな」

「それでも飛竜に乗り継いでいけば三日で着きますけどね。私は聖女ですので優先的に乗ることができます」

「……職権の濫用か? 」

「いや、違いますって!? 普段は個人的な用事にしか使ってませんから! 」

「それを濫用というのでは? 」


 基本的には竜族は分類上は魔族の一種に位置するが人間と魔族の戦いには不干渉の考えである。だが時々人間に優しくされたり、好意を持つ竜は人間の移動をサポートしていた。ノワールの時代でも、この竜の輸送能力は勇者との戦いでも地味に厄介なものであった。


「しかし、思ったのだが聖女は護衛とかつけていないのか? 勇者パーティに入ることができる将来有望な者が、こんなところで一人歩きするとは考えにくいのだが」


 聖女は魔族にとって脅威である。だからこそ、もし聖女が孤立して動いているのであれば、少々卑怯ではあるものの魔族が闇討ちという手段をとるのは容易に考えられる。


「私は誰かに付きまとわれるのが嫌ですので説得して単独行動ができるようにしています」

「ふむ、まだ若いのに口が上手いのだな。王都のお偉いさんを説得するにはかなりの話術が必要だろう」

「いえ、全員拳で黙らせました」

「ほう、それは素晴らしいな! 是非とも俺とも拳で語り合わないか!? 」

「いえ、それはお断りします」


 邪魔するものを拳で倒し、飛竜を個人的理由で使いまわす彼女はワガママなガキ大将を髣髴とさせる。


 アビスは自分の実力を見せつけるかのように拳で空に向かってジャブをすると、その動きが達人級であることをノワールは一瞬で見抜いた。


(やはりかなりの凄腕だ。どうやったらこの者と戦えるだろうか? そのためにも、もっと人間について知る必要があるな)


 武術の猛者が近くにいることを知りノワールがほくそ笑んでいると、遠くから獣が吠える声が聞こえてきた。その数は一匹ではなく複数のものである。


「この辺りはそれなりに強い魔物が出ます、離れて進みましょう」

「魔物か……、ちょっと様子を見てもいいだろうか。どんなものか確認してみたいのだ」

「別に私はかまいませんが、どうなっても責任はとれませんよ? 」

「案ずるな、もし危険そうな魔物なら迷わず殺し合う。ふふふ、腕がなるなあ! 」


 魔物とは人間や魔族に危害を与えるような危険な動植物のことを呼ぶ。一般的に人間、魔族との違いとしては、言葉を話せるかどうか、街を作るだけの文明を持っているかどうか、などと言われている。文化もなければ言葉もない、そんなないないづくしの生き物が魔物ということだ。


 ノワールとしては今の時代の魔物がどれくらい強いのか興味津々であった。早速腕試しといった感じで獣達の声がする方へ駆けていくと、大きな穴を囲んで五匹の狼が吠えていた。


「あれは『穴掘り狼』ですね、落とし穴を作って引っかかった獲物を集団で襲う魔物です。一匹の戦闘力もなかなかでB級魔物として登録されてます、それなりの冒険者パーティでないと対処できませんよ」

「……なんだ、ただの野良犬か。よく農作物を荒らしてたやつに似てるな」


 ノワールは狼達に向かって歩いていと当然狼達は一斉に跳びかかってくる。


「ガオガオガアアアッ! (何見てんだぶっ殺すぞ、おら! )」

「ふんっ! 」

「きゃうん!? (つ、強いっ!?) 」


 ノワールは飛びかかってきた狼の一匹に向かって右ストレートをぶちかますと、狼は凄まじい回転をしながら百メートルほど吹き飛んでいき、ボトリという鈍い音を出して地面にぶつかる。


 その実力差を見せつけられた残りの狼達は後退りをしつつも、魔物としてのプライドが許さないのかノワールをジロリと睨みつけている。


「えっ、そこそこ経験を積んだパーティでも苦戦するB級モンスターを一撃で倒した? この人、ただの変質者ではなかった……? 」

「ふむ、おかしいな? 昔はもう少し強かったと思うのだが」


 しばらく考えた後、ノワールは警戒する狼達を見て手をポンと鳴らした。


「そうだ、アビスよ。携帯食料はあるか、できれば肉系だと助かる」

「はあ、登山用に持ってきたものならここにありますけど? 」

「よし助かる、ほら、狼達よこれを食べるがよい」


 アビスから受け取った食料をノワールは狼達に向かって放り投げると、狼達は我先を貪りついた。バクバクと気持ちの良い音を出している。


「やはり相当腹が減っていたのだろう。ここまで勢いよく食べてくれると俺も嬉しくなる」

「ああ、魔物なんかにもったいない……」

「何を言っている、腹を減らして困っているのであれば満たしてやるのみ。そこに人間も魔族も魔物も関係ない。聖女であればわかるであろう? 」

「まあ言いたいことは理解できますけどねえ」


 お腹いっぱい携帯食料を食べた狼達は感謝の気持ちを込めて目をキラキラと輝かせ、ノワールの元へ擦り寄ってきた。


「あー、これはどうやら懐かれちゃったみたいですよ。仲間になりたそうにこちらを見つめてくるというやつですかね」

「うむ、どうやら腹が減っていたために力が出せていなかったようだな」

「アオーン! (ありがとう! ) 」

「よし元気は一杯のようだ。ならお互い全力で思う存分、楽しく殺し合いができるなああああっ! 」

「アオン!? (どゆこと!? )」


 ノワールは高速の動きで狼達を殴りつけると全員数百メートル吹き飛んでいき、視界から消えてしまった。


「あのー、倒すなら餌付けする必要ないですよね? 」

「何を言っている、お互いに戦うのであればベストコンディションでなけれならないのは当然。腹が減っては戦はできぬともいう言葉もある」

「あの狼達は戦いたいから食料を食べたわけではないと思いますけど」

「それではなんのために食べたのだ? 」

「それは生きるためでしょう、アンパン男みたいなこと聞いてくるんですね」

「ふむ、そういう考えもあるのか、実に興味深い」

「興味深いのはノワールの脳みそですよ……」


 とりあえず邪魔な狼達は無事に片付いた。そしてゆっくりと穴を覗き込むノワールの姿を見ながら、アビスは思った。


(よく考えればあの誰も来ないような厳しい雪山に裸で一人で登るようなキチガイ野郎だ。ただものではないだろう、私の計画の邪魔にならないか要チェックしないといけねえな)


 彼女は険しい顔をしながらノワールの背中をじっと見ていると、彼が穴の底に何かがあるのを発見する。


「おや、穴の中に子供がいるな」


 狼が掘った穴の深さは二メートルほど、その下で小さな女の子がペタリと座り込みながら涙目で見上げていた。


「人間の子供ですね、ノワールは殺さないように注意くださいね」

「俺は弱者には決して殺し合いは挑まん。……いつかは胸を張って、そう言ってみたいものだな」

「今から有言実行してください。それにしても結構深い穴ですね、ロープとかあればいいんですけど」

「それは不要だ」


 ノワールはスッと穴の中にとび込んで着地をした後、女の子を抱えてジャンプしてフワッと戻ってきた。


「また地味にさらっと凄いことしてますね」

「この程度余裕だ。それにしても、どうやらこの子は足を怪我をしているらしい、聖女なら回復できるか? 」

「はい、このぐらいなら朝飯前です。『ヒール』! 」


 アビスの手から白い光がぼんやりと発せられて女の子の足を包み込む。しばらくすると女の子はよろよろと立ち上がった。栗のような茶髪のショートヘアをしたその女の子はペコリとお辞儀をする。


「ありがとうございます、もう少しで狼に食べられるところでした」

「お礼が言えるとは感心な子供だ。アビスよ、携帯食料をくれないか? 」

「おい!? まさか本気でこんな幼い女の子を倒そうと思ってるんじゃないでしょうね!? 」

「いや、俺の腹が減っただけだが? 」

「ノワールに食わす飯はありません! 」


 アビスはなかば押し付ける感じで女の子の口に携帯食料をねじ込む。少し戸惑った様子ではあったものの、女の子は小さな口でモグモグと食べた。やっぱりお腹が空いていたようだ。


「しかし、なぜお前のような小さな子が一人でこんなところにいるのだ? 」


 目の前にある女の子の年齢は十歳程度、このぐらいの年齢であれば大人が一緒にいるのが普通であろう。


「散歩、です。今日は調子にのって遠くまで行こうとしたら大変な目にあってしまいました。お二人ともありがとうございました、残念ですがそろそろ時間なので村に帰らせていただきます」


 女の子は頭を下げて村へ帰ろうとするが、その方角は木々が鬱蒼と生い茂る森があるだけである。ノワールはそれを見て心配になった。


「一人で帰れるか? よければ俺達が家まで送り届けよう、アビスもついて来てくれるか? 」

「ちっ、めんど、なんで私が人間なんかのためにそこまでしなきゃいけねーんだよ」


 アビスは心底嫌な顔をするが急に『内なる女神よ! ごめんなさいいいいっ!? 』と叫んだ後、一緒に来てくれることを了承する。


(ふむ、一度断りつつも結局ついてくる。これは『ツンデレ』というやつであろうか、俺の仲間のオーク族がよく『ツンデレは最強ブヒよ、結局全てはツンデレに帰結するブヒ』と言っていたな。やはりこの聖女、相当な手練なのだろう)


 こうしてノワール達が一緒に女の子についていくという提案をしてみると

、彼女はじっと二人を見つめる。


「ついてきてもいいけど、貴方達は『魔王』じゃないよね? 」

「「…………っ!? 」」


 突然の言葉にノワールとアビスは息を呑む。


(まさか、こんな少女が俺の正体を見破っただと!? 千年もの間にそこまで人間は進歩していたのか!? )


「わ、私達が魔王なわけないじゃないですか。どこからどう見ても人間ですよね? 」

「それならいいの、変なことを言ってごめんなさい」

「ふむ、自分を助けてくれたとはいえ、知らない人を容易に信用しないとは感心だな」


 ノワールが褒め言葉を投げかけるが女の子は二人から目を逸らしながら無表情で答える。


「これは警告なの。二人が魔王だったら村にいる勇者に殺されちゃうから……」

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