第29話 反省

<…>またまた、言葉を発せられなくなる。久志に、答えを求めようとした。何で、美香が、話しをしてくれなかったのか。怒りにまかせて、怒鳴りこんできた立場上、何も言えなくなる。

「お母さん、もし、良かったら、今から、美香ちゃんの【秘密基地】を見に行きませんか。」

そんな提案をしてみる。久志も、勢いよく怒鳴りこんできたお母さんが、何かしら、しおらしい言葉を口にしてきている。そんな変わり様が気になってしまう。

<はぁ、はい>しばらく、仏間に沈黙の時間が流れていた。お母さんの方は、どんな言葉を返していいのか、わからないでいた。久志は、これ以上の言葉は浮かんでこなかった。そして、そんな言葉を待っていた。

「そうですか。その秘密基地を見てから、判断してもらっても遅くないですしね。よし、行きますか。」

久志は、そんな言葉を発しながら、腰を浮かせて立ち上がる。

「おぉい、祥子、軽トラ借りるから、キーを持ってきてくれ。」

<はぁい>遠くの方で、そんな言葉が聞こえてくる。お母さんは、久志のそんな言動に、つられる様に立ち上がってしまう。その後の久志の行動は早かった。あっという間に縁側に行き、小雨の中、庭を横切り、軽トラのある車庫まで走っていた。

<あの、私は、私の車で…>追いかけてきたお母さんが、そんな言葉を掛ける。もう車内に乗っていた久志。

「お母さん、面倒くさいから、乗ってください。」

そんな言葉を発して、身体を斜めに倒したまま、勢いよく助手席側のドアを開ける。そんな事をされては、もう乗るしかない。

<はい、お兄ちゃん>丁度、お母さんが乗り込んだ時、祥子が車のキーを持って現れる。

<よし、行きますか>車のキーを差し込み、意気込みに近い言葉を発した。小雨降る中、二人の乗る軽トラックは、走り出す。お母さんの表情は、この家に来た時とは違い、穏やかになっていた。棘が、牙がもぎ取られた女性の表情を浮かべていた。


通い慣れた山道。小雨の降る中、言葉を交わさない時間が流れていた。コンクリートで固められているだけの山道の途中で軽トラのサイドブレーキを引いた久志。

【美香の秘密基地】と書かれたでっかい看板が掲げられている。自分の娘の名前が、デカデカと書かれている看板。秘密基地であるのに、全く秘密になっていない状況に、吹きだしてしまう母親の姿。

「何ですか。これ、おかしい。」

全く言葉を交わしていなかった二人の空間が、突然、賑やかになった。

「秘密基地って、全然、秘密になっていないじゃないですか。」

続けて、そんな言葉を口にする。

<そんなにおかしいですか>久志は、母親に視線を向ける。心もちか、雨足が落ち着いてきたように思う。

「あの看板は、美香ちゃんが書いたんですよ。」

<えっ>今度は、母親が、久志に視線を向ける。

「何を書いてもいいから、書いてみなさいっていったら、こうなりました。私も、始めはどうかなぁと思ったんですけど、ストレートでいいかなと思いまして、採用させてもらいました。」

<そうですか>母親の表情が緩む。

「お母さんも、美香ちゃんと一緒で、笑った顔の方が素敵ですよ。」

照れもせずに、真顔でそんな言葉を口にする久志。ツリーハウスを造ろうと提案した時の美香の表情を思い出していた。

<えっ!>意外な久志の言葉に、胸の鼓動が一瞬大きく揺れた。久志からすれば、たんに美香と同様、笑っていた方がいいよと云う意味なのだろうが、母親には、忘れてしまっていたトキメキと云うものを感じていた。

<さぁ、行きますか>軽トラのドアに手を伸ばし、そんな言葉を発する。小降りの雨の中、ビニール傘を差して外に出る久志の事を、目で追ってしまっている母親が、慌てて、ドアに手をやる。

ほんの少し、母親を待つ形になった久志は、美香の書いた看板を見上げていた。

<あの…>後方のからの声に、歩き出す久志。母親からの問いかけを無視するかのように、足を進めた。大きな門構えをくぐり、傘をたたみだす後ろ身。

<あの、霧崎さん!>今度は、気持ち大きな声を出してみる。

「何ですか。」

振り向いてくれた久志に、少し安堵感を覚える。

「お母さんも、傘をたたみなさい。」

母親が発しようとした言葉を、久志は止めてしまう。命令口調の久志の言動に、思わず、素直に従ってしまうお母さんの姿があった。

「天然の傘があるんだから、傘をたたんでみたらどうですか。」

人差し指を一本立てて、視線を上に誘導する。緑の傘、広葉樹が茂っている天然の傘の下。たまに、大きな葉っぱにたまった大きな雨の雫が落ちてくるが、それも趣があっていいものである。

<はぁッ、はい!>久志の雰囲気にのまれたのか、言いかけた言葉を呑み込み、素直に傘をたたみだす。

“ジャリ・ジャリ…!”

砂利道を、踏みしめる足元。二人の体重で、砂利が擦りあって、そんな音が耳に入ってくる。明らかに、人間の手が加えられた山道が、母親の瞳に映る。

「この砂利を引く作業も、美香ちゃんが、手伝ってくれたんですよ。」

<これを、あの子が…>先程の胸のトキメキが冷めない中、そんな久志の言葉で、母親の顔に戻っていく。

雨の勢いが弱まり、小雨になったことで、濃い緑で覆われた自然の傘の下を、歩いてみたくなった久志。土の香り、薄暗く、よく考えれば、不気味な雰囲気もするが、なぜか、心地よくも感じる。濃い緑の葉で覆われた天然のトンネルの小道を、ゆったりと歩いていく。

「雨、止んだみたいですね。」

趣のある天然のトンネルを抜けた場所。久志は立ち止り、空を見上げながら、そんな言葉を口にする。

分厚い雨雲の切れ目から、わずかに光が漏れ出していた。母親の視界に広がる野球のグランドぐらいある空間。

(こんな場所があったんだ)そんな言葉が、頭の中に浮かぶ。自然に、久志の並ぶ形になり、雨が上がった空を見上げていた。

「そうですね。上がりましたね。」

静かに、呟くように、言葉を口にした母親。屋根の部分に高崎町のネームの入る足が折りたたまれた白いテント、青いビニールシートが掛けてある資材置き場と、視線を移していた。広い空間のど真ん中のぶっとい幹の木を中心に、三層になるウッドデッキに視線を向けた時、瞳に映るウッドデッキの周辺に、陽の温かい光が差し込んでくる。

<ワぁ、すごい!>思わず、そんな声を上げてしまう。想像していたものよりも、しっかりとした建造物。陽の温かみが、惹き立たせて、瞳の中に飛び込んできた。

「近くに、行ってみますか。」

母親の横顔に、視線を向けると、穏やかに言葉を口にする。自慢げに、笑みを浮かべる久志。

<はい>小さく頷き、降ったばかりの雨の雫に、足元を濡らしていた。娘が手にかけているツリーハウスを目にして、急に興味が湧いてきた母親は、別の意味で、胸を躍らせている。徐々に、自分の住む町のパノラマが、視界の全体に広がってくる。雨雲の隙間から、陽射しが広がっていく。

「こんな場所があったんだ。」

さっき、頭に浮かんだ言葉が、自然と口から発せられた。どんよりと曇っていた空が、二人の歩幅に合わせて、明るくなっていく。

「どうですか。ここが、私が言っていた居場所です。」

久志は、静かにそんな言葉を口にする。目の前に広がる、自分が生まれ育った町の風景を見つめていた。

「私が言いたいのは、これが出来上がったからと云って、ここが、美香ちゃんの居場所になると云うわけではないんです。」

久志は、隣の櫓を支えている柱に手をやる。

“ポン・ポン…”手の平で、柱を軽く叩きながら、ウッドデッキだけの建造物を見上げた。

「これを、造った過程に意味があると思うんです。私が子供の頃がそうであったように、この秘密基地を造り終わった時、この場所が美香ちゃんの心の中に残り、ここが居場所になると云う事で…。」

そんな言葉を付け加える。母親は、久志が言わんとしている事を、いまいち理解できないでいた。

「お母さん、最近の美香ちゃん、変わったと思いませんか。」

<えっ!>思ってもいなかった久志の言葉に、目ん玉を剥き出すほどに、ある事に気付いた。

「最近、良く日に焼けて、活発になってきている。私と出会った時なんて、色白で、陰がある様な感じで…。」

全くの久志の言う通りであった。この町に戻ってきた時の美香は、何処か哀しげで、学校にも馴染めない様子であった。しかし、ここ最近、日にも焼けて、自分の方から学校での出来事を話してくる。自分は、自分で、新しい職場に馴染む為に、これからの生活の事で頭がいっぱいで、そんな娘の変化に気づいてはいたが、深く追求する事はしなかった。

「はぁい、そうです。」

急に顔が真っ赤になり、久志に対して、恥ずかしさが芽生えてくる。母親としての責任を果たしていなかった事に気付く。血相を変えて、久志の家に乗り込んでいった自分を思うと、顔から火が出てきそうになる恥ずかしさ。

「お母さん、明日、美香ちゃんをこさすのか、こささないのかは、お母さんが決めてください。私も、美香ちゃんが、あなたに話しをしていないのを、気づいていて、何もしなかった事は反省しています。美香ちゃんと、話し合ってみてください。」

そんな言葉を口にすると、また、町の風景に目をやった。一層、母親の顔が紅色に染まる。

隣いる男性は、母親である自分よりも、美香の事を見ていた。そして、娘の為に行動を起こしてくれた。何で、そんな事をしてくれたのかは分からない。しかし、この男性の隣にいると、とても安心する。心が、ホッとする。そんな事を考えていると、空が赤みを帯びてきた。

「私の弟が言っていました。私の居場所も、ここなんだそうです。私は、ずっと、この町には、居場所なんてないと思っていました。私も、美香ちゃんと同じなんですよ。」

おもむろに、発した久志の言葉に、素直に<はい>と応えていた母親。すんなりと、言葉が心に入ってくる。不思議な感覚が、母親に残る。

高崎町の町を下景にして、赤く染まりつつある夕焼けの空を、二人並んで見つめている。母親は、故郷のこんな景色をいつ振りに見たのだろう。穏やかな、優しい風景が、二人を包んでいた。


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