第4話 映画監督
この男性の職業は【映画監督】である。二十五歳の時、両親の反対を押し切って、家業の農業を捨てた理由は、これであった。子供の頃、両親に連れてもらった映画館。スクリーンの中の世界に魅せられて、憧れ続けた夢の職業。映画を撮るという仕事。上京して、色んな苦労を重ねて、初めてメガホンを撮ったのが、三七歳の時であった。それからは、映画の世界で、第一線で活躍する監督の一人になっていた(霧崎久志)と云えば、ヨーロッパの映画祭で、賞も取った事のある有名な監督である。この初老の霧崎久志が、抱いていた夢を叶え、仕事として、満足する結果を残していた。しかし、五十歳を境に、メガホンを撮らなくなっていた。つまり、あれだけ大好きであった映画を撮っていない。仕事を選ぶようになったのか、撮りたい作品と巡り合えないのか、理由はいくらでもあるだろう。
久志は、七年間も失業状態。しかし、仕事をしていないわけではない。映画雑誌等の仕事。イベントごとの講師、働いているにはいるが、映画を撮っていない。現実に監督の依頼はある。メガホンを撮る気にはなれない。どうしてか、(やる気)と云うものが湧いてこないのである。そんな中、東京での暮らしに飽きたのか、ふと、故郷である【宮崎県北諸県郡高崎町】いや、今は(都城市高崎町)か、地名などどうでもいい。とにかく、生まれ育った田園の風景が浮かび上がってきた。懐かしい気持ち半分、罪悪感半分、十数年帰っていない里帰りを実行したのであった。
ギぃー・バッタン・ギィーギィー…!
ロープと木がきしむ音。久志は年甲斐もなく、楽しんでいた。柱になっているど太い木の上に登り、子供の頃の様にはしゃいでいた。
「昔はこのぐらい平気だったのに…」
そんな言葉の後に、歳だね、と続く。木に登り、周りの風景に視線を向けている、思わず、しゃがんでしまう自分がいた。正面斜め前の視界に、子供らしい姿が映った瞬間、頭を引っ込めて、身を隠すようにする。
「やばい、誰かいたのか。」
誰もいないと思ったから、こんな事が出来た。初老を迎えた男が、遊具で飛び跳ねて、木に登って、子供の様にはしゃいでいる姿は、恥ずかしく、滑稽なもの。久志は、恐る恐る首を伸ばして、視界に入った子供達の姿を確認する。ブランコに乗り、二人で山側を見つめ、何か揉めているように見えた。
「気づいていないか。」
ひそひそと、そんな言葉を口にする。急いで木から下りて、そのまま、学校を去ればいいのに、久志は、何を思ったのか、校舎に向かって歩き出した。昔懐かしい校舎を身近で見たい思いもあった。正直、視界に入ってきた二人の子供達の事が気になっていた。
自然を装い、西日に照らされた運動場を横切っていく。視線は、真っすぐ前を向いているが、意識はブランコに乗る子供達に向いていた。
[何やってんだろ]そんな心の声が聞こえるくらい、意識はブランコの二人に向いている。久志は、校舎に近付き、校庭と運動場を繋ぐ短い階段を登り、建て替えられた鉄筋コンクリートの校舎を目にする。当初の目的は、この校舎であった事に気づく。子供の頃、この場所で学び、遊んでいた。木造だったという一点を除き、同じ位置、同じ場所に立ち並ぶそんな建物が目に入り、吸い寄せられるように、正門に足を踏み入れてしまった。なのに、ブランコの二人、子供達の事が気になってしまう。
「五十年か、いや、それ以上か。」
子供達が気になりつつも、そんな言葉を呟いていた。まだ、木造だった校舎も思い返してみる。黒ずみ、木の乾燥で出来たのであろう隙間。冬場は、この隙間から冷たい風が入り込んでいた。木のしなりでぎしぎしと音をたてていた。不思議である、忘れてしまっていた記憶が、どんどん膨れ上がっていく。懐かしくも、気恥ずかしい記憶の数々に、顔がにやけてしまう。この小学校という場所には、通っていた子供の人数分の思い出が詰まっている。膨大な数の思い出。いい事も、悪い事も、恥ずかしい事も、楽しかった事も、悔しかった事も、全ての感情の記憶、思い出が、この場所には残っている。不思議である。この場所に来れば、忘れてしまっていた記憶が、膨れ上がり、にやけさせてしまう。
久志は、校舎を背にして、運動場の方に視線を向ける。少し高い位置からの視界の先にある高千穂の峰。霧島山。高崎の田園風景と、この小学校の運動場が視界のフレームに収まっていた。霧島山を中心とした雄大な風景。正直、圧倒されていた。
霧島って、こんなに大きかったけ…
思わず、そんな言葉を呟いてしまう。今見ている風景は、圧倒的存在感の霧島山を中心に、高千穂の峰の山麓が従えているように見えている。子供の頃、当たり前のように見ていたこの景色が、こんな雄大で、力強いものだったとは、不思議に思う。ここに住む人間たちは、子の雄大な景色に気付いているのだろうか、十数年ぶりに、里帰りした者だから、そう感じているのだろうか。久志は、そんな事を考えながら、この風景に見入っていた。
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