第12話 秘密基地に訪れた訪問者

久志が、故郷である【高崎町】に帰郷してから、約一週間の日々が流れていた。

「昌幸君、じゃあ、行くわ。」

久志は、この一週間、実家の家業である農作業を手伝っていた。田植えの時期とも重なり、慌ただしい日々を送っている。別に、家でゴロゴロしていてもいいのであろうが、田んぼの匂い、土を香りに懐かしさを感じて、身体が動いてしまう。横浜という土地でも、この時期になると、空を見上げる事が多かったように思う。癖なのか、習慣なのか、田植えをするタイミングを決めるように、ビルの天辺の先にある空を眺めていた。幼い頃は、父親や母親の姿を、農家の家に生まれれば当たり前の光景を見てきたからなのか、農業と云う自然相手の作業を、したくなっていたのか。今になってわかる。したかったのだ。土を弄りたかったのだ。そんな思いのまま、麦わら帽子を被り、田んぼに足を運んでいた。

【片手間】という言葉があるように、丸一日ではない。朝方から姿を見せれば昼間まで、昼間から姿を現わせば夕方まで、この時代、家族総出で田植えなど行わない。農器具の充実で、妹夫婦だけでも、充分に間に合う程の効率である。正直に言うと、久志の手伝う事など、たかが知れていた。半日、顔を出して、あとの半日は、毎日、あの秘密基地で過ごしていた。

久志は、相変わらず、ヘルメットを頭に乗っけるだけのスタイルで、スーパーカブにまたがっている。向かう先は、秘密基地である。毎日、何をするわけでもなく、秘密基地の周りの草刈りをしたり、ボーと高崎の町を眺めていたり、何をするのか決めていない。今日は、昨日、若いころ読んでいた一冊の小説を見つけた。カバーがぼろぼろのむき出しの本を、作業ズボンの後ろポケットに突っ込んでいる。今日は、読書をしようと決めていた。

この一週間、毎日通っているせいもあるのだろう。うっすらとしていた山道かと思う程の道でしかなかったものが、毎日踏み歩いているおかげで、はっきりとした山道に見えてくるから不思議なものである。

「はっ、はっ、ハぁー、年だね。」

一週間前よりも、肌が黒くなったように見える。長年の室内仕事が効いているのか、一週間経っても息が切れてしまう。毎日、呟く言葉が一緒なのも、面白く思う。視界には、三日前に草を刈った束が、拓けた場所の片隅にまとめてあった。

久志は、一週間前に一つ気づいた事があった。この秘密基地は、五十年近く前に造ったもの。なのに、こうも立派に残っている事を不思議に思う。目を凝らしてよく見ていると、所々に修繕をした後が見られる。この場所は、代々子供達に【秘密基地】として、使われてきたのかもしれないと考えると、感慨深いものがあった。

「今日も、天気がいい、快適、快適。」

身体全体を天高くまで伸ばした後、田舎の空気を思い切り肺の中に入れる。心なしか、息切れの回復が、早くなったようにも、感じる。

「フん!」

久志は、ハシゴに手を掛け登っていく途中に、木の上の方から人の気配を感じた。

「先客か。」

一週間前の発見、代々子供達に引き継がれた秘密基地の事もあったのか、さほどの驚きを見せないまま、ハシゴを登り切る。正直、先客である子供の顔を見てみたいという、興味を持ってしまう。五十年近く前に京介と造ったこの秘密基地、今は誰のものになっているのか、興味が湧いている。

ハシゴの天辺から顔を出して、久志の瞳に映ったものは、赤いランドセルで自分の身体を必死に隠そうとしている女の子。

「ぷっ!」

思わず吹きだしてしまう。ランドセルなんかで、身体が隠れる筈もないのに、子供の発想とは面白いものである。

「恐がらなくてもいいんだ。」

震えているのか、じっとして、動かない女の子に対して、そんな言葉を口にする。目の前の女の子にしたら、【秘密基地】であるはずの場所に、大人が姿を見せる事自体が恐怖であろう。そんな女の子に、久志は優しく声を掛けるが、身体を丸めて、身動きしない。

「大丈夫だから、ごめんな。あなたの秘密基地に来てしまったな。嫌だったら、おじさん帰るから…」

そんな久志の言葉に、反応した女の子は、顔を上げた。久志は目を丸める。どこかで見た、記憶にある女の子。

「お嬢ちゃん、どこかで…」

最近の記憶。久志は仕事柄、印象に残った事柄は忘れない。映画監督と云うものは、印象に残ったものを、記憶のという引き出しにしまい、必要な時に出し入れ出来ないと務まらない。

(逃げられた)

記憶の出し入れをして、一週間前、自分が口にした言葉が頭に浮かぶ。小学校で、ブランコに乗っていた男女の子供の片割れ。

「あの時のブランコの子か。」

そんな久志の発言の後、女の子は視線を合わせる。久志と立ち位置は逆の記憶が、浮かび上がってきているのか、マジマジと久志の顔を見つめ返してきた。

「あっ、あの時の変質者!」

身体を丸め、怯えていた女の子は美香であった。久志が帰郷をした日に、小学校の運動場、男の子とブランコに乗っていた。声をかけようとした久志に対して、逃げだした子供の片割れ。

「変質者って…」

思わず、言葉に出してしまう。美香の目には、そう映ったのだから仕方がない。

「お嬢ちゃん、変質者はないだろう。」

「だって、おじさん、あの時…」

美香は、なぜか、目の前の知らないおじさんに、親近感が湧いてくる。この田舎にやってきて、感じた事のない親近感。懐かしいものを感じ取る。美香は、身を乗り出して、久志の顔を見つめると、思っている事を口に出した。

「おじさん、もしかして東京の人?」

久志の発する言葉のイントネーション。訛りのない事に気づく美香。

久志は、思いがけない美香の言動、言葉が詰まってしまう。

「東京…うん、関東に住んではいるけど、横浜かな。」

きらきらと、瞳が光り出したような気がする。美香は、一層食い気味に身を乗り出す。美香は、横浜という言葉に、グイっと、距離を縮めてきた。

「ウソ!私も、横浜から来たの。」

美香は、この高崎町に引っ越してきて、一カ月が過ぎていた。正直、外国に居る様な気分である。日本語を喋っているのに通じない。相手が喋っている言葉がわからない。オーバーかもしれないが、自分が、外国に居る錯覚に陥っていた。だから、なおさら聞き覚えのある、訛りのない言葉に、恐怖する事も忘れて、久志の顔をマジマジと見つめる。

時計の短針は午後0時を回っている事から、平日の午後である。久志は、ある事に気づく。

「お嬢ちゃん、何でここに居るの。学校は、どうしたの。」

平日の午後。子供は、学校に居るはずである。そんな久志の言葉に、キラキラが輝いていた瞳を逸らしてしまう美香。

そんな美香の姿を見て、久志は、ハシゴを登り切り床面に胡坐をかいた。子供が、三人ほど寝転がれる広さの秘密基地の内部。久志の身長で、軽く屈まなければいけないぐらいの高さ。

「サボりか。」

どっしりと胡坐をかいた久志に対して、背中を見せている美香に向かって、そんな言葉を発した。

図星などであろう。何も言葉を発しない美香の後ろ身。久志は、それ以上は、何も言おうとはしなかった。自参していた単行本を手に、美香に背を向けて、寝転がり読み始める。

後ろに居るお嬢ちゃんが、このままハシゴを降りて、この場を去っても、名前も知らない赤の他人。それでもいいだろうと思う久志がここに来た理由は、のんびりと本を読みたかっただけであった。そして、このお嬢ちゃんにもここに来た理由はあるのだろう。これ以上の事を、言葉にしても仕方がないと思っていた。

しばらく、二人の沈黙の時間が流れる。美香は、何も言わず三角座りをしたままで、久志は、身体を横にして本を読んでいる。緑に囲まれた空間、心なしか、流れる風に涼しさを感じる。

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